空色の国 ②

「凄いですね!! まるで空が落ちてきたようです!!」


 興奮したように、メイがはしゃぐ。彼女が歩む度に、地面の空へ波紋が広がっていった。ちょうど水溜りに足を踏み入れたように。


「……本当に、綺麗。不思議」

「ですね!! 私たち、美しい国に来れたみたいですよ」


 その国は一面が蒼かった。視線を阻害するものは何も無い。家や商店、岩の一つも見当たらない。無粋なものは一切排除して、景観のみに特化した国のようだった。

 空と地上。両方が澄み渡り、突き抜ける青さが清々しい。様々な国々を巡ってきた二人にとって、これほど一つを極めた国も珍しかった。

 そしてまた同時に、宿泊施設も飲食店も無い国というのも、初めてだった。


「……どうしよう、泊まるところが、無い」


 これは憂慮するべき事態。壁も天井も無い、しかも地面は水が薄く張っている状態。この上なく最悪な状況での野宿を覚悟せねばならない。

 美しさに傾倒したばかりに、合理性を欠くこの国は、そもそも国として機能していないのではないかと思えるが、そればかりを気にしても問題は解決しない。


「野宿は別に良いんですけどね。衣服に汚れが付着するのも構いませんし、雨風さえ凌げれば問題は無いんですけど。ここは、それ以前の問題ですね……」

「……テントなんて、かさばるモノも、ない。……そもそも、ここじゃ、テントは、張れない」

「石でも積みますか? とにかく地面の水をなんとかしないといけませんし」

「……石なんて、どこにあるの?」


 何とかしなければ劣悪な寝覚めを味わってしまう。あれこれと策を講ずるも、解決も何もしない。

 しばらく途方に暮れていた二人に、不意に声が掛かった。


「なあお前さん、もしかして旅人かなにかか?」

「え?」


 振り返ると、一人の老翁が立っていた。白髪で顔には無数の皺が刻まれているが、その眼光は鋭く、メイは一瞬たじろいだ。トウは無表情のまま、ただじっとその人物を見つめ続ける。


「そう、ですけど。……その荷物の量は、あなたも旅人ですか?」


 老翁の背丈はトウよりも高く、身体つきは岩のように固く見える。そんな彼が背負っているリュックは、大きく膨れ、トウが背負っているものと同じほどに、巨大だった。

 そこからメイが推測を付けたのだが、老翁は首を振って返した。


「いいや、違う。俺はこの国の人間だ。確かに見た目は旅人みたいだけどな。……しかし、お前さん。腹話術でも使えるのか? 声は聞こえるが、口元は微塵も動いて無かったように見えたんだが」

「あ、いえ。先程喋ったのは私です。透明人間なんですけど、話し好きと言いますか。あまり気にしないで下さい」


 定番とも言える挨拶をメイは交わす。信じられない、という顔で老翁がトウに視線を投げ掛けるも、彼女は無表情のままコクコクと頷き事も無げに言う。


「……メイは、透明。私と会ったころから、ずっと」

「驚いたな。いや、到底信じられないが、事実として声だけは聞こえるわけだしな。まあなんか複雑な事情でもあるんだろう」


 ここに見える旅人は一人。それは、事実として確実に存在する。少女の声とは一致せず、やはり別人がこの場にいると考えなければ、納得は出来ないはずだった。


「まあ、もう慣れましたけどね。それで、何の用ですか? まさか旅人が珍しいから話し掛けたってだけじゃないですよね。この国は美しい国ってので有名ですし、私たち以外の旅人も他にもいると思いますけど」


 メイが問い掛ける。未だ老翁は納得出来ていない様子で、その言葉に返す。


「お前さん方の言う通りだよ。旅人は珍しくなんてない。昨日も一人訪れ、そして出て行った。俺がお前さん方に話し掛けたのは、単に善意だよ」

「……善意?」

「そうだ。見たところ、お前さん方は宿場で困っていたんじゃないかと思ったんだが。それならば、良いモノを貸してやろう」

「良いモノ、ですか?」


 二人して話の筋道で躓いているが、老翁は止まる様子も見せず、リュックを下ろし、中から大きな袋を取り出した。

 大きさは小柄なトウの三分の一ほど。巾着のように袋は紐で閉じられており、本のように中身は縦に細長そうだった。


「さすがに宿場そのものをどうにかしてやるってことは出来ないが、野宿の手助けは出来るだろう。これを使えば、とりあえず寝ることに関して、心配しなくても良い」


 ほらよ、と。ぶっきらぼうに渡されるそれを、トウは手に取った。実際持って見ると、重量があり、取りこぼしそうになる。


「……中身は?」

「テントだ」

「え!? テントですか!? だってこれ、本みたいに薄いですよ?」


 メイが驚嘆の声を挙げた。テントと言えば、一般的には宿の無い場所で寝泊まりをするための道具。地面には直につかず、疑似的だが壁も屋根も出来る代物だ。ただ、かさばるモノとして単一の旅人からは忌避されるものの、モノ好きな人間が進んで使っていたり、馬車で移動する人間が使用していたりする。

 当然、トウとメイはテントなどは持ち合わせていない。

 だから、その薄い板のような形状のそれを、テントだと言われても、容易に理解は出来なかった。


「この国の人間なら誰でも持ってる代物だ。折り畳み式になっている。良ければ使ってくれ」

「え、でも。良いんですか? こんな見ず知らずの旅人に」


 早速トウが袋を開けていた。中からは案の定、細長い板のようなテントと、紙が一枚出て来た。丁寧に織り込まれた、老翁曰くテントと呼ばれるモノを、メイとトウはまじまじと観察する。


「ああ、構わない。この国の住人ならば、皆そうするだろうよ。親切な心は忘れるな、というのが俺たちの流儀さ」


 老翁が指を一本立てて言う。その指は上を、つまり空を差していた。


「神が見ておられるからな。悪事は即刻罰せられる。それがこの国の国民性であり、在り方であって、生き様でもある」

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