第15話 立花さんに救われたからだよ
次の日から本格的に練習をするということで、その日は解散することになった。なにやら咲希と彩乃には準備が必要なのだという。それとクラスのグループチャットに、ダンス部が踊った動画がアップされているから見ておくようにと、彩乃から指示を出された。
夕食を作りながら、動画を再生する。アップテンポな曲だ。確かに三人が所々違う動きをしている。これは……思っていた以上に難しいかもしれない。だが約束したのだ。やっぱり出来ませんでしたと言うわけにはいかない。僕は何度も動画をリピートした。
入浴後、自室でストレッチをする。思ってた以上に体が硬い。だけど、このままでは、まともに踊ることすら出来ないだろう。咲希の力になるために踊るのだから、僕が下手なままではいられない。
ネットでダンスの基礎練習の動画を探して、練習を開始する。ぎこちなく踊っている自分を意識して恥ずかしくなるが、天道の言葉を思い出した。「恥ずかしく思うから恥ずかしく映るんだよ」そうだよ。堂々と踊ればいいんだ。しかし30分も基礎練習をした頃にはバテてきた。僕、体力無さすぎじゃないか……。
朝起きると外は雨だった。スマホで調べると、どうやら梅雨入りしたらしい。これじゃ練習できる日が少なくなるじゃないか。だいたい六月に体育祭ってどうなんだ。いやまぁ、そう設定したのは僕なんだけど。これからは雨が多くなるのだろうか。そうすると屋上が使えなくなってしまう。あれ? それって不味くないか?
学校へ着くと、彩乃に話しかけた。
「彩乃、おく」
すると彩乃は僕の口に手を当てた。
「渉、廊下に行くわよ」
僕は廊下に連れ出された。
「あんた教室で屋上のこと言わないでよ」
小声で嗜められた。
「ご、ごめん……」
「でもまぁ、あんたの気持ちはわかるわ。行くわよ」
「え? どこに?」
「部屋を借りによ」
彩乃が向かったのは職員室だった。
「失礼しまーす」
「失礼します……」
彩乃は愛花先生の席へと近づく。
「愛花せんせー。お願いがあるんですけど」
愛花先生が腕を組みながら、こちらを向く。
「澤井先生と呼べ。で、なんだ?」
「小ホールの鍵、貸・し・て」
「ダメだ」
「なんでよー」
「お前の頼み事は、いつも自分のことのためだからだ」
「今回は違うんだって、ほらっ」
そう言って僕を前へ突き出す。
「金木が必要なのか?」
「必要っていうか、そのいてっ」
彩乃が僕の背中を殴る。
「ひ、必要なんです」
「なんのために?」
「体育祭の練習です。立花さんのダンスの練習に付き合うことになって」
「練習って、お前らがか?」
「そうそう。咲希が体育の時間だけじゃ不安だからって」
「……」
「だ、ダメですか……?」
愛花先生は立ち上がると、収納箱から鍵を一本取ってきてくれた。
「汚さないこと。毎日鍵を返しにくること。いいな?」
「はい」
「やったー」
「ちゃんと立花のサポートをするんだぞ」
「わかってます」
「あったりまえじゃん」
「じゃ、行ってよし」
僕は頭を下げると、彩乃と一緒に職員室を出た。
昼休みになり、僕らは小ホールでご飯を食べていた。
「澤井先生が貸してくれたの?」
咲希が質問してきたので僕は頷く。
「体育祭の練習するって言ったら貸してくれた」
「愛花ちゃんっていい女だよなぁ」
「すけべ」
「天道だってそう思うよな?」
「えっ? 俺?」
「そうそう。男なら普通思うよな?」
「あぁ。まぁな」
「えーっ! 玲ってまさかの愛花せんせー推し?」
「いや、推しとかではないから」
騒いでる三人を無視して、咲希に話しかける。
「立花さん、練習頑張ろうね」
「色々してくれてありがとう。頑張る」
そう言って咲希は笑う。やっぱり咲希には笑顔が似合う。僕は咲希にはいつだって笑ってほしいと思った。
食事を済ませ、三人四脚の練習をすることにした。昼休みもダンスの練習をすることを提案したが、こっちの練習も大事だからと咲希に断られた。けれど、何度か往復すると二日目にしてだいぶスムーズに歩けるようになった。
「これなら本番は結構早く走れそうだね」
僕は手応えを感じていた。これならマンガのように転倒することはないだろう。
放課後になり、僕ら四人は小ホールへ再び集まった。しかし。
「日高、あんた帰りなさいよ」
日高が邪魔者扱いされていた。
「音楽かけたり、色々サポートする奴がいたほうがいいだろ?」
「日高の言うとおりだと思うけど」
「こいつが本当に、そんな気持ちでいると思うの?」
「えっ?」
僕が日高を見ると、わかりやすく目を逸らしていた。
「ボクハ、ミンナノヤクニタチタイダケダヨ?」
「どうせ、あたしと咲希のパンツでも見ようと企んでるんでしょ」
「ソンナコトナイヨ?」
「パンツ⁉︎」
「まぁ、あたしらスパッツ履いてるから見られても別にいいけど」
「はぁっ⁉︎ なんだよそれっ⁉︎」
「私は恥ずかしいんだけど……」
「仕方ないでしょ。体操服で練習したくても、着替える場所がないんだから」
「わかってる、けど……」
あー、恥ずかしがって、もじもじしてる咲希可愛いなぁ。
「はいはい。時間がもったいないから、練習始めるわよ」
まずはストレッチからだった。僕が片足の屈伸をしていると日高が上から体重をかけてきた。
「イダダダダッ!」
「金木って体かったいのな」
「じゃあ、日高やってみろよ」
日高が片足の屈伸をした時に同じように上から体重をかけた。
「イデデデデッ!」
「同じじゃないか」
「あんたたちバカやってんじゃないわよ。怪我しないためのストレッチなのよ?」
「日高のせいだぞ」
「金木のためにやってあげたのに」
「じゃ、練習するわよ。二人は振り付けどのくらい覚えた?」
「は、半分くらい……」
「僕は、昨日基礎練やってたからあんまり」
「渉、基礎練をやるのはいいことだけど、あと二週間しかないから、先に振り付けを覚えなさい」
「わかった」
「今日は共通パートをやることにするから、二人ともあたしの動きを真似してみて」
そして彩乃は日高に自分のスマホを渡した。
「あんたは撮影係」
「任されたぜっ!」
「言っとくけど、自分のスマホで撮影したら叩き壊すから」
「わかりました……」
「ひ、日高くん……。私のことはあんまり映さないでほしいな……」
「何言ってんの。上手くなるために撮るんだから、むしろ咲希がメインよ」
「そう、だよね……」
そうして僕らは練習を開始した。わかっていたことだが、僕は彩乃の動きに全然ついていけなかった。しかも基礎練と違い、10分踊るだけで、かなり体力を消耗した。
「ぜー……。はー……」
「渉、あんた体力なさすぎ」
「はい……」
「咲希、踊ってみてどう?」
「彩乃ちゃんの動きについていくので精一杯……」
「音楽にはノれてる?」
「聞いてる余裕ないかも」
「日高」
「ほいよ」
彩乃は先ほどまでの僕らの動きを分析する。
「咲希は体の動きが硬いわね。緊張してる?」
「うん……」
「緊張してると体の動きが悪くなってテンポが遅れやすくなるから。もっと踊ることを楽しみなさい」
「頑張ります」
「頑張るんじゃなくて、楽しむの。音楽に合わせて体を動かすって楽しいことなのよ?」
「彩乃ちゃんはそうかもしれないけど……」
「それと咲希。この曲のメロディ覚えてる?」
「……あんまり覚えてない」
「それも問題ね」
彩乃は考えこむ仕草をする。
「咲希、明日って予定ある?」
「特にないけど?」
「渉は?」
「僕もないよ?」
「なら決まりね」
「俺は?」
「明日、カラオケに行くわよ」
「えっ?」
「いきなりだね……」
「ねぇ、俺は?」
「メロディを覚えるだけでいいんだよね? それなら」
「カラオケが一番よ」
「僕も合唱大会の練習でカラオケ行ったけど、曲を覚えられたよ」
「金木くんまで……」
「あなたの歌声は素敵なんだから、恥ずかしがることないわよ。堂々と歌いなさい」
優しい声で咲希に話しかける。彩乃って普段勝気なのに、こういう時は優しい声出すのずるいよな。
「俺も行きたいっ!」
「うっさいわねっ! 好きにしなさいよっ!」
「やったぜっ!」
「じゃあ、今日の練習は終わり?」
僕が聞くと、彩乃は首を振る。
「まだ遅くないし、もう少し練習しましょ。咲希が踊るのに慣れるのにも、時間が必要だし」
そこから僕らは休憩を挟みながら、一時間ほど練習した。
「やっぱり……。制服は……。辛いわね……」
流石に彩乃もバテたようだ。床に寝そべってダウンしている。咲希もあひる座りをしながら、ハンカチで顔を拭いている。僕はといえば、今すぐにでもシャワーを浴びたい気分だった。
「スポドリ買ってきたぞー」
「あんがと」
「日高くん、ありがとう」
「ありがと」
日高からペットボトルを受け取ると、半分近く一気飲みした。
「生き返る……」
かなり汗をかいたな。自分の体を見ると、汗でYシャツが体に張り付いて、下着が見えていた。下着……。僕はゆっくり咲希の方を見た。
す、透けてる……。淡い水色の下着が見える……。僕は生唾をごくりと飲み込んだ。
「青春って、いいよな」
無駄に爽やかな声でそう言う日高を見ると、満面の笑みを浮かべていた。
「見るなっ!」
立ち上がると、日高の目をふさいだ。
「俺はただ青春の一ページをだな」
「嘘つくなっ!」
「なんでだよっ! 手伝ってるんだから、こんくらいいいだろっ!」
「ダメに決まってるだろっ!」
僕らが揉めていると彩乃が近づいてきた。
「あんたたち、何くだらないことしてんのよ……」
「中野っ! なんでお前ブラ見えないんだよっ!」
僕の拘束から逃れた日高が叫ぶ。
「中にTシャツ着てきてるからに決まってるでしょ」
「なん……だと……」
「咲希にも言っておけばよかったわね。自衛してくると思って、アドバイスしそびれたわ」
自分の下着が見られていると気づいた咲希は、両腕で必死に胸を隠した。
「わた、私……」
「安心して咲希。予備のTシャツ持ってきてるから貸してあげるわ」
「彩乃ちゃんありがとう」
「咲希が着替えるから、あんたたちは廊下で待機っ!」
僕らは廊下へと追い出された。
「金木って性欲ないん?」
二人っきりになった途端、何聞いてくるんだこいつは。
「そりゃ、あるけど……」
「好きな子の下着見えるとか、最高にテンション上がるだろ普通」
そりゃ僕だって、咲希で邪な気分になることだってある。でも。
「そういうのって、なんか違うじゃん」
「違うって、何が?」
「僕はもっと純粋に……」
「かーっ。何を言ってますかね、この子は」
「なんだよ」
「性欲って悪いものだと思ってるだろ?」
「そりゃ、まぁ……」
「好きな子とエロいことしたいって思うのは、健全な欲望なのっ! 人間が持っている本能なのっ!」
日高の言うことは一理あるのだろう。じゃなきゃ、人類は結婚して家族を作ったりはしない。それでも僕は、咲希をそんな目で見たくないのだ。僕にとって咲希は、そんなことだけの対象じゃないんだ。
「ということで、こっそり覗こうぜ」
「何が健全な欲望だって?」
彩乃の低い声に僕らは総毛立つ。扉の方を見ると、彩乃が恐ろしい形相で睨んでいた。
「変態っ! スケベッ! バカッ! アホッ!」
正座させられた日高は、彩乃から罵声を浴びせられていた。お説教というより、ただの悪口だな。スポドリを飲みながら二人を眺めていると、着替えた咲希が荷物を抱えて出てきた。
「お待たせ」
髪の毛がしっとりと濡れ、頬が上気している咲希がそんな言葉を口にする様は、とても扇情的だった。ペットボトルの底で自分の額を叩く。違うだろっ! 僕にとって咲希はそんなことだけの対象じゃないんだっ! 頭を冷やせっ!
「どうしたの?」
「暑いから頭を冷やしたくて」
「ごめんね。私に付き合わせちゃって」
「謝らないでっ! 自分で決めたことだからっ!」
「ありがとう」
「じゃあ僕は鍵を返しに行くから。立花さんは帰って大丈夫だよ」
「私のために借りてくれたんだから、私が返しに行くよ。金木くんこそ、帰って大丈夫だから」
「あたしはこいつの性根を叩き直すから、二人で返しといてくれる?」
彩乃が綺麗なパスを投げてくれた。これで咲希と二人っきりになれる。
「じゃ、じゃあ、一緒に返しに行こうか」
「うん」
そして僕らは連れ立って職員室へと向かった。薄暗い廊下を歩く。
「れ、練習してみてどうだった?」
「やっぱり、私はダンス下手だなって。でも」
「でも?」
「彩乃ちゃんが上手に踊るためのアドバイスを色々くれるから、やって良かったなって」
「そっか……。僕も力になれたら良かったんだけど……」
「何言ってるの? 全部、金木くんのおかげだよっ!」
「え?」
「練習しようって提案してくれたのも。彩乃ちゃんに頼んでくれたのも。部屋を借りてくれたのも。それに、一緒に踊ってくれた」
「それは……」
「金木くん、ダンスの経験ないって言ってたよね。それでも一緒に踊ってくれるって言ってくれたの、すごく嬉しかった」
廊下が暗くて良かった。今の自分の顔を咲希に見られなくて済むから。
「ねぇ。金木くんは、どうして私のためにここまでしてくれるの?」
「それは……」
きみのことが好きだから。だけど、僕がきみを好きになったのは。
「……立花さんに救われたからだよ」
「私が、金木くんを救った?」
きっとこんなことを言っても通じないだろう。だけど本当のことなんだ。僕がどれだけ咲希に救われたか。マンガを描いている時だけが、現実の辛さを忘れられた。この世界に来てからも、咲希は優しくて、温かくて。
「覚えてないと思うけど、そうなんだ」
「ふふっ。じゃあ、金木くんの恩返しなんだ?」
「そう。僕の恩返し」
「ありがとう」
「こちらこそ」
僕らはクスクスと笑いながら、廊下を歩き続けた。
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