第3話 咲希だけが僕の希望
天道玲。中性的な顔立ちで容姿端麗な男装女子。中学までは女子の格好をしていたけれど、そのルックスと性格で同性からとっても人気で、女子からガチ告白されたこともある。そんな中で、女子を好きになるようになり、高校から男子のフリをするようになった。
170センチと高身長で成績優秀、男装しているから体育は休んでいるけれど、本当はスポーツも万能。そしてクラスのムードメーカー。自分でも盛りすぎだと思う。でも理想のヒロインである咲希に似合うのは、そんな人間であって欲しいと思ったのだ。女子だけど。
天道を女子にしたのは、別に百合好きとかではなく、恋愛において大きな障害を一つ設けたかったからだった。だけど、そんな相手が自分のライバルになるのかと思うと、先ほどまでの嫉妬心も萎びてしまう。天道より身長も低く、優っているものなど一つもない。いや、画力だけは僕の方が上だろうか。
そこでハッとなる。マンガの内容通りに物語が進行するなら、マンガの内容を書き換えてしまえばいいのでは? いそいそとカバンからタブレットを取り出す。そこで画面がバキバキに割れているのに気づいた。
「嘘……」
きっと不良に突き飛ばされた時だ。僕は恐る恐る、スリープ状態を解除する。すると画面が点灯した。アプリを立ち上げると、僕が描いたマンガが表示される。スワイプをすると、ページが切り替わる。よかった。壊れてはいないみたいだ。
「うっわ。画面バッキバキじゃん」
突然の声に驚き、前を向くと、天道がこっちを向いていた。天道の言葉に釣られ、咲希も振り返って僕のタブレットに視線を落とす。
「壊れちゃったの?」
二人にマンガを見られるわけにはいかない。慌ててスリープモードにすると、カバンの中にタブレットを突っ込んだ。
「い、いや……。一応動くみたい……。はは……」
「じゃあ、ギリギリセーフって感じか。よかったな」
「よくはないんじゃないかな……」
「そうだ金木。放課後って空いてる?」
「空いてる、けど」
「さっき立花さんと話したんだけど、放課後に打ち合わせしようって流れになって」
僕が考え事をしている間に、そんなことになっていたらしい。抜け駆けをされた気分だった。
「わかった」
悔しさを隠しながら了承すると、天道はニカっと笑う。まるで太陽のような笑顔だ。
「よろしくな」
こいつムカつくくらいイケメンだな。本当は女子なのに。
「金木くん、一緒に頑張ろうね」
はにかむ咲希はまるで天使のようだ。いや、もはや女神のようにさえ感じる。
「よ、よろしく……」
それに対して、僕はガッカリするくらい冴えていなかった。自分で自分が嫌になる。コミュ力なさすぎだよ……。落ち込んでいるとチャイムが鳴った。
教師が入ってきて授業が始まる。ノートを開くと、授業を聞かずに、あらすじを考え始めた。どうすれば、咲希から天道を引き離すことができるだろうか。現状、モブである僕が咲希と付き合うことはできるのだろうか。
序盤の展開を変えれば、あとは勝手に変わっていくのか。それとも全て書き換える必要があるのか。どちらにせよ時間がかかる。まずは今日以降の展開を考えよう。僕は放課後までずっと、あらすじを書いては消してを繰り返した。
最後の授業が終わり、愛花先生が教室に入ってくる。
「それじゃ、今日は終わりだな。お前ら気をつけて帰れよ」
数人が、「はーい」と間延びした返事をする。委員長が号令をかけ、放課後になる。
「じゃ、打ち合わせしようか」
早速、天道が僕たちに話しかけてきた。
「よろしくお願いします」
「よろしく……」
「まずはクラス全体で練習するのに必要なものを考えていこうか」
天道はそう言うと、腕を組んで思考を始める。
「歌詞、音源、練習時間と場所の確保、音響設備、それにリードもいた方がいいかも」
淀みなく必要なものを挙げていく。思わず、放課後までの間に考えていたんじゃないかと邪推してしまう。咲希はいつの間に準備していたのか、手元のノートに天道が列挙したものをメモしていた。曲を決めた時のシーンがデジャブする。また何も貢献できていない。
「ぼ、僕は何をしたらいいかな?」
「そうだな。なら金木はMetubeで曲を探して、クラスのグループチャットにリンク貼ってくれないか?」
スマホをポケットから取り出し、検索する。マンガの中では大ヒット曲なだけあって、検索結果は膨大だった。検索のトップには、公式のものであろう動画が表示されている。
「公式のでいいかな?」
「公式のMVはストーリーがあって、長めなんだよ。だから公式以外で探して欲しいんだ」
「わかった。後で探してみる」
そこでふと疑問が湧いた。そもそも僕は、クラスのグループチャットに入っているのだろうか? 僕はLineaを起動する。しかし、そこに表示されたのは父さんだけだった。
「あの、僕、クラスのグループに入ってないみたいなんだけど……」
「えっ」
天道と咲希の驚いた声が重なった。
「初日にみんなで交換した気がしたんだけどなぁ」
「金木くん、私が招待するね」
咲希はそう言うと、スマホを取り出し、操作を始める。咲希の優しさが心にしみる。咲希はQRコードを表示させると、僕に差し出してきた。
「はい」
コードを読み込むのってどうやるんだっけ? 父さんとしか交換した事がないから覚えてない。慌てながら、あちこち操作し、ようやく読み込みモードを起動した。ピロンという音がして、僕のLineaに咲希が登録される。
咲希のアイコンは可愛らしい小さな花の画像だった。控えめな咲希の性格が出ていて、とても良いと思う。続いて、クラスのグループチャットに招待されたという表示が出た。
「これで大丈夫だね」
咲希が小さく笑う。そこで遅まきながら、自分が咲希の連絡先を手に入れたことに気づいた。すごい! すごいぞ! 内心で興奮している僕をよそに、天道が咲希に話しかける。
「それでリードなんだけど、立花さんやってもらえないかな?」
「リードって、歌でみんなを引っ張るってことだよね?」
「そうだね」
「私、みんなの前で歌うのは……。天道くんの方が向いていると思うけど」
「いやー、出来るならやりたいんだけど、俺って体育休むくらい体が弱いじゃん? 肺活量もなくてさ」
男装しているのを隠すための嘘なくせに白々しい。天道の嘘に腹を立てていると、天道は思いがけない行動をとった。咲希の手を両手で包み込んだのだ。
なっ⁉︎ 目の前の光景に驚き、声を失う。
「お願いできないかな? ね?」
そう言って最高の笑顔を見せる。イケメンスマイルは輝度が高すぎて、目が開けられないほどだった。ま、眩しい。眩しすぎる。僕が目を閉じている間に、迷っていた咲希が口を開く。
「……わ、わかった。自信ないけどやってみる」
「サンキュ」
天道は咲希の手を離していたが、咲希の色白の肌は真っ赤に染まっていた。ゆ、許せない。今更、マンガと同じシーンだったことを思い出したが、それでも許せなかった。
目の前で天道と咲希の距離が近づく様を見せつけられるのは、耐えられなかった。
「ぼ、僕もリードやるよっ!」
自分がここにいることをアピールするために、大きな声で主張した。
「助かるよ。男子もいた方が練習上手くいくと思うから。二人が頑張ってくれるなら、他は俺がやるから任せておいて。明後日の放課後くらいから練習できるようにするよ」
「ありがとう」
「……わかった」
「じゃ、今日は解散ってことで。金木、曲の検索よろしくな。立花さんもリードよろしく」
天道はそう言うと、カバンを掴んで教室を出て行った。教室に僕と咲希だけが取り残される。いつの間にかクラスメイトたちは、全員教室からいなくなっていたらしい。
「それじゃあ、私たちも帰ろうか」
咲希の言葉に心臓がドクンと高鳴る。それは一緒に下校できるということだろうか? とても魅力的な言葉だったが、断腸の思いで断る。
「僕はちょっと用事があるから、もう少し教室に残るよ」
「わかった。じゃ、また明日ね」
咲希はカバンを両手に持つと、教室を出て行った。咲希が視界から消えたのを確認して、カバンからタブレットを素早く取り出した。すぐにでもマンガの展開を変えなければいけない。これ以上、天道の好きにはさせない。
机の上にタブレットを置き、スリープを解除する。僕はペンを持つと、先ほどの展開が描かれたページを表示させ、絵を消そうとした。
だけど、絵は消えなかった。どうして? 仕方がないからページごと消そうとしたが、それでも消えることはなかった。指ならどうかと試してみたが、やっぱり消すことはできない。ページをスワイプさせることはできるから、接触不良は考えにくい。
試しに他のアプリを起動してみる。電子書籍のアプリは普通に起動し、読みかけのマンガが表示される。タブレットが壊れているわけではないみたいだ。イラストアプリをまた立ち上げ、今度は新規のページを開いて、絵を描こうとするが、描くこともできなかった。
これはマンガの展開は変える事ができないという、何かの意思とでもいうのだろうか。僕がマンガの世界に来れた事自体が、不可思議な事象なのだ。他に不思議な事が起きてもおかしくはないが……。
だけどそれは、僕が咲希と付き合えないということを意味することになる。僕はショックで呆然となった。黙って画面をじっと見つめていると、タブレットの画面が消灯した。あらすじを書いたノートに視線を向ける。なんとかして展開を変えたいと思っていたのに。
僕は脱力し、何も考えることができなくなった。教室の外でカラスの鳴く声がする。ふと窓を見ると、陽が落ちかけていた。
「金木」
突然名前を呼ばれ、体がびくりとなる。声の主を見ると、愛花先生だった。
「愛花……先生」
「澤井先生と呼べ。まったくどいつもこいつも」
愛花先生はため息をつくと、僕に近づいてくる。
「用事が終わったら、家に帰れ。そろそろ部活も終わる時間だぞ」
先生の言葉に、思考が回っていない僕は思わず質問してしまった。
「先生、僕ってどこに帰ればいいんですか?」
職員室でパソコンを操作する愛花先生を、僕は窮屈な思いで見つめる。他の先生がチラチラと僕を見てくるその視線が痛かった。愛花先生は紙に僕の家の住所を書くと、差し出してきた。
「ほら。お前の家の住所だ」
「すみません……」
「何かあったのか?」
「え?」
「合唱委員になろうとしたり、住所忘れたり。いつもと様子違うからな。気になったんだ」
「い、いえ。特には……」
先生と目を合わせていると、心の中を読まれそうな気がして、僕は手元の紙に視線を移す。
「僕の家だ……」
現実の僕の住所と全く同じ場所がそこには記されていた。愛花先生は大袈裟にため息をつく。
「そりゃそうだろ……。金木、記憶喪失とかじゃないだろうな?」
「ち、違います。面倒をおかけしてすみませんでした」
頭を下げると、足早に職員室から出て行った。
電車のドアに背を預けながら、考える。僕は僕のようなキャラを設定していないし、まして住所なんて考えていない。それでも僕には家があるという。もしかして、クラスメイトも同じなのだろうか。電車の中を見る。高校生、サラリーマン、高齢者。様々な人が乗っている。この人たちにも名前があって、帰る家があるのだろうか?
果たしてそれは僕が描いたマンガと言えるのか? この世界は僕のマンガを参照してるだけなんじゃないか?
だが今は、この世界の謎よりも、自分の家を確かめることのほうがずっと気になっていた。
マンションのエントランスの前に立ち、鍵を差し込む。鍵を回すとガチャッという音が鳴り、ロックが解除されたのがわかった。不安な気持ちを抱えながら、エレベーターに乗り込む。エレベーターから出ると、702号室の前に立つ。恐る恐る鍵を差し込んで回すと、ガチャリと音がした。唾を飲み込むと、家の中へと入る。
3LDKの間取り。家具の形も色も配置も、僕の記憶と全く一緒だった。キッチンに視線を移し、二人分の食器が水切りラックに置かれているのに気づき、自分の不安が的中したのを確信する。それでも一縷の望みを抱きながら僕は、妹の陽菜の部屋のドアを開ける。しかし、部屋は八年前のままだった。
そして僕は悟った。僕というモブの設定は、現実と全く同じだと。
長いこと制服のままでベッドに横たわっていた。タブレットを手に取ると、イラストアプリを起動する。液晶が割れているせいで見えづらかったが、それでも咲希の表情はわかる。画面をスワイプする。恥ずかしがる咲希。はにかむ咲希。大笑いする咲希。悲しそうな顔をする咲希。僕が三年かけて築いたもの。
そして、今日出会った咲希のことを思い返す。僕を心配してくれた咲希。黒板に板書する咲希。赤面した咲希。また明日と言ってくれた咲希。
諦めたくない。諦めることなんてできない。でもどうしたら……。
妙案が浮かばず、ため息をつく。すると玄関のドアが開く音がした。
父さんが帰ってきたんだ。夕飯の準備を何もしていないことを思い出し、慌てて部屋をでる。
「父さん、おかえり」
現実と違わない姿の父さんが、リビングに立っていた。
「制服のままなんて珍しいな」
僕が着ている制服は現実と違うものなのに、父さんはそれに疑問を抱かない。現実と違わないように見えても、父さんはやっぱり、この世界の父さんなのだ。
「ごめん、夕飯の準備してなくて」
「別に構わないさ。むしろ毎晩作ってくれて感謝しているよ」
炊飯器を見ると、予約機能で自動的にご飯は炊けているみたいだ。冷蔵庫を開けると野菜と豚肉があったので、簡単な炒め物を作ることにした。調味料の位置も記憶のままだ。生活を送る上で、何も知らない不審者にならなくて済むのはちょっとだけありがたかった。炒め物を大皿に移すと、テーブルへと持っていく。もう一品欲しくて、冷蔵庫から納豆を取り出した。
着替えた父さんと食卓を囲む。僕はご飯を食べながら、明日からどう行動すればいいのかを考えた。咲希が天道のことを気になり始めたら勝算はない。なるべく早く行動しなくちゃ。だけど、どうしたら……。そんなことをぐるぐると考え込んでいると、父さんに話しかけられた。
「なぁ、渉」
「どうしたの?」
「今日、母さんの見舞いに行ってきたんだが……。あんまり具合が良くなくてな……」
浮ついた思考が、一気に吹き飛んだ。
「五月だからだろうな。どうしても思い出してしまうらしい。先生も力を尽くしてくれてはいるみたいだが……」
そうだ。今日は五月二十九日だった。五月……。陽菜の命月……。あんなに優しかった母さんの心が耐えられるはずがなかったんだ。僕のせいで陽菜が……。僕の心は闇の奥底へと沈んでいった。
「渉のせいじゃないからな?」
力強い父さんの言葉で、僕は現実に戻った。
「陽菜のことも、母さんのことも。渉のせいじゃないからな?」
「ありがとう、父さん……」
上辺だけの感謝を口にする。だって、そんなふうに思うのは無理だよ。父さん……。
夕飯を食べ終えた僕は、シャワーを浴びると、布団へと潜った。これじゃ現実と何も変わらない……。僕の罪も罰もそのままだ。
その瞬間、脳裏に咲希の顔が浮かぶ。咲希だけが僕の希望。この世界に来た唯一の意味。もしも咲希が天道と付き合うのを目の前で見せられたら、現実以上の地獄が待ってる。そんなの耐えられるわけがない。なんとしてでも咲希を手に入れなくちゃ……。
けど。そもそも僕に幸せになる資格なんてあるのだろうか……。わからない……。わからないよ……。
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