はえる深緑 ④
旅の話をしながら三日ぶりにまともな食事にありついたトウは、ミドリに勧められるがまま、水浴びをしていた。水を張った木製の浴槽に浸かりながら一人、思考に耽る。
考えることはこの国について。船旅の末、辿り着いたこの地は何処へ行こうと人影が確認できなかった。国として、やはり機能していないのだ。初めに目にした港は、ただ波の音を寂しく揺らすだけであり、無秩序に生えた草木は黒い地面を砕いて背を伸ばす。
高い空だけは何処の国も同じなのに、それに競うように天まで届きそうな塔がそこら中に建てられていて、妙な圧迫感がこの国からは感じられた。
荒廃。その言葉がしっくりくる。人の消えた国はその機能を失い、廃墟として世界に残る。この国は、まさにそうだった。人がいない。生き物もいない。あるのはただの打ち捨てられた建造物と、蔓延る雑草だけ。この国は、死んでいた。
「くしゅん!」
ここに来てからくしゃみが止まらない。長く水に浸かり過ぎたせいだろうか。肌を流れる空気は生暖かく、涼むトウを嘲るように身体に纏わりついて離れない。
浴槽は外にあった。遮蔽物が何も無いわけではない。壁があったであろう場所には、崩れ落ちたそれを補うように植物が生えており、丘の上にあるこの家屋から、国全体が見渡せた。
「……ん?」
眺めがいい場所だ。鬱蒼とするほどの草木が自生しているわけではなく、この壁面もまた整えられていた。そこから見渡せたのは、国の一望。中央に聳え立つ巨木を始めとし、ランプのオレンジ色に満ちた明かりがちらほらと窺えた。
その暗闇の中。漆黒の帳が降りているその景色に、一つの明かりが灯った。
それは一瞬。
まるで他国で見たホタルという昆虫のような、淡い光が生まれて消えた。
鮮やかな緑色をしたその発光に首を傾げていると、扉の向こうから声が聞こえた。
「トウ、大丈夫ですか? 入り過ぎじゃないですかー?」
「……大丈夫、もう出るから」
弾むような音色はメイのもの。それに応じて、トウは浴槽から立ち上がった。不快な空気が、その全身を包む。
「……」
もう一度振り返る。広がるのは、自然に囲まれた光景。そこに先程の不可思議な発光は見られない。あれは何だったのだろう。そう疑問を覚えるトウは、一旦その思考を取りやめて、生まれた姿のままメイの下へと向かった。
「ああ、やっと出て来た……、ってなんで素っ裸なんですか! 早くこの毛布で拭いて服を着て下さい!」
風邪が悪化したらどうするんですか、と。表情は分からないがきっと怒っているであろうメイの声を、右から左に聞き流す。
「くしゅん!」
「あ、ほら! 長く水に入るものじゃないですよ!」
叱責されるがまま、促されるがまま。トウは渡された毛布で身体から水気を拭き取っていき、衣類を身に付けていく。なんとなくすっきりした気分に包まれながら、先導するメイの後ろをついて階下へと降りる。そこにはミドリが簡素な椅子に腰掛けて、湯気の立つカップを揺らして待っていた。
「すまないね。本当は湯浴みをさせたかったところだが、如何せん火は気軽に扱えなくてね。植物に引火してしまうと、この国は一瞬で火だるまなんだ。多少は我慢して欲しい」
「……問題無い。ずっと、水浴びだったから」
「ふむ、そうか。さて、一応乾いていて清潔な毛布は用意しておいた。残念ながら硬い床に寝てもらうことになるが……」
「……それも大丈夫」
お礼を述べて、それを受け取る。ミドリではないが、雨風を凌げるだけで十分過ぎるほどにありがたいのだ。色んな特徴を持つ国を渡って来たトウからすれば、屋根があって毛布さえあれば熟睡する条件に嵌まる。
散々熱線を浴び続けて、疲労が溜まっているのだろうか。身体が重く、今すぐにでも眠ってしまえる状態だ。きっと今宵は気持ちよく眠れるはずだ。
「そういえば……」
メイの声が、静かな夜に響いた。高く澄んだ音は、夜鷹のように宙を舞う。
「ミドリさんは、この国で何をしているんですか? 剪定士、ってやつではなさそうでしたし。白衣とか着てますし……」
彼女は明らかに一般国民という出で立ちではない。トウらは他の国民を見かけていないので、もしかすると国民全員白衣を羽織らなければならない風習でもあるのかもしれなかったが、それでも昼間から夜間まで。木々の剪定、いわゆるこの国の一般的な仕事をしていなかったミドリは特殊な職業に就いているのかもしれない。
だからメイが抱いたその疑問は当然で。容易に導ける必然だった。
トウとしては興味の欠片もなかったが。
「私はね。この国で研究をしているんだ。だから自然を整えることをしない。いや、しなくてもいいというわけではないな。私は研究することによって、よりこの国を良い方向へと導きたいんだ」
「研究、ってどんなものですか? 植物を使って何かするんですか?」
「いや、彼らを使って何かを成し遂げようとなんて思っていないよ。どちらかと言えば、原因の究明だね」
「原因、ですか?」
メイが疑問符を浮かべたように、声音を下げて尋ねる。
「ひとえに、この国が出来上がった経緯だね。つまり私たちが今ここに住んでいられる理由。人が国を造るわけじゃない。国こそが、全てを決めるんだ。……まあ君らに言っても、当然分かりきっていることだとは思うけれども」
メイが肯定の返答をし、トウも内心で頷いた。
国とは住処ではない。様々な国を見てきたが、それらは人によって成り立たず、生物こそ国によって活かされていた。国が人を造り出す。国とはただそこにあるだけで、それそのものが変化することはない。変わるのは常に、人間なのだから。
そういった意味では、この国もまた国としての在り方を貫いていた。
「何故人々がいないのか。外にある塔はなんなのか。何の為に造られて、建てた人々は何処へ行ったのか。これら植物が織り成す役割は? 本当に自然的にここへと根を下ろしたのか? ……これはきっと、私たちの境遇にも関わってくることだと思うわけだ。だから私は、私だけは研究をさせてもらっている」
ミドリは、苦々しく笑ってみせた。その表情が何を意味するのか。トウには分からない。少女は、彼女の状況を微塵たりとも知らない。同情もできないし、同意もできない。ミドリという人間が何を想い、何をしたいのか。その本音は何処にあるのか。たったこれだけの話で分かるはずもないのだ。
「くしゅん!」
空気を断ち切るように、そんな軽い音が鳴る。結局、治ることなく一日中くしゃみに苛まれ続けてきた。身体も重い。もしかすると、メイの言っていた通り、風邪なのかもしれない、と。ぼんやりと考えていたトウに、二名の声が続く。
「君は一刻も早く身体を休めた方がいい」
「寝ましょう! さあさあ早く!」
ここまで来ると最早反論もできない。トウは諦めて、用意された寝床へと向かう。
「ああ、そうだ」
その背に。ミドリの柔らかい声が掛かる。
「ありがとう。今日は楽しかった。君らのような旅人ならば、いつでも歓迎だ」
感謝の気持ち。聴き慣れないその言葉に、トウはどうしていいものか分からず。
彼女のことを一瞥して、それからその場を立ち去った。
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