第2話 映画館に行くつもりじゃなかった 前編

さっそく一話目からダメ出しの嵐である。

「これじゃあボクと先生の背景が掴めないからここから何を書いていくのかが読み取れないよ」

「この古書店の情景描写は入れるべきだったんじゃないかな?」

「先生はどうにも常識人に繕われ過ぎてるし、ボクはこれだと気がフレてるとしか思われないじゃないか」

とは言いつつも原稿を何度も何度も読み返している彼の姿はなんだか楽しそうでもある。

そもそも無茶なスケジュールの提案を押しつけたのは彼なのだ。その不満は自己責任であろう。

「見切り発車はきみだって承知の上だろう。そんなに言うなら添削の一つでもやればよかったじゃないか」

「いや、これで・これがいいんだ。先生のなれずっぷりはこうでなくちゃならない」

もはや支離滅裂な気もするが、彼の性格からすれば一つ筋は通っているのだろう。

「さて、じゃあ二話目はどうする?書くことは確かにたくさんあるんだ。あとはどれを選んでどの順番にするか?だけだろう。君の考えはどうなんだい?」

「せっかく一話目で2012年に先生が受けた衝撃に触れてるんだ。そこから始めるしかないだろう。ボクも一度きちんと整理してまとめて欲しかったんだ」

お馴染みのを右手に、左手には見覚えのある書籍を持ち彼はわたしがかけているソファーに近づいてきた。


この古書店、中央にソファーとテーブルが置いてありのんびりとくつろげるように作られている。関西のある種の文化層にわかりやすく伝えるなら今はなき立誠シネマのあの待合室の雰囲気に似ている。真ん中にソファーとテーブル、そして部屋の角には大きめのカウンター、その周囲をずらりと本棚が囲んでいる。


さて彼が持ってきてのは『メランコリックな宇宙 ドン・ハーツフェルト作品集』のパンフレットである。パンフとはいうものの80頁のボリュームと黒を基調としたシックな装丁は満足度の高い書籍でもあった。

【ドン・ハーツェルトは1976年生まれ(われわれ二人と同じ歳でもある)のカリフォルニア出身のアニメーション作家である。全編まったくの一人で手掛けた作画の繊細さと、描かれる何気ない日常のむこうに広がる宇宙の真理をついたような哲学的な物語りは唯一無二で、まさに孤高の天才。そして彼の作品をこの日本で広く認識させたのは爆音映画祭での上映であった。】


「ほら、なれず先生がありがたい推薦コメントを寄せてくれたおかげでこのパンフレットは未だボクの店の棚の一角を守りつづけてくれているよ」

そうなのだ、わたしは彼にたのまれ推薦コメントなるものを書いたのだ。いや、このパンフレットにだけではない。この古書店の棚を見わたせばそこかしこに私の推薦コメントが点在する。わたしがラジオ番組のパーソナリティをつとめることになった2016年の春、その報告をするやいなや彼は原稿の練習になるだろうと毎回訪れるたびにコーヒー一杯と引き換えに店にある書籍や音楽・映像ソフト数作品のコメントを書かせ始めたのだ。まぁ、結論からいえば練習にはなったし、これがなかなか楽しい作業なのだ。とはいえ売れ残り続けていては意味がないのだが…

「確かにあの2012年5月の爆音映画祭 in KAVCでのドン・ハーツフェルト作品の上映には度肝抜かれたんだよ」

彼から手渡されたパンフレットを開きながら私はあの日を振り返った。

「上映まで全然知らない作家だったけど、予告とかで観る限りはすごく繊細な絵の線だったし、しかもパーソナルな物語な感じで、これを何で爆音上映するんだろ?と疑問だったんだよ」

「だろうね、それが一般的な反応だと思うよ」

「それが会場についたらすごい人数が集まってるし、当時の自分ですら見たことある業界関係者が結構な割合でいてまずそこに驚いた」

「あぁ、それぐらいにこの上映は注目されてたってことだね」

「そうなんだよ。で、観てみたら自分が爆音上映に思い描いてたイメージは覆った。それまでは映画館にライヴ用のPAを持ち込んで音の迫力や圧を増すことで体感を上がるみたいなイメージだったのが、それだけじゃなくって例えば静寂であったり間合いであったりの音の繊細な作りがよりクリアーになって、本来その映画が狙ってたものにより迫れるみたいなね、そんな効果もあるんだなと」

「先生はたしか当時“爆音”とは“爆ける”音のほうではなく“暴かれる”音といったほうが近いのでは?とか発信してたよね」

「よく覚えてるな、そんなの。そうだそれを推してた。誰も賛同してくれなかったけど」

こんな時の彼の記憶力は尋常でない。


【KAVCこと神戸アートビレッジセンターは新開地のど真ん中に1996年にオープンした複合的なアート施設。その地下にはKAVCシネマとよばれた映画館が存在した。コンクリート打ちっぱなしのシンプルな造形と備え付けでない椅子が特徴的な空間で、その融通の効く環境を活かした各種イベント含むこだわりの上映ラインナップは未だ関西の映画ファンの語り草である。KAVCシネマ自体は2022年の3月末で26年の歴史に幕を降ろし、KAVCも翌年4月に新開地アートひろばへとリニューアルした。

KAVCでの爆音映画祭は2012年5月に初回が開催され、それはこの映画祭の関西への初進出でもあった(同時期に同志社大学でも開催)。】


「そりゃ先生の映画館への向き合い方が変わっても致し方なしだね」

「もちろん映画館で映画を観る行為は何も大画面や大音響の迫力だけでないことぐらいはその当時でも頭で分かっていたけど、あんなにもクリアーな体感として提示されたのは初めてだったと思う」

「で、先生はこの日から映画館へ通い倒す日々が始まるわけだね」

「まぁ、そうなんだけど、ここを起点にした前後でいろんなことが重なったんだよ」

テーブルの上に置かれているをわたしは開いた。そこには2012年以来のわたしの濃いい裏カルな日々が詳細に綴られているわけであるが、確かに5月以降どんどんと書き込みは増えている。


「そもそもこの年の2月に前職を辞めて3月から今の仕事に就いたんだよね。そこでまず精神的な足枷が外れて、そのあと懐も多少潤いだしたんでフットワークが軽くなったのが前提にあった」

「まず初めに転職ありきだった訳だね。そこはボクもよく分かるよ」

そうだ、この男も同じ2012年にこの古書店を始めるべく前職を辞めていたのだった。そしてそれを伝えるべく10年近く疎遠になっていたわたしをSNSで見つけだしそれが再会につながったのだ。

この話はまたの機会を設けよう。

「2月いっぱいで仕事辞めたんだけど有給が2週間分ぐらい残ってて半月ぐらい家でぶらぶらしてたんだよ。まだ3月からの仕事が決まってなくってちょっと焦ってたんだけど、気晴らしも兼ねてこのタイミングで神戸映画資料館で当時行われていたミュージック・アーカイヴに参加しに行ったんだよね」

「あっ、2月18日(土)だね。音楽部って呼ばれてたやつだ」

の備考欄にミュージック・アーカイヴ(通称:音楽部)と記載されていた。

「これがまたマニアックなイベントで、神戸映画資料館内にあるチェリーってカフェに参加者がテーマに沿った音源を持ち寄って流すだけだったんだけど、集まる人が映画好きばかりで持ちよる音源も一筋縄でいかないものばかりだったんだよ。そんなのを耳にする楽しみもあったし、映画好き同士の横のつながりも生まれたりね」


【神戸映画資料館は神戸市長田区に2007年に開館した名前のとおりの資料館で、膨大なフィルムの収集や管理、及び映画に関連した諸々の所蔵を目的としている。ミニシアターも併設しているため定期的に上映会も行われている。施設内のカフェのチェリーの珈琲も美味しい。

ミュージック・アーカイヴは2012年1月7日から2013年7月21日まで計8回開催された。この時期の神戸映画資料館は音楽寄りのイベントが多く、実際わたしが初めて資料館に行ったのも2011年6月7日の佐藤薫(EP-4)×鈴木創士×丹生谷貴志のトークセッションであった。】


「この日の出会いとできたつながりには今もあらゆるところで感謝してるんだよな。あとくだんの爆音映画祭にはミュージック・アーカイヴにいたメンバーがほとんど来ていて何か奇妙な連帯感みたいなのを感じもしたね」

「なるほど、その流れが見えるとまた受け止め方変わるな」

「音楽部参加から爆音映画祭参加までの間に仕事も決まったし、それはもう何らかの力に前に押し出されてる感じがあった。

あとそうだ、爆音映画祭終わった後に参加してた諸先輩方とお茶して帰ったんだけど、そこで交わされる会話に全然ついていけない自分がいて、それなりに映画好きを自負してたけど全然足元にも及ばないなって…」

と言葉にしてみてホロ苦い思い出がよみがえってきた。高校卒業以来どっぷりと映画にハマりTV放送やレンタルビデオを活用して手当たり次第見まくり、知識も備え、SNS等で無双を気取っていたかつての自分。それが崩壊しその更地に新たに自分なりの映画観を築きはじめたのが2012年からのわたしだったともいえる。


しばらくの沈黙…遠くでこどもたちの帰宅をうながす放送が響いていた。

何かを察したのかわたしの友人は立ち上がり1Fに電話をかけて夕食とビールの用意を頼んでいた。

「今日はもう店じまいにするよ。先生の話のつづきはゆっくりお酒でも呑みながらにしようじゃないか」

さて、今夜は長くなりそうだ。わたしは終電の時間の確認をしておいた。

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