うらかる!
なれ(ず)のはて
第1話 坂のある町で
特急電車の停車する駅で乗り換え6つほど普通電車で戻るかたちで目的地にたどりつく。山と海にはさまれた坂のある小さな町。
ここに定期的に訪れるようになったのは12年前から。はじまりはかつて友人だった男に会いに…であった。
友人だったというのは彼とはそれ以前の10年近くを疎遠として過ごしていたからだ。
彼とのなれそめや疎遠までの経緯、そこからの再会は長くなるのでまたの機会に譲ろう。
しかしわたしがこの町を訪れるのは今や彼に会いにではなくなった。目的が彼が根城にしている古書店に移ってしまったのだ。
その古書店は山まで連なる坂の七部目辺りであろうか?この町特有の高低差を利用した家屋の構造で、二階ではあるが坂に面した入り口がある。
一階は古い喫茶店である。
しかしこの坂に面した入り口からは入れない。いや、入れなくもないのだが一般に解放していないのだ。そもそも古書店の看板すら掲げていないのでそこが古書店であることを知る人はごくごく一部の人間のみである。
まずは一階の喫茶店に入り一通りの時間を過ごしたのちに二階へと上がる。これが暗黙のルールになっている。しかしそのルールも古書店があることを知ってるのが前提であるので、この古書店に訪れる人間はおのずと限定されているのだ。
わたしはそのうちの一人である。勿論二階への階段にも看板はない。
こんな面倒なルール、もっと言えば商売にならないルールに疑問を持たれるのはごもっとも。
しかしわたしの旧友でもある二階の店主はこの環境にご満悦のようで、ある種の会員制クラブを気取ってすらいる。
喫茶店の主人は二階の店主の伴侶でもあり、わたしも旧知の仲である。こんな環境下での共同自営を最初に聞いた時には彼女の心境に多少の心配を寄せてもいたのだが、実際のところは共犯関係、いや何なら彼女の方が率先してたと知り胸をなでおろしたものだ。
彼女についても話しだすと長いのでまたの機会に。
さて美味しい珈琲もいただき、二階への階段に足をかけたその瞬間わたしは懐かしい音楽を耳にして厭な汗をかいた…
「おい!君はまたどこでこんな曲を掘り返したんだ?」
まだドアを開けきる前、店主の姿を確認するのも待てず叫んだ。
「やあ、なれず先生か」
店のカウンターで分厚い本を読んでいた店主は顔も上げずに返してきた。
「なれず先生が19か20歳のころ、ベッドルームから世界に向けて発信しては結局ボクしか受信してなかった名曲の数々を美しくリマスターしてあげたんじゃないか。感謝してくれたまえ」
そうなのだ、今ここに流れている音楽は30年近く前にわたしがシンセサイザーとMTRを駆使して一人で作っては“これで世界の音楽シーンを覆してやる!”と息巻いていた楽曲たちなのだ。当時いろんなレコード会社や音楽関係の事務所に送ってはみたもののほぼなしのつぶて。楽しんでくれていたのは周りの音楽好きの友人・知人だけで、それすらも今思えばお世辞や同情が大半だったのではなかろうか。そんな中で彼はどの楽曲にも細かく感想や解説を寄せてくれていて、それを喜んでいたわたしは曲ができるたびに届けていたものだが、まさか30年近く経てもそれを保存していたとは恐るべしである。しかもそれをリマスター?確かに一音一音が分離され聴きやすくなっているし、低音も効いている。思わず詳細を聞きたくなったが、まずは店内に他のお客さんがいないかの確認をせねばならないと見渡しわたし一人であることを知りいったん落ち着いた。
そもそも今日は彼の方で会う時間を指定してきたのだからこれは用意周到ないたずらである。その方面では他の追随を許さぬアイデアをその脳内に熟成している男なのだ。
ここで一つ説明を加えておこう。
わたしの友人であり古書店の店主である彼の俗称は
そして
ちなみにわたしは彼と大学で出会ったわけではないので彼を
さてひと通りの挨拶と近況報告を終えてわたしは本日の要件を聞くことにした。
大概彼の方から呼ばれる場合はわたしの探していた古書やレコード等を見つけた時である。
「今日はどんな掘り出し物があったんだい?」
「掘り出し物?あぁ、今日は違うのだよ先生。ひとつ提案をしたくてね」
と、彼はカウンター内に積まれた古書の山からあるファイルを取り出しわたしに渡した。
通称なれず帳。
そう2人で呼び合うそのファイルには2012年以来わたしが映画館で観た映画や行ったライヴにイベント等、さらには購入して書籍や音楽ソフトまで詳細に記載されている。しかも備考欄にはご丁寧にわたしがSNSで上げていた感想も要約されメモられている。2012年に再会した時、わたしのSNSを通して入手した情報をもとに彼はこの記録にすでに着手していた。その異常さに戦慄が走りつつもあまりのらしさに嬉しくもなり、今となってはありがたい資料として重宝させてもらっている。
「うん?このなれず帳がどうしたんだい?」
「ここには先生のなれずたる由縁が詰め込まてるわけだよ。そろそろそれをなんらかのかたちでアウトプットすべきとは思わないかね?」
相変わらず回りくどい言い回しと読みにくいその狙いにイライラしつつもどこかワクワクしている自分もいた。彼とのこんな会話はいつも思わぬ扉を開けてきたのだ。
「いやね、この古書店にもそろそろオリジナルな書籍が欲しくなったのだよ。どうだね、ひとつなれず先生の著書を置いてみないか?」
あまりにとっぴな提案に頭真っ白になっているわたしに向かい止まらずまくしたてる。
「この12年の先生のなれずっぷりをさまざまなカルチャー体験を通して語りつつ、その向こうに関西のこの12年の文化層の変化が見えてくるなんて構成でどうだろう?」
「とりあえずネットでエピソードの発表を重ねつつ、反響あればうちで書籍としてまとめてみよう」
「そうだな、先生がことあるごとに語っている2012年のこどもの日、この神戸アートビレッジセンターではじめて開催された爆音映画祭 in 関西に行っての衝撃からちょうど12年目の今年のこどもの日に一話目をUPしようか」
もう彼の中ではこまかなスケジュールまで決まっていたようである。
「じゃー、ボクはこのあとお客さんの対応しなきゃならないから下で珈琲でも飲みながら早速書きはじめてくれたまえ。お昼はまだだろ?食べたかったらカレーもおごろう。前金代わりだ」
と追い出されてしまった。
そして今喫茶店主人自慢のカレーに喰らいつきながらこの文章を書いているのであった。
さて、書籍発売へと至るのか?それは皆さんの反響次第である。
あっ、彼の伴侶からメッセージが回ってきた。
“小説のタイトルは『うらかる(裏カル)』でよろしく”
“路地裏に一歩入ると出会えるようなカルチャー、ほおっておけば屋根裏に押しやられてしまいそうなカルチャーへのボクらなりの愛を綴ろう”
とのこと。さてさてどうなることやら…
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