第2話 だってこいつは女子なんだから
「クラスメイトをモブ呼ばわりは酷いだろ。えっと……」
天道は困ったように僕を見る。お前も僕のこと知らないんじゃないか。
「金木くんだよ」
天使が現れた。もちろん咲希だった。咲希は僕のことを知ってくれているのだ。
「あの、僕の……席って……」
本当は、自分が何役なのかと聞きたかったが、思いとどまる。
「私の後ろだよ」
咲希の後ろの席は確かに空席だった。マンガの内容を思い出すが、咲希の後ろにネームドキャラは座っていなかった気がする。すると、本当に僕はモブということだろうか? そこに座ってしまったら、自分から認めることになりそうでためらわれた。
チャイムが鳴り、女教師が教室に入ってくる。外ハネボブの美人ということは、澤井愛花先生だろうか。
「金木、席につけ」
周囲を見ると、他の生徒は全員着席していた。仕方なく、咲希の後ろに座る。
「今日は全員、朝から揃っているな。いい心がけだ」
目の前に座っている咲希の後ろ姿を見つめる。せっかくマンガの世界に来れたというのに、ただのモブだなんて、とてもじゃないが受け入れられない。
「じゃあ、授業を始めるぞ。今日はロングホームルームだな」
僕はマンガの展開を思い出す。今日の内容といったら。
「来週に合唱大会があるのは覚えているか? 今日はその委員を決めてもらう。男女で一人ずつな」
やっぱりそうだ。マンガだと咲希と天道が委員になって、二人の距離が近づくきっかけになる。だけど、天道はジャンケンで負けて委員になった。ここで僕が志願すれば、展開が変わるはず。
「選び方は自分たちで決めろ。とりあえず男女で分かれるんだな」
愛花先生の言葉を皮切りに、男女それぞれ集まる。
「合唱委員とかダルいよな」
「誰かやりたい奴いる?」
「ジャンケンでよくね?」
そこで僕は手を挙げる。男子たちの視線が集まり、気後れする。こんなに注目を浴びたことなど、いつ以来だろうか。
「ぼ、僕……やりたい、です……」
「おっしゃ」
「金木、だっけか? サンキュー」
これで展開が変わるはず。咲希と一緒に委員になれると思うと、嬉しさで頬が緩みそうになり、顔を見られないように下を向く。
「あのさ、俺も委員やりたいんだけど」
予想外のセリフに驚き、顔を上げる。
「天道もやりたいの? 物好きだなぁ」
天道だって? ジャンケンで仕方なく委員になったのに、どうして。
「いやー、こういうのも青春かなぁって」
「くっさ」
「嫌味なく聞こえるとか、イケメンってずるいわ」
「ハハッ」
「でも委員は一人だけなんだろ? どっちがやんのよ?」
「金木、ジャンケンで勝った方でいいか?」
「……わかった」
「ジャンケン、ポン」
天道がパーで、僕がグー。つまりマンガの展開通り、天道が委員になるということ。
「お、おかしいよ……」
自分の声が震えているのがわかる。天道の目を見ることすらできない。
「何が?」
「だって、本当は委員なんてやる気なかったはずだよ……」
「そんなこと言われてもなぁ。やりたいと思ったんだから仕方ないだろ?」
「おい、金木」
「なになにー、どしたん?」
いつの間にか、彩乃が天道の横にいた。
「男子は誰になった感じ?」
「天道がジャンケンに勝ったんだけど、金木が納得しなくて……」
「えーっ! 玲が委員なのっ⁉︎ 知ってたら、あたしもやったのにっ! 立花さんになっちゃったよっ!」
「ぼ、僕が最初にやりたいって手を挙げたんだ……。だから……」
中野が冷たい目で僕を見る。
「は? 負けたなら、素直に諦めなよ」
諦める? 僕が? 咲希を?
「嫌だっ!」
男子たちが、めんどくさそうに僕を見ているのがわかる。たかが合唱委員ごときでと思っているのだろう。だけど、僕にとっては違うんだ。僕にとっては……。
「はいはーい。んじゃ、金木には、サポート役やってもらうってことでどうよ?」
軽い感じで男子の一人が提案する。その男子はアップバングショートの髪型で、ヘラヘラと笑っていて軽薄な印象だ。こいつもしかして、日高千晃か?
「千晃、ナイスアイデア」
「それでいいっしょ」
「金木、それで納得してくれるか?」
「……わかった」
「それならあたしもやりたいっ! いいよね玲?」
「うるさいぞ中野」
気がつけば、愛花先生が僕らのそばにいた。
「金木、行事に積極的なのはいいが、自分の気持ちを周りに押し付けるのはダメだ」
「すみません……」
「ただ、珍しくお前が自分の意見を口にしたんだ。私はそれを尊重したい。だから例外として、委員のサポート役を認める」
「あたしはっ?」
「お前は下心だろ。ダメだ」
「むー。下心じゃなくて恋心だしっ」
「はいはい」
そう言うと、愛花先生は教壇へと戻っていった。先生は戻る途中でこちらを振り返り、僕と目が合う。すると先生は、僕に向かって微笑んでくれた。その表情はまるで頑張れと言っているようで。誰かから自分の気持ちを応援されたことなど、いつ以来だろうか。胸に熱いものが込み上げる。
「金木、改めてよろしくな」
天道とよろしくするつもりはなかった。だけど、ここで無視したら印象悪いよな。
「よ、よろしく……」
次の瞬間、背中に強い痛みと衝撃を感じる。振り返り、日高が背中を叩いたのだとわかった。
「金木、サポート役頑張れよ」
「……ありがと」
「じゃあ、ここからの進行は委員とサポート役に任せる。まずは曲を決めてくれ」
愛花先生の言葉で、僕と咲希と天道は前に出る。
「誰が進行役やる?」
僕には無理だ。首を横に振る。
「私もちょっと……」
「オッケー。んじゃ、俺がやるわ」
天道はクラスメイトの方を向く。
「歌いたい曲があったら、挙げてってくれ」
すると咲希がチョークを持って、黒板へと向かう。さすが咲希だ。何も言われなくても、必要な役割を行なっている。そんなことを考えていたが、自分が何もしていないことに気づいた。まずい。せっかくサポート役に任命してもらったのに。僕は慌ててチョークを掴む。だが。
「板書は私がやるから大丈夫だよ」
咲希にそう言われてしまった。仕方なく天道の横に立ち、クラスメイトの方を見る。
クラスメイトが僕のことを見ているわけではないと分かっていても、圧迫感がすごい。息が詰まるような感覚に襲われた。支えが欲しくて教壇に手を置く。
「ねぇ、曲はなんでもいいの?」
「うーん、歌うのが難しい曲は避けた方がいいかなぁ。みんなで歌う曲だから、リズムやキーが簡単な曲の方がいいな」
「俺、ロックしか聞かないからなー」
「あたしの好きな曲、めっちゃキー高いし」
みんなも考えてはいるようだが、具体的な曲名は出てこない。少し気持ちが落ち着いた僕は、マンガの内容を思い返していた。確か、天道が「きみに贈る歌」を提案して、採用されるはず。
さっきはマンガと流れが変わり、天道も合唱委員をやりたいと言い出した。なんとか展開を変えたい。僕は合唱で歌えそうな曲を考えるが、そもそも自分が最近の流行り曲を、何一つとして知らないことに気づいた。学校と家を往復し、マンガを描くだけの日々。同級生の好きなものなど何一つ知らない。
だが、何もしないわけにはいかない。
「そ、『空が飛べたら』とかどうかな?」
自分の知っている有名な曲を口にする。
「聞こえないんだけどー」
「『空が飛べたら』だってさ」
天道が声を張り上げる。
「古くね?」
「アガらないなぁ」
「他にあるだろ」
ボロクソだった。でも、この世界の人間も知ってるんだな。僕は変なところに感心した。
「Takeshiの『Revolution』とかどうよ?」
男子の一人が提案する。すると男子たちが活気づいた。
「あれカッコいいよな」
「カラオケで絶対歌うわ」
だけど、女子たちの反応は微妙だった。
「男子ってああいうの好きだよねー」
「ナルシスト入ってるって感じ」
女子たちのリアクションに、さっきまで盛り上がっていた男子たちはヘソを曲げる。
「じゃあ、もっと良い曲挙げてみろよ」
なんだか空気が険悪になってないか? 僕は耐えきれず、愛花先生を見る。だが先生は腕を組んだまま成り行きを見守っていた。
「なら、『きみに贈る歌』はどうかな?」
天道が提案する。すると一瞬にしてクラスの空気が変わった。
「めっちゃいいっ!」
「神曲だね」
「マジ泣けるやつじゃん」
「そろそろ時間だし、この中から決めていいかな?」
「オッケー!」
「じゃあ、『空が飛べたら』がいい人」
手を挙げたのは僕だけだった。咲希を見ると、黒板に「1」と書き込んでいる。僕はこの場から消えたくなった。いくらなんでも惨めすぎる。
「『Revolution』は?」
男子の半数が手を挙げる。けれど、結果は決まりきっていた。
「最後に、『きみに贈る歌』」
女子全員と残りの男子が挙手する。圧倒的だった。
「じゃ、合唱曲は『きみに贈る歌』で決まりってことで」
拍手が起きる。愛花先生が教壇に近づいてきた。
「よし。とりあえず時間内に曲は決まったな。練習の段取りとかはお前らで決めてくれ」
「わかりました」
天道が答える。
「お前ら、ちゃんと練習しろよ」
そう言うと、愛花先生は教室から出ていった。
「立花さん、合唱委員よろしくね」
天道が咲希に話しかける。
「うん。私のほうこそ、よろしく」
そう言うと、咲希は微笑む。咲希のその表情が僕に向けられたものではないことに、僕の心は濁る。
そして確信した。この世界の主人公は天道玲だと。この世界の僕はただのモブだと。モブである僕がマンガの展開を変えようとしても、修復されてしまう。確かに僕は合唱委員のサポート役になることはできた。でも、それだけだ。このままだとマンガの展開通り、咲希は天道と付き合ってしまう。そんなのは絶対に嫌だ。こいつにだけは負けたくない。
だって、天道は女子なんだから。
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