空色の国 ③

 老翁と別れ、二人はテントを張った。見慣れない技術に悪戦苦闘はしたものの一緒に入れられていた説明書で、なんとか形にすることは出来た。

 テント、と呼ぶのには相応しく、形は三角錐。麻布で出来たそれは、トウたちの知る地面に打ち付けて固定するタイプのモノではなく、中にある程度の重りを置いて、飛ばされないようにするものだった。

 確かにこれならば、常時水没しており地面が草原であるこの国で、多く利用されるだろう。


「しかし、本当に何も無いですね。これ、国として成り立ってるんでしょうか? 宿場はもちろん、商店もありませんし、なんなら家も無い。テントがあるとはいえ、生活なんてとても出来る環境じゃないと思いますけど」


 場所は特に定めずに、適当に歩いて適当に拠点を作った。ついでに色々と見て回ったが、本当に何も無い。建造物の一つはあってもいいと考えたが、それすらない。テントは見つけたが、中には誰もおらず、やはり人気は皆無。結局、老翁以外の人間には出会えない。

 この国は、どこか欠けているように見えた。


「……国のことは、分からない。もしかすると、地下に巨大な、帝国があるのかも、しれない」

「はあ、そんな国もありましたね。でも、今回のここはそういう入り口も見当たりませんし。いかにもテントを張って、地上で生活してる風でしたよ?」

「……うん。それに、この国は多分、あることを、主軸に置いて、暮らしてる」

「あること、ですか? 建造物を置かないこと、でしょうか」

「……それは、結果。根本はきっと、空を映すことから、始まってる……」


 トウがテントの中から、その景色を一望する。

 雲一つない空に、不純物一つ無い大地。水面に空が映って、空間全てが蒼穹に染められていた。空の中、自分たちが宙に浮いているような感覚にさえ陥ってしまう。

 今空を飛んでいるのか、それとも地に腰を据えているのか。明確な判断が難しい。

 そして恐らくこの国は、空と同じ環境を作り出したいがために、今のような状況になったのではと、語った。


「そうなんですかね。よく分からないですけど」

「……私も、理解出来ない」


 一個人が、一つの国を全て理解出来るはずもない。ましてや旅人が真理を見据えることもまた不可能。所詮は憶測として、話半分として、そういう可能性もある、というだけの話だった。


「……この国に、ついては。分からないこと、だらけだけど」


 言いながらトウは、リュックの中を漁り始めた。取り出したのはスケッチブックに、透明な液体が入った小瓶。


「この景色は、綺麗。それだけは、私でも、分かる……」

「そうですね。確かに、美しい国だって言われるだけのことはあります。凶暴な国じゃなくて良かったって心底思います」


 メイの溜め息を聞きながら、トウが小瓶の封を開けた。そのまま外の水面。空が映った水を掬い入れる。


「……後は、待つだけ」


 透明な液体と、掬った液体が混ざり合うも、そこに色相の変化は無い。トウは再び、小瓶をコルクで閉じた。


「今回は早いですね。もう明日には出発出来ますね」

「うん。さすがに、何も無い国で、過ごすのは、お腹が死ぬ……」


 幾分真面目にそう言いながらスケッチブックを開いて、鉛筆を持つ。トウが旅をする目的だ。様々な国を巡って、色々な人と触れ、そして多種多様な光景と出会う。旅人として当然の経験だが、トウは旅人である以前に画家でもある。

 彼女は色を求めて、旅をする。

 彼女は世界を知るために、歩き続ける。

 無表情で無感情で無気力な少女。透明で綺麗な彼女は、世界を決して否定しない。


「お腹が空いたなら食糧を食べればいいんですよ。ありますよね? 前の国は物資だけは豊富でしたし」


 リュックの口や形が変化している。メイが中身を探っているのだろう。透明人間なので表情や行動は目に見えて分からないが、声音や環境の変化である程度は予測出来る。

 メイは、トウとは対照的なのだ。


「……あるけど、暖かいのが、いい」

「意外と我が儘ですよね、トウって」


 嘆息を落とし、鉛筆を滑らせる。白く何も無かったスケッチブックに、みるみるとテントからの情景が映し出されていく。水平線と空の間隙に加え、テントが一つ、描かれる。


「それにしてもですよ。何も無いって不便を通り越して、暇ですね。見て回るところでもあれば良いんですけど」


 景色が美しいというのは、初めこそ良いモノとして受け入れられるが、見慣れてしまえばどうということはない。それが平坦なモノならば尚更だ。この国が作り出した風景は、それまでに見たことが無いほどに美麗だったが、その分、やることに乏し過ぎる。

 つまり、飽きるのだ。


「……どうせ、明日には、ここを出る。それまで、我慢」

「まあそうなんですけどね」


 暇なものは暇だと言わんばかりに、メイはその後もスケッチを続けるトウに度々話し掛け、入国当日を終えた。

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