はえる深緑 ③

「ほら、風邪薬だ」

「……ありがとう」


 トウは湯気の上るカップと錠剤を受け取り、お礼を述べた。何故、こんなに暑い中でこれまた熱い水分を摂るのか意味が分からなかったが、その方が効くのだと、彼女は言う。

 ミドリに招かれた家は、およそ家とは言えない造りとなっていた。玄関やリビング、それぞれの間取りは見当たらず、あるのは二階へと続く階段と無骨な机。それと鉄製の椅子だけ。家具らしきものは無く、精々が暗がりを照らすランプぐらいのもの。一体何処で寝泊まりしているのかが不思議に思えるほどだ。

 メイもそう感じたのか、やや落ち着いた安堵の息と共にその声音を漏らした。


「ミドリさんは、何処で寝てるんですか? というか、ここ何もありませんよね。本当に家……、なんですか?」

「ん? 寝泊まりなど床で十分さ。雨風さえ凌げればそれでいいからな。ああ、ただ客人に対してそれではダメか。まあ二階に何かしらあるだろう」


 答える彼女を横目に、トウが錠剤を呑み込んだ。僅かな苦みが口内に広がり、続けて暖かい湯でそれを流し込む。その飲み物からは、少し渋い味がした。


「さてと、それじゃあ聞かせてくれないか。君たちの旅の話をさ。こんな土地なもんで、娯楽が少なくてね。宿代や食事代は、それら体験記で結構」

「え、でも……」

「遠慮はしなくてもいい。全て、私の好意によるものだ。怪しんでくれても構わないし、好き勝手に料理は振る舞わさせてもらうがね。それをどう扱おうが君らの自由というわけさ。ほら、悪くないだろう」


 メイがトウの方へと視線を向け、トウはトウでミドリの様子を注視する。

 旅人がその体験談を語ることは往々にしてある。それが唯一、転々と国を渡る彼ら彼女らの特権でもあり、特徴でもあるのだから。だから求められればそれに応じる。

 何も楽しませる必要は無い。起きた出来事を淡々と、脚色なく伝えればそれだけでいいのだ。


「……分かった。その代わり……」

「……何かな。まさか不当な要求をしようと言うんじゃないだろうね」


 トウの瞳が、気のせいか鋭くなった、と錯覚してしまう。その雰囲気に、ミドリも警戒の色を強め、不安を隠しきれない語気で応えた。

 緊張からか、トウという存在が認識しにくくなる。ミドリは出来る限り彼女から視線を逸らさず、ゆっくりと開くその口元を特に見つめ続けた。

 やがて紡がれた言葉は、ずっと変わらない抑揚の無い声音。柔らかそうな色素の薄い唇が、一文字に裂けて、無感情が流れた。


「……料理はたくさん用意して。お腹、空いたから」

「……へ」


 余程間抜けな表情をしていたかもしれない。トウがキョトンとした表情で、見つめ返していた。

 肩透かし、というよりも変に構えてしまっていたことに恥ずかしさを覚えながら、ミドリは咳払いをした後、大仰に頷いた。


「もちろんだ。今宵は腕を振るわせてもらう」


 俄かに張り詰めていた雰囲気が落ち着いた。そう思っていたのは恐らくミドリだけだっただろうが、それでも強張っていた肩の力を、彼女は緩ませる。


「全く、トウはいつも食い意地張ってますよね」

「……失礼。食事は大事なこと」

「まあ確かにそうかもですが。正直私、食事しないんで分からないんですよね」


 再び和気藹々とした、雰囲気がその場に造り出される。ミドリは、その空気に対してどう対応したものか測りかね。


「あの……。そろそろ良いかい?」


 ぎこちなく、そう問い掛けた。


「あ、すみません。旅の話ですよね。……それじゃあまずは、私たちが旅をしている理由から、ですかね」


 ミドリの変化を気にした様子は、彼女二人にはない。メイが語り、トウの視線は足元に降ろされたリュックに向かう。トウの背丈を優に超えた荷物。そこには真白のカンバスが括りつけられていた。

 それから、トウとメイの二人はこれまでの出来事をミドリに語って聞かせた。金が湧き出てくる国の話。人間は罹らない病気が蔓延している国の話。幻の国の話。空がまるで落ちてくる国の話。

 他にも色々と訪れた。色という色を求めて各国を渡り歩いた。出された食事を取りながら、トウが話の流れを大まかに喋り、そしてメイが補足していく。聞いているミドリはそれに疑問質問をぶつけていき、いつの間にか夜は更けていた。

 かれこれ数時間。熱線を送り込んでいた陽が落ちて、ダイヤのような輝きを放つ月が真上にまで上る。その間、口に料理を運び咀嚼をし終えたら、その続きを話し始めるという動作を繰り返しながら、やがて時間は過ぎていった。

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