僕がマンガの主人公だと思ったらただのモブ⁉︎
天海 潤
第1話 この世界の作者である僕がただのモブ⁉︎
大勢の人々が今か今かと待ちわびながら、澄んだ夜空を見上げている。
ヒュルルー、ドカンッ! 空で花火が弾ける音がして、光のシャワーが降り注ぐ。
「最初に打ち上がる和火を一緒に見たカップルは、必ず結ばれるっていうジンクスがあるんだって」
天道玲が隣にいる立花咲希に語りかける。
「和火も綺麗だけど、咲希ちゃんの方がもっと綺麗だよ」
咲希の耳元で甘くささやく天道。咲希の首元から上の肌が一気に赤く染まる。
「わた、私……」
僕は咲希のセリフを書き込むと、椅子の背もたれに体重を預ける。物語の転換点となるこのシーンを大事にしたい。その思いで、コマの描き直しをしていた。
理想の少女との理想の青春。僕には絶対に手に入らないもの。自分には手に入らないと思うからこそ、半ば強迫観念のように中二から三年間、毎日描き続けた。続きを描こうとペンを手に取ったところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。ペンを充電状態にして部屋を出る。
「おかえり、父さん」
「ただいま」
父さんがスーツを脱ぐ間に、作ってあったブリ大根を温め直す。大皿に移し、リビングのテーブルに置く。今日はサラダと納豆とブリ大根だ。
「いつも悪いな」
「気にしないで」
そして僕らは食事を取り始める。テレビもつけず、静かに食卓を囲む。二人だけになってから、自然とそういう習慣になった。
「渉、学校はどうだ? この前試験があっただろ」
「平均点は取れてるよ」
それくらいしか報告することがなかった。
「そうか」
少し間を置いて、また父さんが口を開く。
「明日の夕方、母さんの見舞いに行こうと思うんだが、渉も来るか?」
「母さん」という単語を聞いた瞬間、呼吸が苦しくなる。心にずしりと重いものがのしかかる。棚に置かれた家族写真が目に入る。八年前、あの時は家族四人幸せだった。
「行けない……」
絞り出すようにそれだけ口にした。僕には母さんと向き合う覚悟がない。
「そうか……」
父さんはそれ以上、何も言わなかった。父さんは僕の答えを知ってる。それでも必ず、僕に聞いてくる。父さんの気遣いだということはわかってても、心が闇に囚われる。僕は食欲がなくなり、食器をシンクへ持っていくことにした。
「俺が洗っておくから、置いておいてくれ」
「ありがとう……」
自室でタブレットを手にすると、ページをスワイプして、咲希のバストアップのイラストを表示させる。
立花咲希。ミディアムの長さの濡鴉のような艶のある黒髪を、ミドルポニーで纏めている。丸顔にタレ目。ふっくらとした涙袋。右目の下には涙ぼくろ。南国の海のような、パライバトルマリンの瞳。ピンク色の潤いのある唇。透明感のある白い肌。温厚で、とても優しく、おとなしい性格。まさに僕の理想だった。
咲希のイラストをなぞっているうちに、自然と表情が和らいでいた。咲希との青春を描いている時間だけは全てを忘れられる。僕はペンを手にすると、再びタブレットに向き合った。
「それじゃ、今日のホームルームは終わりだ。陽が落ちるのが早くなってきたから、部活はほどほどにな」
担任の竹内先生の言葉で、委員長が号令をかける。
「きりーっ、礼」
放課後が始まり、クラスがどよめき始める。
「今日、何するー?」
「カラオケ行かね?」
「部活行こうぜ」
「その前にトイレ」
「昨日、Metubeでさー」
クラスメイトが放課後を楽しんでる横で、淡々と帰り支度を済ませる。リュックの中にタブレットがちゃんと入っているのを確認すると、教室を出た。
「金木、ちょっと待て」
振り返ると、竹内先生が僕を見ている。
「進路希望の紙を提出していないの、クラスで金木だけだぞ」
進路。未来。高校を卒業した後のこと。
「……すみません」
「別に謝って欲しいわけじゃなくてな。もう二年の十月なんだ。なんかないのか? やりたいこととか」
竹内先生は困ったように眉を下げる。
「美術の藤田先生から絵が上手いって聞いたぞ? どうだ、そっち方面とか」
「あれは、そういうんじゃないです」
僕は別に絵が好きなわけじゃない。マンガを描いていたら画力が上がっていっただけだ。
「なぁ金木。お前、クラスに馴染んでないよな。部活もやっていないし……。そりゃ家庭の事情は知ってるが、そんなふうに生きてると、この先辛いぞ」
この先辛い? そんなことわかっている。これまでだって辛かったし、今だって辛い。どうせ、この先だって辛いはずだ。これ以上、竹内先生と話す気がなくなり、無言で先生に背を向けた。
「金木、いつでも相談に乗るからなっ!」
背後から竹内先生の大きな声が聞こえる。今のことも未来のことも、何も考えたくない。ただ、マンガのことだけ考えていたい。僕は逃げるように立ち去った。
本屋に着くと、マンガの描き方の本が並んでいるコーナーに移動する。どの本を読もうか。棚に顔を近づけて逡巡していると、横から手が伸びて、棚に収められている一冊を取り出した。気配に気づかなかった僕はびっくりして、隣の人物を見やる。
僕とは違う制服を着た少女。だけど、少女を見て驚いた。咲希に雰囲気がどことなく似ている。咲希が現実にいたら、こんな子なのだろうか。そう思うと、ジロジロ見るのは失礼だと思っていても、視線が吸い寄せられていく。
僕の視線に気づいたのか、彼女と目が合った。僕は慌てて適当な本を手に取ると、本を開いて顔を近づける。少し時間を置いて、もう一度彼女の方を見る。彼女もマンガを描くのだろうか? 彼女が何の本を読んでるのか気になり、手の方に視線を向けた。
彼女の手は、インクで真っ黒だった。彼女もマンガを描くのだ。それも、自分の手が汚れることも厭わず。彼女の顔をもう一度見ると、その表情は真剣なものだった。
彼女を見ていると、無性に自分が恥ずかしくなった。現実の辛さを忘れるためにマンガを描いている自分とは、覚悟が別次元のように思えたからだ。彼女の隣に経っていることが辛くなり、本を置いてその場から立ち去った。
異世界転生系の本を手に取り、ぼんやりとあらすじを眺める。僕も異世界へ行けたらいいのに。そこで何もかも新しく人生を始めることができたら。でもどうせ転生できるなら、自分のマンガの世界がいいな。咲希と付き合うことが出来たなら。こんな現実逃避も日常茶飯事だった。
僕はため息をつくと、店を出る。すると突然、後方から大きな声が聞こえてきた。
「やめてっ!」
そんな女性の声が聞こえてきて、迷った末に声の方角に近づくことにした。角を曲がると、制服を着てる三人組が一人の女子と対峙していた。
「本を返してっ!」
そう叫ぶ女生徒は、さっき咲希に似ていると思った女子高生だった。
「こんな本買う金があるならよぉ。俺らに奢れや」
「キャハハ」
店員に告げに行こうか……。それとも警察? 頭の中で考えていると、咲希に似ている女子が、本を奪い返そうと女生徒の手に触れる。
「汚い手で触んじゃねーよっ!」
女生徒は、咲希に似た子を突き飛ばした。その瞬間、僕の中で熱くドロドロした感情が、マグマのように身体中を巡る。彼女の努力の証を「汚い」と言われたことが、とても悔しかった。
「うわあああああっ!」
気がつくと、自分のカバンを振り回しながら、突進していた。三人組は、突然の僕の行動に驚いている。
「は⁉︎」
「何こいつ⁉︎」
リーダーらしき男子が一歩前に出る。
「こんなもやし野郎っ!」
僕は喧嘩なんかしたことない。どうしたらいいのかもわからない。ただひたすらカバンを振り回す。僕のカバンが男子の横腹に当たるも、男子は姿勢を崩さなかった。
「いてぇだろうがっ!」
そう言って僕の両肩を掴むと、思いっきり力を込める。前のめりだった僕は男子の力に抗えるはずもなく、後ろに倒れて、頭を思いっきり打った。
意識がぼんやりする。僕はどうして……? ここは……? 次の瞬間、さっきまでの出来事を思い出し、頭に痛烈な痛みを感じた。
「いっっつ!」
思わず大きな声を出して、その場にうずくまる。ズキズキと頭が痛む。怪我はしているのだろうか。恐る恐る後頭部を右手で確かめるが、どうやら出血はしていないようだ。
「……大丈夫?」
心底、心配するような女子の声音が聞こえる。さっきの女の子だろうか? そう考えながら顔を上げると、そこには立花咲希がいた。
「……へ?」
思わず間の抜けた声が出た。見間違い? いや僕が咲希を見間違えるはずがない。さっきまで感じていた頭痛のことも忘れて、僕は立ち上がる。可愛らしくも愛らしい顔立ちが、僕のことを心配そうに見つめてる。どこを切り取っても僕が描いた咲希。いや、それ以上に可愛い咲希が目の前に立っている。これでノーメイクなのは我ながらやり過ぎだと思った。
「どこか痛むの?」
甘く透き通るような声。咲希ってこんな声で喋るのか。まさに僕の理想とする声だった。
「聞こえてる?」
さらに咲希の眉が心配そうに下がり、咲希の質問に答えるべきだとようやく思い至った。
「え、えっと、あの、いや、だ、大丈夫っ! ちょっと頭痛がしただけだからっ!」
「そう? 辛かったら保健室行く?」
咲希が僕のことを心配してくれている。それだけで、脳内で幸せ物質がドバドバ出てくる音が聞こえる気がした。それが理由か、頭部の痛みはすっかり引いていた。
「大丈夫っ! 本当に大丈夫だからっ!」
咲希はまだ心配そうな表情で僕のことを見ているが、僕の言葉を信じることにしたらしい。
「わかった。でもまた痛くなったら、保健室行った方がいいと思うよ」
そう言って、教室の中へと入っていく。ん? 教室? そこでようやく異変に気づく。自分が学校らしき建物の廊下に立っている。しかも陽射しが明るい。さっきまで夜の本屋にいたはずだ。周囲を見渡すと、僕の学校の制服とは違う制服を着た生徒たちが教室を出入りしたり、廊下で談笑していたりしていた。その制服は僕がデザインしたものだった。自分の体を見ると、同じ制服を着ている。
僕は確信する。自分がマンガの世界に入り込んだことを。何度も何度も妄想したことが現実になったのだ。これから僕はマンガの主人公として、咲希と理想の青春を送れるんだ。
不良に感謝の気持ちさえ抱きながら、咲希の入った教室に入る。黒板を見ると今日は、五月二十九日らしい。マンガを思い出す。確か席替えで、主人公である天道と咲希が隣同士になった頃だ。教室を見渡し、咲希の姿を捉える。
案の定、咲希の隣は誰も座っていない。僕は鼻歌を歌いたいような気持ちで咲希の隣に座る。
咲希の容姿は美少女としか形容できなかった。それにとても優しい。こんな子と、これからマンガに描いたような青春を過ごして、最後には付き合うことができるなんて。
最高じゃないかっ!
「さ、咲希……」
「……えっと」
もう一度口を開こうと、大きく息を吸い込むと、机にドンっと重い何かが置かれる音がした。びっくりして前を見ると、そこには見覚えのある人物が立っていた。
茶髪のマッシュヘアー。切れ長の目に逆三角の輪郭。中性的で整った顔立ちは、まさにイケメンという言葉がよく似合う。天道玲。僕が作った主人公。
なんで天道がここに? 僕が疑問に思うのと同時に、天道が口を開いた。
「そこ、俺の席なんだけど」
天道の言葉の意味が理解できなかった。ソコ、オレノセキナンダケド。それって日本語か?
「だから、どいてくれないか」
僕は僕が描いたマンガの世界に転移した。そこには咲希がいて、理想の青春を送れると思っていた。そこまではわかる。でも、なんでそこに天道がいるんだ? わからない。
「なぁ」
天道の声が怒気をはらむ。怒らせたことに気づき、考えるよりも先に立ち上がっていた。
「ご、ごめん……」
「れーーーいっ! はよっ!」
僕の存在を知ってか知らずか、女子が僕を押し退けて、天道に話しかける。金髪に染めた髪の毛先だけピンクブロンドにブリーチした派手な髪色。セミロングの髪をハーフツインで結っている。こいつは。
「おはよう。彩乃」
中野彩乃。天道のことが大好きで、咲希のライバルになる女子生徒。中野が声をかけたということは、間違いなくあいつは天道玲なのだ。
メインヒロインがいて、ライバルがいて、そして主人公がいる。……なら僕は?
「玲、もっと早く来てよ。もうホームルーム始まっちゃうじゃん」
「悪い。でも家が遠いからさ。わかるだろ?」
「あ、あの……」
思わず声を出していた。天道と中野がこっちを見る。
「ぼ、僕は……?」
何の役なの? その後に続く言葉を口にすることができなかった。中野は僕の言葉をどう解釈したのか、とんでもないことを言ってきた。
「モブ男くんの席なんて知らないし」
モ、モブ⁉︎ このマンガの作者である僕が、ただのモブだって⁉︎
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