第4話 僕にもチャンスがあるんだ

 電車で学校へと向かう。一晩考えたが、そもそも、咲希を諦めないとしても、咲希との距離をどう詰めたらいいのか思いつかない。

そういえば咲希とは連絡先を交換しているんだった。Lineaを立ち上げると、咲希のアイコンをタップする。中心が淡い黄色の小さな白い花。見たことのない花だった。

画像検索をしたところ、プルメリアという花らしい。ハワイなどで咲いていて、「神が宿る花」と言われている。花言葉は「気品」、「陽だまり」、「内気な乙女」。とても彼女に似合っていると感じた。もっとも僕は、ハワイといえば、「アロハ」という挨拶があることしか知らないけど。

 咲希にメッセージを送ってもいいのだろうか? 連絡先を交換してくれたということは、僕に知られるのが嫌じゃなかったってことだよな。勇気を出して送ってみようか? でもなんと送ればいいのだろう。

結局、文面を考えている間に最寄駅へ着いてしまった。仕方なく、スマホをポケットにしまう。現実では学校へ行くのは苦痛でしかなかったが、この世界には咲希がいると思うと足取りも軽くなる。

教室に入ると、自然と咲希に視線が吸い寄せられた。美しい姿勢で本を読んでいる。気品ただよう内気な乙女のその姿は、切り取るだけで芸術になると感じた。咲希に近づくと、深呼吸をする。

「さ、咲希……」

 咲希は本を読むのを止め、僕を見上げる。

「あ……。あ、アノハッ!」

 話しかけるつもりが、ハワイの挨拶になってしまった。しかも間違ってるし……。けれど、咲希は小首を傾げながらも挨拶を返してくれた。

「アロハ……?」

 ちょっと戸惑いながらも、僕に合わせてくれる姿がものすごく可愛い。好きだ。

「えっと、その……」

 でも言葉が続かない。会話が紡げない。

「金木くん、曲見つかった?」

 困っていると、咲希の方から話題を振ってくれた。

「曲?」

「『きみに贈る歌』の音源だよ。昨日、クラスのグループチャットに貼られなかったから」

 しまった。完全に忘れていた。

「いや、あの、なかなか良い動画が見つからなくて……」

「私も探すの手伝おうか?」

「だ、大丈夫っ! 今日中には見つけるからっ!」

「わかった。でも、困ったらいつでも言ってね」

 なんて良い子なのだろう。大好きだ。僕は大きく息を吸う。

「あの……。ぼ、僕とつ」

 その瞬間、背中に強い痛みを感じた。

「いたっ!」

 誰だ、人の大事な瞬間を邪魔したのは。そう思って振り返ると、日高がこっちを見て笑っている。その笑顔はなんというか、何かを押し殺したような表情だった。

「金木、ちょっと話があんだけど」

「今はちょっと……」

「いや、まーじで大事な話なんよ。今すぐじゃなきゃダメなの。頼むわ」

 そう言って手を合わせる。そこまでされては、むげにもできない。

「わかった……」

「じゃ、ちょっと移動しようぜ」

 そう言って教室を出て行こうとする日高について行く。どこまで行くのかと気になっていたら、人気のない階段下まで連れてこられた。

「大事な話って何?」

 僕が聞くと、日高は肩を震わせながら聞いてきた。

「か、金木……。さっき立花に告白しようとしたろ……」

「な、なんで……」

 そう答えると、日高は爆笑する。バカにされたように感じて、思わず顔が歪む。それを見た日高は笑うのをやめた。

「いやー悪い悪い。別にバカにしたわけじゃないんだって。マジで」

「じゃあ、なんで笑うのさ」

「朝っぱらから教室で告るのが面白すぎたから」

「やっぱりバカにしてるだろっ!」

 日高はまた笑い出した。こいつ……。日高の性格を思い返す。快楽主義の刹那主義。面白いことが大好きなトリックスター。なんて厄介なやつに、厄介なことを知られたんだ。

「怒るなよ。むしろこっちは感謝してほしいくらいなんだぜ?」

「なんで?」

「あのまま告ってたら、黒歴史確定だったから。ってか、ちゃんと名乗ったことなかったな。俺、日高」

「黒歴史……」

「だってクラスメイトがいる中で告白されても、向こうも困るだろ」

「う……」

 それは確かにそうだ。僕が咲希の立場なら耐えられないだろう。危なかった。

「ってか、そもそも勝算あったのか?」

「……」

 冷静に考えたら自明のことだった。あるわけがない。昨日が初対面みたいなものなんだ。我ながら暴走しかけてた。

「ありがと……」

「マンガじゃないんだから、手順踏もうぜ」

 そう言って日高は僕の肩を叩く。マンガじゃない。その言葉に衝撃を受けた。そうだ。昨日思い知ったじゃないか。この世界は僕のマンガを参照にしただけで。この世界自体はマンガじゃない。

マンガじゃないんだ。僕は目が覚めた思いだった。

「ありがとう、日高」

「なんで二回?」

「二回、お礼が言いたくなったから」

「じゃあ、そろそろホームルームも始まるし、教室戻ろうぜ」

 だけど……。この世界がマンガじゃないというなら……。僕は、僕のままで、何ができるというのだろう。

 色んな先生が教室に入っては授業をし、出ていく。しかし、頭の中には何も入ってこない。今までこの世界のキャラクターを、マンガの登場人物としか見てなかった。だからこそ咲希にも話しかけることができたし、告白しようともした。

でもその前提が崩れるなら、僕は咲希のことを咲希と呼ぶことも気が引ける。初対面の女の子を、いきなり下の名前で呼んでいたのかと思うと、顔から火が出る思いだった。

 咲希にはそんな僕がどう映って見えたのだろう。嫌がられていないだろうか。馴れ馴れしいやつだと思われていないだろうか。考えるほどに、自己嫌悪の渦に飲まれていく。

自分の世界に閉じこもっていると、誰かが僕の名前を呼んだ。

「金木くん」

 声のした方を見ると、咲希が心配そうな顔をして見つめていた。

「金木くん、大丈夫?」

「どうして?」

「午前中ずっと、元気がなかったから」

 午前中ずっと。午前中、ずっと。それはつまり、午前中ずっと僕のことを気にかけていてくれたということか? 僕の脳細胞がようやく動き始める。

「だ、大丈夫。ちょっと考え事してただけだからっ!」

「何か悩み事?」

 咲希は小首を傾げる。咲希の態度は自然体で、心から僕のことを心配してくれてるのだと感じる。

「いや、そういうんじゃなくて……。ううん……。実はそうなんだ……」

 思わず本当のことを口にした。咲希を前にすると虚勢を張らなくてもいいような、ダメな自分でも許してもらえそうな気持ちになる。不思議だ。

「私でよければ、話聞こうか?」

 咲希は優しく微笑む。その表情に、僕の胸は狂おしいほどに切なくなった。思わず泣きそうになるのを必死で我慢する。咲希に僕のことを知ってほしい。だけど、今はダメだ。

「そこまで深刻じゃないから大丈夫。でもありがとう。……立花さん」

 僕はそう言うと立ち上がる。

「それならいいんだけど……」

 咲希はまだ引っ掛かっているようだが、今、相談に乗ってもらったら余計なことまで口にしてしまいそうだ。

周りを見るとお弁当を広げているクラスメイトが散見された。どうやら今は昼休みらしい。そういえば咲希も午前中と言っていたっけ。お腹はあまり空いていないけど、何か食べよう。

「立花さん、本当にありがとう」

 そう言うと、学食へと向かった。

 学食でかけそばを啜りながら、咲希のことを考えていた。馴れ馴れしく下の名前で呼んでいたことも気にせず、優しく接してくれた咲希。まるで四月の陽だまりのようだ。

そんな咲希なら、僕を許してくれるんじゃないかと思ってしまった。そんなことはないのに。僕は許されちゃいけないのに。そう自分を戒める。

そばを食べ終わり、時計を見る。昼休みが終わるまではまだ時間がありそうだ。教室に戻っても手持ち無沙汰だな。図書室でラノベでも借りてこようか。学食の隣に図書室があったことを思い出し、そこへと向かうことにした。

 図書室に入り、僕は驚いた。受付に咲希がいたのだ。そういえば、咲希を図書委員にしていたのを思い出す。

「た、立花さんって、図書委員だったんだね」

 僕は知らないふりをした。

「うん。本が好きなの。空想の世界に浸るのが好きで。自分じゃ体験できないことを知れたり」

「ぼ、僕もっ!」

 僕は空想の世界に逃げたくて、マンガやラノベを読むようになった。そのうち自分の理想の世界を描きたくなって、マンガを描き始めた。そんな自分と咲希との間に共通点があることが、すごく嬉しかった。

「立花さんはどんな本がっ!」

「図書室では静かに」

 僕が前のめりになり、大きな声で咲希に話しかけるも、司書らしき人に怒られてしまった。

「すみません……」

 司書に頭を下げて謝ると、咲希の方を向いた。

「立花さんもごめん」

「私の方こそごめんなさい」

 足早に図書室を出る。僕は咲希が図書委員という設定について考える。確かに、咲希を図書委員にした。だけど、図書室のシーンを描いた覚えはない。

 そして咲希に教室で話しかけられたことを思い出す。そもそもモブである僕と咲希が会話するシーンなんて、マンガに存在するはずがない。

 自分が重要な真実に近づいている気がして、心臓が早鐘を打った。

 日高の言葉を思い出す。

「マンガじゃない」

 天道と咲希を中心としたイベントはマンガの展開をなぞっている。でもこの世界には、マンガのコマとコマの間の余白が確かに存在している。

 そして、その余白でなら僕は自由に行動できる。咲希と会話することもできる。もしかして、余白で僕が頑張れば咲希と仲良くなることもできるのでは? そしてゆくゆくは。

 廊下の真ん中だというのに、思わず頬が緩む。僕にもチャンスがあるんだ。そう考えると、興奮が止まらなかった。

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