第16話 少しでも咲希の力にならなくちゃいけないんだ
翌朝、家を出ようとすると、父さんに声をかけられた。
「買い物か?」
「と、友達と遊びに行ってくる」
「友達いたのか……」
父さんの驚きも、もっともだった。
「最近できたんだ」
「そうか。楽しんできなさい。夕飯は俺が作っておくから、心配しなくていいぞ」
父さんは嬉しそうだった。そうだよな……。あの一件以来、ずっと独りぼっちだったんだから、心配かけてたよな。
「ありがとう。行ってきます」
待ち合わせ場所は学校の最寄り駅だった。余裕を持って来たつもりだったが、すでに咲希がいた。
「立花さん、おはよう」
「おはよう」
咲希の私服はワインレッドのレトロワンピースだった。マンガ通りの服だ。奥ゆかしい咲希に、よく似合っていると改めて感じた。
だけど。似合っているね。その言葉がどうしても喉から出てこない。天道ならサラッと言ってのけるはずだ。
「金木くんって、ペンギン好きなの?」
「え?」
「Tシャツのイラストがペンギンだから」
「う、うん。そうなんだ。鳥なのに飛べなくて、泳ぐのが得意なところに、親近感を覚えるっていうか」
思わず変なことを口走ってしまった。意味がわからないと思われていないだろうか?
「金木くんも空を飛びたいの?」
だが、咲希は僕の言いたいことを汲み取ってくれた。
「うん。みんなが当たり前にできることが、僕にはできないから……」
咲希は少し考え込んだ後に、口を開く。
「いいんじゃないかな、それでも」
「どうして?」
「だって私たちは人間だから。みんながみんな、同じことができるわけじゃないと思うから」
「そう、なのかな……」
「私だって、内気で自信がなくて、ダンスも下手で。彩乃ちゃんみたいには、なれないなって思うもの」
咲希の言葉に衝撃を受ける。
咲希は完璧な女の子のはずだった。少なくとも僕にとっては。そんな咲希なのに、彩乃と比較して、自分に足らないものがあると感じているという。
「立花さんも、そんなふうに思ったりするの?」
「もちろん。誰だってそうじゃないかな?」
誰だって。それは僕の悩みが、僕だけのものじゃないということ。あの時からずっと、僕は世界で独りぼっちだと思っていた。みんなの輪の中に入ることはできないと。
でもそれは僕の思い込みだったかもしれない。
「立花さんに言われると、そんな気がしてくる」
「よかった」
咲希は僕に微笑む。勇気を出して咲希の服装を褒めよう。そう決意した瞬間。
「お待たせ」
彩乃が合流した。彩乃はオーバーオールスカートにTシャツというアメカジスタイルだった。
これも僕が設定したものだが、彩乃が着ると本当に似合うな。
「咲希、その服似合ってるじゃない」
彩乃はサラッと咲希の服を褒める。同性とはいえ、流石のコミュ力だ。
「ぼ、僕もすごく似合ってるって言おうと思ってた」
「なら、あたしが言う前に言いなさいよ……」
ごもっともだった。
彩乃がスマホで時間を確認する。
「日高のやつ、遅刻してんじゃない。まぁいいわ。置いていきましょう」
「待ってあげないの?」
「調子に乗るからダメよ。ちゃんと学習させないと」
咲希の提案を彩乃が一蹴する。
「流石に、行き先は教えてあげるんだよね?」
「それだけは連絡しとくわ」
そこで、まだ日高と連絡先を交換していなかったことを思い出した。今日、交換しようかな。そんなことを考える。
カラオケの個室で、咲希と彩乃が言い合いをしていた。
「最初に歌うのは恥ずかしいよ……」
「何言ってんの。咲希が『orbital star』のメロディ覚えるために来たんだから、あなたが歌わないと意味ないでしょ」
「時間もあるんだし、お手本として彩乃が最初に歌うのは?」
「この子を甘やかさないのっ!」
スパルタだなぁ。でも咲希が恥ずかしいのは本当だろうし。
「じゃあ、一緒に歌うのは?」
「……それなら」
「仕方ないわね」
彩乃は素早い手つきでタッチパネルを操作し、曲を入れるとマイクを二本取る。
「咲希もちゃんと歌うのよ?」
そう言って、マイクを咲希に渡す。
二人ともいい歌声してるよな。二人の歌を聴きながら思う。個人的な好みは咲希の声だけど、彩乃も魅力ある声をしている。
面倒見もいいし、天道一筋でなければ、男女問わず良い人間関係を築いてモテただろうな。
もしもそんな世界があったとしたら……。そんなことを一瞬考えたが、それでも彩乃は今の世界を選ぶだろうな。
それは作者としてではなく、彩乃と同盟を組んだ僕個人としての意見だった。
曲が終わり、僕は拍手をする。
「咲希、思ったより曲覚えてるじゃない」
「カラオケ行くことになったから、昨日練習したの」
「やっぱりカラオケを選んで正解だったわね。それよりっ!」
彩乃は急に僕を指差した。
「な、なに?」
「なんであんた歌わないのよ?」
「え? なんで?」
「なんでじゃないわよっ! あんたも踊るんだから、メロディ覚えないとダメでしょっ!」
「確かに……」
「はぁ……」
彩乃が右手で額とこめかみを押さえる。
「あたしと咲希がマイクで歌うから、あんたも一緒に歌いなさい」
「わかった」
「じゃあ、もう一回歌うわよ?」
彩乃がタッチパネルを手に取った時だった。
「置いてくとか酷くねぇ?」
日高が現れた。半袖のパーカーにジーンズというスタイル。日高の私服は設定していなかったが、こいつこんな服を着るのか。
「遅刻するのが悪い」
彩乃はバッサリ切り捨てた。
「天道でも?」
「玲なら待つに決まってるじゃん」
「差別だろっ!」
「当たり前じゃない。なんであんたが玲と同じになるのよ」
「ぶー、ぶー」
「日高くん、待たなくてごめんね」
「咲希が謝ることじゃないわよ」
そう言いながら、彩乃はもう一度曲を入れる。
「さぁ、歌うわよ」
一時間ほど経った頃、日高がうんざりした口調で話す。
「この曲、飽きた……」
「でも、今日はこのために来たんだし」
「金木はいい子ちゃんすぎるっ! 立花だって飽きたよね?」
「でも、それが目的だし……」
「いい子ちゃんかよぉ……」
日高はテーブルに突っ伏す。
「別にあんた帰っていいわよ」
「俺はカラオケに飽きたわけじゃないのっ! 俺にも歌わせてくれよっ!」
「僕たちの休憩がてら、歌わせてあげたら?」
「仕方ないわね。ほら」
彩乃が日高にタッチパネルを渡す。
「あざっすっ!」
日高は嬉々としてパネルを操作する。
「日高ってカラオケ好きなの?」
「俺はつまらないこと以外、全部好きだぜ?」
人生楽しそうだな、こいつ……。
「日高が羨ましいよ……」
「金木もこっち側にこいよ。楽しいぜ?」
「気が向いたらね」
日高は曲を入れると、マイクを持って立ち上がる。自分から歌いたいというだけあって、なかなか歌がうまかった。気持ちよさそうに熱唱しているな。
つまらないこと以外、全部好き、か。
自分のマンガという、たった一つの居場所に逃げていた頃の僕には、想像もできない言葉だ。
だけど。
今は日高や彩乃、そして何より、咲希との時間を楽しんでいるのも確かな事実だった。
そんな僕の思考を強い光が遮る。何事かと光った方を見ると、彩乃がスマホをこちらに向けていた。
「渉、笑いなさい」
どうやら写真を撮られたらしい。
「いきなり笑えって言われても」
「練習してるでしょ」
そう言われると頑張るしかない。僕は精一杯笑ってみせた。また目の前が明るくなる。
次に彩乃は、隣に座っていた咲希とツーショットを撮った。
僕に同盟を持ちかけた時は、彩乃は咲希のことをライバル視してたけど、今はどう思ってるんだろう? 彩乃の行動を見ながら、そんなことを考えた。
結局、僕らは三時間ほど歌って、退室することにした。
「写真送るから、グループ作りましょ」
彩乃が提案し、連絡先を交換していない者同士、登録をする。
「金木くんと交換するなんて、ドキドキするねっ」
「気持ち悪いからやめろ」
「これからチャットでいっぱい話そうね、エッチなこと」
「巻き込み事故やめろっ!」
咲希と彩乃が引いてるじゃないか。
「日高、あんまふざけてると、ガチでハブくからね」
「中野はわかってないな。男には抜ける場所が必要なんだよ」
「抜けるって、息を?」
咲希が質問する。
マズイッ!
「ナニのふがっ」
日高の口を勢いよく塞ぐ。
「なにの?」
咲希が繰り返す。
「た、立花さんは知らなくていいことだからっ!」
「『人間』、『去勢』っと」
彩乃が恐ろしいキーワードでネット検索してるっ!
「日高、いい加減にしろって」
「へいへい。今日はこのくらいにしておきますよっと」
じゃじゃ馬が過ぎる。
「日高、二十万だって」
「なにが?」
「手術費用」
「受けさせようとすんなよっ!」
「二人に謝りなよ」
「……悪ふざけが過ぎました」
僕の言葉を受けて、日高は咲希と彩乃に頭を下げる。
「ほんといい加減にしてほしいわ」
「わ、私は気にしてないから……」
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「なに言ってるの? お昼なんだし、ご飯食べていきましょ」
ファミレスに入り、みんなでメニューを眺める。
「咲希の好きな食べ物ってなに?」
「パスタとか」
「ぼ、僕も麺類好きなんだ」
「麺って美味しいよね」
「うん」
「俺は肉っ!」
「あっそ」
「金木、中野が冷たい」
「自業自得でしょ……」
「お肉もいいよね。私、ハンバーグも好きだよ」
「立花は優しいね……」
嘘泣きをしてみせる日高だった。
それぞれオーダーを済ませる。
「咲希と渉は曲覚えられた?」
「だいぶ掴めてきた気がする」
「僕も大体は」
「音に乗れるようになると、ダンスがグッと上手くなるから意識してみて」
「頑張る」
「わかった」
「次の練習が楽しみだな」
「あんたいい加減にしないと……」
「ちげーってっ! 普通に二人ともダンスが上手くなってそうで楽しみってことっ!」
「普段の言動のせいだろ……」
「俺が普段からふざけてるみたいじゃん」
「私は日高くんって面白くてすごいと思うよ」
「立花……。好きだ。俺と付き合ってく」
セリフの途中で、彩乃に頭を叩かれる。咲希を見ると顔が赤くなっていた。
「ひ、日高くん……急にそういうこと言われても……」
「日高のは本気じゃないから、真に受けなくて大丈夫だよ?」
「冗談でそういうこと言うんじゃないわよっ!」
「お前だって、天道にすぐ好きって言うじゃねぇか」
「あたしはいつだって本気なのっ!」
「彩乃ちゃんは真剣に恋してるんだね」
まだ頬が赤いが、咲希は落ち着きを取り戻したようだ。
「そうよ。本気の恋をしてるの。咲希にも絶対渡さないから」
「私は天道くんのこと好きじゃないよ?」
今は、まだ。
僕は心の中で言葉を続けた。
「わかってるわよ。私が言いたいのは、私は友情より恋愛を選ぶってこと」
「……彩乃ちゃんってキラキラしてる」
「そう?」
「うん。すごく綺麗」
咲希から褒められ、彩乃は顔を背けた。
「彩乃、もしかして照れてる?」
「うっさいっ!」
そう言うと、彩乃は髪の毛で顔を隠した。
「咲希、ありがと……」
彩乃は、小さな声でポツリと咲希にお礼を伝えた。
天道を好きになったことで女子との間に溝がある彩乃にとって、咲希の存在は僕が思ってるよりも大きいのかもしれない。二人のやり取りを見て、そんな風に感じた。
日曜はひたすら練習を繰り返した。曲を聴いて、動画を見て、踊る。彩乃からステップから先に覚えるといいと言われたので、まずは下半身の動きだけに集中して練習した。そのおかげで、ステップだけは詰まらずに踊れるようになってきた。
月曜になり、また咲希と一緒に練習しようと思っていたが、酷い筋肉痛に悩まされていた。
八年間、体育以外でまともに体を動かすことなどなかった僕にとって、ダンスはハード過ぎたのだ。痛みを無視して練習したのが良くなかったのかもしれない。全身が悲鳴をあげて、歩くだけでも辛い。
昼休みになり、みんなでご飯を食べる。
「渉、痛い時に無理して踊ると怪我に繋がるからやめなさいよ」
「ごめんね。私のために」
「立花さんが謝ることじゃないからっ!」
前のめりになるだけで体が痛む。
「今日は三人四脚の練習しない方が良さそうだな」
「ごめん……」
「気にすんなって。先週の時点で結構息あってたし」
「ダンスも中止にすんの?」
日高が聞いてくる。
「ダンスは練習しようよっ! 僕、平気だからさ」
「今日はあたしと咲希だけで練習するわ」
「そんな……」
「金木くんに無理はさせられないよ」
彩乃も咲希も僕に踊らせたくないみたいだ。正直、自分でも休むべきだと頭ではわかってる。だけど、力になりたい。
「この後、軽くでいいなら俺が付き合うよ」
意外な言葉が意外な人物から出てきた。天道だ。
「玲が?」
「ほんとーに軽くだけならね。立花さんが困ってるみたいだし」
「体は大丈夫なの?」
咲希が心配する。
「スローで踊るくらいなら全然平気」
「天道くん、ありがとう」
三人は食事を終えると等間隔で並ぶ。僕は再生速度を遅くして曲を流す。咲希も週末は練習したのだろう。一緒に練習した時よりも動きが良くなっている。彩乃は言わずもがなだ。
だが、一番驚いたのは天道の動きだった。完璧に振り付けを覚えている。しかも、動きがしなやかで洗練されている。こいつ、踊る機会もないくせに自主練してたのか?
踊り終えて、彩乃と咲希が天道を褒める。
「玲の動き、めっちゃ痺れたんだけどっ!」
「天道くん、すごい」
天道はわざとらしく肩で息をしながら、その場に座り込む。
「あー、もう限界……。立花さんは振り付けは結構覚えてきてるから、動きにメリハリをつけることを意識すると上手く見えるよ。呼吸の仕方で変わってくるから」
「ありがとう。意識してみる」
咲希と彩乃から離れて、天道が僕の隣に座る。
「咲希ちゃんって良い子だよな。真っ直ぐで一生懸命で」
咲希ちゃん? いま、こいつ咲希ちゃんって言ったか?
「俺がお前のライバルになるかもって言ったら、どうする?」
天道は不敵な笑みを浮かべながら僕を見た。
放課後、ホールでダンス練習をする咲希と彩乃を、日高がスマホで撮影している。
僕は三人から離れたところで、体育座りしていた。目は二人のダンスを追っていたが、その情報は脳に届かない。頭の中では、昼間の天道のセリフが何度も何度もリフレインしていた。
「俺がお前のライバルになるかもって言ったら、どうする?」
どう考えても宣戦布告だった。天道は咲希のことを好きになり始めている。天道が本気になったら僕に勝ち目はない。花火大会のシーンを思い返す。あの未来をどうにかして回避しなきゃ……。
僕は立ち上がると、咲希たちに近づいた。
「やっぱり僕も踊るよ」
咲希と彩乃が困ったように顔を見合わせる。
「気持ちは嬉しいけど無理しないで」
「そうよ。別に今日が最後の練習ってわけじゃないんだから」
「でもっ!」
「金木くん、何かあったの?」
「別に……」
「本当? 今の金木くん見てると」
「何もないってばっ!」
思わず声を荒げてしまう。咲希を傷つけたくなんかないのに。
「若者だから元気が有り余ってんだって。金木にも練習させてやろうぜ」
日高が僕の背中を軽く叩く。そのまま僕の耳元で囁いた。
「立花のこと困らせてどうすんだよ」
僕は精一杯笑顔を作る。
「無理はしないからさ。ステップだけでも一緒にやらせてよ」
「渉がそこまでやりたいなら、止めないけど……」
「……」
咲希は無言で俯いていた。
「じゃあ、スローで曲流すなっ!」
「日高、ありがと」
僕は日高に感謝すると、ポジションについた。
湯上がりに、自室でストレッチをする。少しでも早く筋肉痛を治さないと。
一緒に練習を始めてからは、咲希と一度も口をきけなかった。今日のことは、咲希の方が正しいのはわかってる。
でも僕には時間がないんだ。少しでも咲希の力にならなくちゃいけないんだ。じゃないと……。
それから金曜の放課後の練習が終わるまで、僕と咲希が言葉を交わすことは、結局一度もなかった。
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