はえる深緑 ②

「何と言うか、凄いですねー。生い茂ってるというかなんというか」


 感嘆の声が延びたように、トウとメイの眼前には鬱蒼とした草木が広がっていた。そこから先は黒い絨毯はところどころにしか見えなくなって、地面もまた若葉色の新緑に覆われている。


「……ここから先は、人の気配がする」

「しますか」

「……する」


 そこはトウとメイが歩き続けた国のその中央にあった。それまで緑という緑は一切なく、大きく無機質な建物だけが延々と続くだけ。熱を発散するモノも無く、人が快適に住めるような環境でもなかった。

 そこは紛うことなく廃墟。国として、機能は果たされていないように見える。


「確かに明かりは点いてましたもんね。近付いて見れば、確かに点いてる理由にも納得でしたけど」

「……太陽の光りが、届かないから」


 改めて見れば、草木の丈がトウの倍以上はある。先は見通し辛く、道らしい道が確認できるだけだ。あとは遠目にだが、明かりの灯る建物が視認できる。それがトウの言う、人の気配というものなのだろう。


「それじゃあ、ちょっと尋ねてみますか。友好的な人たちなら良いんですけどね」

「……そうだといい――クシュン!」


 トウが背負う、大きなリュックが小さく揺れた。


「え! トウ、もしかして風邪ですか!? どこか具合悪いんですか!?」

「……問題無い、と思う」


 焦るメイの声に、トウはいつも通り無感情で応答する。それでもどこか不思議そうに、彼女は首を傾げた。トウはこれまで身体を壊したことが無い。空腹や脱水による思考能力の低下は度々あるが、具合を悪くしたことは未だかつて覚えが無かったのだ。だからこそ、トウは疑問を抱く。


「い、一応診てもらいましょう! この国にも医者の一人ぐらいいるでしょうし」


 必要以上に慌てるメイ。表情こそ判別つかないが、その声から緊張状態であることが窺える。トウとしては不調を訴えるつもりはない。どうせ慌てたところで、何も無い。

 それでもこのままだとメイが余りにもうるさいので、どうしたものかと。思案しているところへ。


「おや、業者以外がここへと訪れるなんてね」


 騒ぐメイと、悩むトウの目の前に、一人の人影が躍り出た。髪は長く、美しく碧い。着ている服は無地の白服に、白衣。研究者のような姿をした女性が、そこにはいた。


「……貴方は、この国の人?」

「ああ、そうだよ。名をミドリ=ヒューガという。よろしく」


 適度に高くない、大人らしい声だ。名乗られたからにはこちらも自己紹介をしなくてはならない。トウはその人形のように開かれた瞳で、彼女を見上げた。


「私はトウ。旅人をしている。それから……」

「いえ! そんなことよりも、あなたは医者ですか!?」


 切羽詰った音が、二人しかいないはずの空間に響いた。帰ってくる反応は二人で違う。トウは明らかに呆れを含んだ溜め息を吐き、ミドリと名乗った女性はその瞳を見開いた。


「え……、いや……。私は医者ではない、が」


 それから不信感を露わにして、周囲を見渡す。


「……い、今の声は君のか?」

「……違う。喋ったのはメイ」

「んん? えーと、どちらにいるんだい?」


 眼に見えて動揺してみせるミドリ。それはそうだろう。この場にはトウとミドリを除いて、誰もいない。本来、それ以外の人間の名が出てくるのは有り得ない。何処かに隠れているのなら別だが、音が鳴った方向は明らかにトウが佇んでいる、隠れる場所もないような空間で。それも彼女の隣から聞こえてきたのだ。

 困惑する人間の顔を見るのはこれで何度目か。彼女、トウとメイにとってはいつものことであり、説明不足を補うのもまた、メイの役割と決まっていた。


「……唐突ですいませんでした。なんだか取り乱してしまって……。ええと、私の名前はメイと言います。事情があって透明になってしまいまして。驚かせてしまったようで、本当にすみません」

「え、ああ。まあ事情は誰にでもあるからな、うん。このご時世だ、透明の人間がいても別に普通、か……?」


 未だ脳内は戸惑っているのだろう。言葉の端々に自信が感じられず、最後には自問を繰り広げている。当然だ。まさか透明人間が目の前にいるなんて、鵜呑みにできるはずもない。ただ存在していることを証明するのも難しく、これは聞かされた当人が腑に落とすしかないのだが、ミドリが何か結論付けるよりも前に、メイが再び元気な声を響かせた。


「そ、それより! この国に医者はいませんか? トウが病気かもしれないんです!」

「へ、病気?」

「はい! 普段風邪もひかない癖に、ここへ来て体調が悪くなったみたいで!」


 その言葉に呼応するように、トウが一つクシャミをする。小さい、消えそうな音だ。


「ほ、ほら……! 大丈夫ですか、トウ!」

「……メイは大袈裟」


 メイの心配を他所に、トウはどこ吹く風。実際、その見た目に変化はなく、辛そうでもなければ、体調が悪そうでもない。ただその胡乱な瞳で、状況を見守っている。メイは一人、納得がいかないように慌てふためく。


「そんなはずありません! トウは自分のことに鈍すぎますからね。きっと体の調子が悪くても、それに気付いていないだけなんです!」

「……それは私を馬鹿にしてるの?」

「純粋に心配なだけですよ!」


 特に加熱することもない、平和な応酬が続く。その間もトウはクシャミを放ち、そしてその度にメイに心配されていた。


「二人は仲が良いのだね」


 ミドリの笑いにも、トウは無表情で。そしてメイは、そんなことない、と。弱々しく言い返す。


「実は客人が来るのは、久方ぶりでね。君たちさえよければ、是非私の住処に来てくれないか? 風邪薬も用意できる」


 旅の話も聞きたいしね、と。

 そう言ったミドリの表情は明るい。その真意を見定める意義を見出せず、トウは一つ頷いて、メイは機嫌よい返事で応えた。


「いいんですか!? それじゃあ、行きましょう! トウ!」

「……丁度、行くところも無かった」


 この暑さに曝されないのなら何処へ行こうと大歓迎だった。恐らくこれより酷い環境に赴くこともないだろう。着の身着のまま、流されるがまま。自分たちの命は何よりも最優先だが、一先ずは先のことを考えない。何も無ければそれでいいし、何かあっても動くのはそれからで問題はないという意志だ。

 もちろん、このミドリという女性が何かよからぬことを働こうとしているのならば、二人は全力で自分たちのためだけに動く。

 世界を旅するとはつまり、そういうこと。

 各国を渡るということは、常に危険との戦いなのだ。


「そうか。なら、ついてきたまえ。この町、もといこの国を案内しよう」


 トウとメイは、そう言って踵を返した彼女の背を追いかける。

 視界埋め尽くす緑の中へと、彼女らは飛び込んだ。


「あの、ちょっと聞いてもいいですか?」

「なんでもどうぞ」


 視線を背後に向けながら、ミドリは進む。


「この国に、他に人はいないんですか? ミドリさんだけですか?」

「いやそんなことはないよ。きちんと私以外の居住者はいる。国と呼べるほどに、人口はいないがね。どうしてそう思ったんだい?」

「いえ。ここまで来る途中に、誰もいないのに人が住みそうな人工物がたくさんあったんで……。アレは一体なんですか?」

「ああ。アレらはね。私が生まれる前からある建築物なんだが。私もよく知らなくてね。恐らく昔はそこに人が住んでいたんだろうが」


 そんな会話を聞き流しながら、トウは時折木陰から覗く、空を眺める。蒼く、どこまでも続いているであろうそれは、狭く縁どられて彼女の瞳に映った。

 ここは自然が多い。というよりも新緑に包まれていた。

 人の背よりも高い植物。大きな葉を広げる高木。緑色のカンバスに映える鮮やかな花々。揺れる草木はそのどれもが名前すら分からず、見たこともないものばかりだった。


「あそこに住んでもいいのだがね。放熱機能が無い外では、すぐにバテてしまうだろうからな。居住には適さない。ここには陽を遮る傘もあるし、何より食い扶持には困らない」


 見れば確かに、そこいらに果実が実っている。それらは、トウでも見たことのあるものばかりだった。


「そうだ。良ければ一つどうだ?」

「え、いいんですか?」

「問題無いよ。君らがよほどの大喰いでなければね」

「いえ、大食いはトウだけなんで大丈夫ですよ」

「……失礼。何でもかんでも食べるみたいに、言わないで欲しい」


 ミドリは笑いながら、道端の樹木から木の実をもいで、二人に渡す。一口食べてみれば、瑞々しい音と共に口内へと甘酸っぱい香りが広がった。咀嚼していくと、甘味が増し、滲み出る水分が渇いた喉を潤してくれる。トウはさらに果実へと齧り付いた。


「メイのも、貰っていい?」

「ああ、はい。どうせ食べませんから」


 弄んでいた果実を、トウに渡す。


「はは、美味しいだろう。今が一番の食べ頃さ」


 三人は進む。まるで薄緑色の海を泳いでいるかのようだ。掻き分けて進む、という表現が当て嵌まるぐらいには迫るように草木に埋め尽くされていたが、何も雑多に生えているわけではない。人が通れる道は眼に見えて存在し、通行を妨げないように植物は自生している。地面は土くれが剥き出しで、舗装されたようにも見えない。しかし歩きやすいと、そう感じられたのはこの道が人の足によって踏み慣らされている道だからだろう。

 道は一つではない。右方、左方へと延びる道が時折いくつも現れては消えていく。

 遠くには草に覆われた家々が並んでいる。それら景色を一瞥しながら、ふと、とある疑問がトウの脳に浮かび上がった。


「……そういえば、この近くに貴方以外に住んでいる人はいないの?」

「あれ、言われてみれば見かけませんね。みんなどこへ行ったんですか?」


 ミドリという女性と出会った場所から既にある程度は距離が離れている。かれこれ十数分程度は歩いただろう。その間に、すれ違った人はいない。通り過ぎるものは植物ばかりだ。家や灯りを見れば分かるが、人の気配はこれでもかと感じさせる。それなりに住人はいてもおかしくはない。

 にも関わらず、人一人ともすれ違わない。

 旅人二人の疑問に、ミドリは軽い調子で返した。


「ああ。今は休憩時間でね。皆、木陰やら屋内やらで休息を取っているはずだ。人を見かけないのは当然さ」

「休憩、ですか?」

「ああ。この国は見ての通り自然だらけだ。おまけにこれらは誰かが埋めたというわけではない。一帯に自生しているものでね。雑多で秩序めいていない。まるでジャングルじゃないか」


 うんざりしたように語る彼女は、しかし心底に鬱陶しそうというわけでもない。その口ぶりからは半ば諦めているような、世話を焼くことに対する愛おしささえ感じられた。


「だから、この国の住民は無秩序を正すようにしていてね。つまり剪定しているわけだよ」

「……せんてい?」

「ああ。他国の人たちには馴染みがない言い方だったか。つまりこれだけ好き勝手に生えている樹木の枝を切ったり、草を刈ったり。そうすることによって風通しを良くするんだ。もちろん、養分を行き渡らせるためであったり、害虫に侵されにくくしたりといった目的もあるけれどね。そうそう、あと見た目を良くするという意味もあったかな」


 トウが辺りを見回してみれば確かに、瞳に映る深緑は適当に生えてこそいるものの、その形は乱れていない。どれもが整っているように見えて、バランスがいい。どうやら、それらは人の手が加えられた結果らしい。


「今が丁度、その剪定士らの休憩時間というわけだ。日中は陽射しが強いからな。朝と夕方だけ、彼らは働く。さて――」


 見えたぞ、と。

 彼女が指を差すその先には、無機質な建物があった。白く、装飾すらない石造りの家屋。蔦に覆われている坂の上の建物に向かって、三人は足を運んでいった。

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