第5話 こんなことなら勇気を出さなきゃよかった
教室に戻ると、アイデアを捻り出す。次のマンガのシーンは、合唱大会の練習をするところだ。それまでに自分に出来ることを考えなきゃ。
そこで、今朝の咲希との会話を思い出す。そういえば、「きみに贈る歌」の音源を探さなければ。昨日はそれどころではなかったが、流石に早く見つけないとまた咲希に気を遣わせてしまう。
しかし僕は音楽を聴く習慣はなく、イヤホンを持っていない。流石に教室で音楽を流すのは気が引ける。これは帰宅したらすぐやろう。他に、咲希との距離を近づけるために出来ること。
だが、散々頭を捻って思いついたのは、咲希の委員の活動のシフトを知るために、図書室に足しげく通うというものだった。本が好きであることもアピールできるし、一石二鳥に思えたのだ。
夕飯を作りながら、Metubeで使えそうな動画を探す。なるべく原曲に近いものを探そうとするも、歌ってみた動画が多くて、なかなか難しい。夕飯を作り終える頃に、ようやく公式PVのストーリー部分をカットしたものを見つけた。これならいいだろう。
クラスのグループチャットを開く。しかし、なんと書いて貼り付ければいいのかわからない。無言でURLだけ貼っても通じない可能性がある。それに失礼な奴だと思われはしないだろうか。そもそもグループチャットのルールを知らない。生まれてこの方、Lineaで父さん以外と会話したことがないのだ。
「合唱大会で歌う曲の動画です」
そう打ち込んで、その後にURLを貼り付けた。これなら無難だろう。けれど、クラスメイトの反応が気になり、しばらくチャットを凝視する。すると、すぐに天道からスタンプが返ってきた。その後も数人が反応してくれた。スタンプの中には意味がわからないものをあったが、ポジティブな反応だろう、きっと。
夕飯後、自室でタブレットを起動する。マンガの余白を活用するためには、内容を頭に叩き込む必要があると思ったからだ。合唱の練習シーン。そして本番のシーン。シーンを読み返して、僕はこの展開を、絶対に変えなきゃいけないと思った。このままじゃ、咲希がトラブルに巻き込まれてしまう。トラブルを回避するために僕に出来ること。それを見つけなくちゃ。
翌朝、教室に入ると、昨日と同じく咲希は読書をしていた。本当に本が好きなんだな。咲希はどんな本を読むのだろうか。せっかく図書委員にしたのに、好きな本も決めていないのは失敗だったなと頭の中で反省する。
咲希に話しかけようと彼女に近づく。しかし、挨拶をするだけだというのに、昨日と違って緊張が酷い。口の中から水分が抜け、喉が渇く。
マンガのキャラじゃないと思うだけで、ここまで変わるだなんて。
少しでも呼吸を楽にするために、ネクタイを緩め、ワイシャツの喉元をグイッと引っ張った。
よし、話しかけるぞっ!
「なぁ、金木」
突然予期しない方角から話しかけられた。驚き、体が硬直する。声がした方向に視点を移すと天道がいた。
「な、何……」
「動画、サンキュな。みんなに聞いてもらうよう、頼んどいたから」
たったそれだけのために呼び止めたというのか。しかも「頼んどいたから」って何だか上から目線な感じがして腹が立つ。
「どういたしまして」
僕はそう返すと、自分の席に座る。せっかく人が覚悟を決めたというのに、それを台無しにされたことに憮然とした。
「昨日も言ったと思うけど、今日から練習するから。男子のリードよろしくな」
リード? リードって何だっけ? すると咲希が本を置いて、こちらを向いた。
「私、自信ないから、迷惑かけるかもしれないけど、金木くんよろしくね」
そういえば、勢いでそんなことを言った気がする。だけど、リードだって⁉︎ 僕だって人前で歌う自信なんてない。というか、とてもじゃないが無理だ。そもそも歌うという経験自体がほとんどなかった。
それになにより、「きみに贈る歌」のメロディも歌詞も、ろくに覚えてない。
「こ、こちらこそ、よろしく……」
自分がどんな顔をしているのか、考えたくもなかった。
せめて歌詞くらい覚えようかとも思ったが、授業中にスマホを触るわけにはいかない。
休み時間になり、スマホで歌詞を検索する。当たり前だけど、メロディと一緒に見なければあまり意味がなかった。ただ、音源を探すために動画をいくつも再生したから、サビの部分だけは、かろうじてメロディを覚えている。
「いつもきみを想っているよ。どんなに遠く離れてもきみが好き。すぐに泣いてしまう弱虫の僕がきみにあげられるもの。それはただ一つこの歌だけ」
少しだけ自分の咲希への想いとシンクロする部分があって、ジーンときてしまう。今のところ、僕が咲希にあげられるものなんて何一つないんだけど。
昼休みが始まると、天道がクラス中に呼びかけた。
「みんな、昨日クラスのチャットでも言ったけど、放課後に合唱大会の練習をしたいと思ってる。部活ある人には申し訳ないけど、ちょっとだけ付き合ってほしい」
クラスのあちこちから、了解する旨の返事があった。こいつって人望あるよな……。迂闊にも感心してしまう。すると、中野が天道の元に駆け寄ってきた。
「ねっ、玲。あたし、昨日カラオケでめっちゃ歌ってきたんだよ? 偉くネ?」
「めっちゃやる気じゃん。サンキュ」
「ホントは玲と一緒にカラオケ行きたかったんだけどなぁ」
「門限厳しいんだって。ごめん」
「わかってるって。ワガママ言ってみただけ」
中野の好き好きアピールがすごい。近くで見てるだけの僕でさえ分かるんだから、天道も気づいてそうなもんだけど。って、それどころじゃなかった。さっさと昼ごはんを食べて、歌詞を覚えるのと、図書室に寄るというミッションがあるんだ。
学食でうどんを啜りながら歌詞を眺めたあと、図書室へと移動する。外からカウンターを覗いてみたが、咲希は座ってはいなかった。
それでも中にいる可能性が捨てきれず、僕は図書室へと入った。通路をざっと見渡してみたが、咲希はいないみたいだ。仕方なく、ラノベコーナーへと移動する。そこに置かれている本は僕が知っているものも多かった。この世界はやっぱり僕のマンガや、僕の知識を参照にしているのか。でも僕の存在自体はモブというのは、笑えない冗談だと改めて思った。
放課後になり、合唱の練習をすることになった。天道が音楽ホールを愛花先生経由で借りていたらしく、全員で移動する。咲希の様子を見ると顔がこわばり、色白の肌は若干青白くなっているように感じた。咲希も緊張しているのだ。歌うのが苦手とか、人前に立てないとか思っている場合じゃないと気づく。僕も咲希にあげられるものを見つけなければ。
音楽ホールに着き、みんなで壇上へと上がる。天道が音響設備の中から、モバイルスピーカーを取り出した。
「これってBluetoothで繋げるやつ?」
中野が天道に話しかける。
「そうそう。これとペアリングをすれば」
そう言って、スマホを取り出す。
「そ、それ、僕がやるよ」
僕は自分のスマホを取り出した。
「インストルメンタル版買ったんだ」
「マジか。気が利くじゃん」
もちろん僕は、天道に感謝されるためにこの役を買って出たわけではない。天道は合唱大会で指揮をやるが、モバイルスピーカーとの間に距離があって、本番で接続が切れてしまうのだ。
それでアカペラで歌うことになるのだが、そのために咲希が歌でリードしなければならなくなる。咲希を困らせるわけにはいかない。僕はそう考えたのだ。
自分のスマホとモバイルスピーカーをペアリングすると、音が出るのを確認した。
「じゃ、練習始めますか」
天道の言葉を皮切りに、みんなが等間隔で並ぶ。天道はみんなの前に立つと、大きな声で説明を始める。
「俺が指揮で立花さんと金木が男女のリードをやるから。歌詞をまだ覚えていない人は、スマホを見ながらでいいから歌ってみてくれ。全体で練習するのは二回しかないから、そこそこやる気出してほしい」
「そこそこでいいのかよ」
「そこそこでいいよ。楽しい思い出になるのが一番だろ?」
天道はそう言って笑ってみせる。
「立花さんと金木も前に出てきて」
僕と咲希はおずおずと前へ出る。一瞬、僕らの視線が交差する。お互いの緊張がひしひしと伝わるのを感じた。やっぱり怖い。でも頑張らなければ。
「金木くん、頑張ろうね」
僕は頷く。
頑張らなきゃ。頑張らなきゃ。頑張らなきゃ。
だが、結果は散々なものだった。
「あのさ……」
曲が終わると、男子から声があがる。天道は頷くと、僕に向かって話しかけた。
「金木、頑張ってくれたのはすごくありがたいんだけど、その……」
天道が言いたいことは、分かりきっていた。
「わかってる……」
そう答えると、後ろの方へと移動した。自分でも分かるくらい下手くそだった。声は上ずり、歌詞もうろ覚え。メロディともずれている。これでは、みんなの手本になんかなれない。
こんなことなら勇気を出さなきゃよかった。咲希の前で醜態を晒して、最悪だ。咲希はどう思っているだろうか。恐る恐る、咲希を見る。
しかし、僕の目に映ったのは天道が咲希に何か話しかけ、咲希が照れている光景だった。僕は二人の会話を聞く資格さえないのか。自分の惨めさを痛感していると、近くの女子たちがコソコソと話しているのが聞こえた。
「たまたまジャンケンに負けただけなのに、何あの感じ」
「玲くんが優しいからってそれにつけ込んで」
「ちょっと可愛いからって、勘違いしてんじゃないの」
咲希に対する露骨な悪口だった。驚いて女子たちを見ると、お団子ヘアーとショートヘアーとミニボブの三人組だった。天道の親衛隊だ。名前は、松井、堀口、伊藤。
天道のことを見守っていて、天道に近づく女子に牽制する三人組。中野とは犬猿の仲。咲希のことを敵視するのはもっと先の話だと思っていたのに、この時点で陰口を言っていたのか。
自分が生み出したキャラクターながら、嫌いだと心底思った。自分が天道への感情とはまた違った嫌悪感を抱いているのがわかる。
「もう一回、通しで練習しよう。金木、頼む」
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