シュプレヒコール Amelo 3100文字
休み時間、僕はスマホでSNSに載せられた最優秀賞を見て戦慄していた。それはパソコンの中に閉じ込められた社会人が描かれた風刺画だった。これはデスクワークに対する皮肉だと、瞬時に察知。パソコン業務は目に疲労がたまりやすく、寿命が縮むとも云われている。
「これは、負けたな」
敗北した。負けを認めた。来年また開催されると思う。次こそ最優秀賞に上り詰めて、人々の心にシコリを生ませてやる。
「お前はいいな!スマホ見られて!」
「先生も酷だ。没収しませんて言っておきながら、普通に没収するなんて。嘘は泥棒の始まりだと、親に習わなかったのか」
「あー、10連ガチャ回してー」
ミナスケは手持ち無沙汰で、両腕を精一杯上に伸ばした。
「そいや、つぎい、時間美術じゃん。コータロー、期待してんぞ」
「何を?」
「そろそろ綺麗な絵が見たいんだよ。人の悪い部分を探すより、人の良い部分を探した方がよくないか?」
言っていることはまともだが、心を突き動かされるのは風刺画の方だと自分は思う。
キーンコーンカーンコーン――。
「やベッ」「急がないと」
美術の授業が始まる。ぼくらは急いで道具を準備して、デッサン室へと駆け出す。
『廊下を走るな』そんな悠長なことは言っていられない。教室の扉を開けると、デッサン室独特のにおいが鼻を充満した。もうクラスメイトが着席しており、美術の先生が僕とミナスケを睨みつけていた。
「何度言ったらわかるんですか。遅刻です。早く座りなさい」
「いや、僕は……」
「言い訳ですか?」
「はい、すみません」
申し訳なさそうに、僕は席に座る。ミナスケも先生に頭を下げ、席に座る。ミナスケはスマホで時間をチェックするタイプ。いつもの感覚が染みついて、時間間隔が分からなくなってしまったのだ。
僕の方は、あの風刺画に目が離せなくなり、時間間隔が分からなくなってしまった。……これは、これは、言い訳なのか。
それから、美術の授業が始まった。今日は向かい合って、人物画、顔のデッサンをお互いに描こうという授業であった。
向かい合うのは同じクラスメイトの女子。使うものは鉛筆と画用紙。もちろん他の人は素人であるため、本格的な指導は受けない。僕は頭蓋骨の形から考え、皮膚を纏わりつかせるように描く。十字線はひいちゃダメだ。引いてしまうと、その線に捕らわれて柔軟な思考が働かなくなる。もはや自分を縛り付ける十字架のようなもの。あくまで個人の意見だ。
そして五分も経たないうちに、70%完成する。誰が見ても彼女だとわかるぐらいの、進行速度。女性は髪が命。紙に命を吹き込んでいく。
「天水くん、うんま。そんで、はっや」
僕のデッサンを覗き込んだ彼女が言う。鉛筆も、太めの鉛筆と細めの鉛筆で交互にいれていくとさまざまな髪になる。そうした技術も用い、10分で完成へと至った。今にも揺れ動きそうな、長い髪が頬を滑っている。彼女のトレードマークの二重が、完璧に表現されている。
「やっぱ天水くんは、絵力半端ない。こういう似顔絵の方がふうしえ?より、合ってそうだけども」
そう言われるのも無理はない。僕が風刺画に移行したのは、数年前からで、その前はごく平凡なきれいな絵を描いていたから。誰が見ても良いと思えるような、当たり障りのない画を描いていた。
最初は、僕も風刺画に突き動かされた観客の一人でしかなかったのだ。でも風刺画が僕を観客から、こちら側に引きずり込んだ。
それは三年前、親に連れて行かされた絵画展で見た。そこには風刺画コーナーがあって、当時、風刺という言葉すら知らなかった僕は興味本位でそこに入っていった。国と国の争いを風刺する昔ならではの画もあったが、僕が特に興味を惹かれたのは現代社会の闇を遠回しに皮肉する風刺画であった。
ツイッ○ー、否、エッ○スで闇を吐き出し、スマホを処方箋に見立てている風刺画。インスタグ○ムで料理の写真を投稿する少女、そこにハエが集っている風刺画。人間を鍋にぶち込み、大勢の野次馬が薪をくべて燃料を投下している風刺画。おそらくこれは現代の炎上騒動を遠回しに皮肉った作品であろう。他に見たのは、本当の感情を脳の中に閉じ込めて、めちゃくちゃ笑顔で笑っている風刺画。
僕はその日から、風刺の沼にどっぷりとハマってしまった。今まできれいな海岸を描いていたのに、ゴミが無造作に捨てられた海岸を描くようになった。好きな音楽も、リズムより歌詞で選ぶようになった。
黒板にみんなの絵が飾られると、やはり一人だけ次元が違いすぎて浮いていた。
「やっぱ好きだな。コータローの顔デッサン」
遠くに座っているミナスケがそう呟いているのが聞こえる。モデルとなった彼女は何とも言えない表情で「うますぎる」と呟いている。僕も何とも言えない表情で、自分の作品を眺めていたと思う。もう昔のような綺麗な絵は描けない。描けるのは精々似顔絵くらいだ。戦争、原発事故、貧困、SNSの闇、社会の縮図。
人類の凄惨さを知ってしまった今、僕は世界を変えるために筆を黒く塗りつぶさなくてはならないのだ。
下校途中、職員室を通り抜ける際、先生たちの声が聞こえた。聞き慣れないワードが飛び交っていた。社会保険、国税、地方税、インボイス制度。聞いたことはあるが、それが何の意味かは正直分からない。大人の事情といえばそれまでだが、僕も子供の皮を破らなければならない年齢。
「どうしたコータロー?」
僕と一緒に帰るミナスケの声が後ろから聞こえる。
「いや、先生たち、何話してんのかなって」
「聞いたところで、分かんねえだろ。俺たちは働いたことがねぇんだから」
そう言ってミナスケは靴箱から靴を取り出して、上履きから履き替え、僕も同様に履き替えて、夕日の光を浴びに外へ出た。
黄金色の空が僕の心を締め付けた。それ以上に、ミナスケは上を見ないように下を向いて歩いていた。上を向いて歩こうという歌があるが、下を向いて歩くのも人生には大事なことのような気がする。
「ごめんなコータロー。いつも、いつも、俺のわがままに付き合ってもらって」
「大丈夫だよ。トラウマはそんな簡単に消えるものじゃない、あと、スマホ、まだ戻ってきてないんだろ?」
「ああ、音楽も聞けねぇしインス○ライブも出来ねぇ。ガチャも引くつもりだったのに。スマホがないせいで、気を紛らわせる事が不可能なんだ」
それからどれくらい歩いただろう。思えば、学校が豆粒ぐらいの小ささになっていた。
「なあコータロー、剣道で世界を救えるか?」
「なに急に?」
「第四次世界大戦なら通用するかもしれない。有名人の予言では、こん棒と石が使われるらしいから。俺の剣道で全員なぎ倒すことが出来るかも」
「それは遠回しに皮肉った風刺の言葉。アインシュタインの――」
「でも、その前に第三次世界大戦を生き残る必要がある。剣道は何の意味も持たない、銃、戦車、地雷、ミサイル。それらを使ってほかの国を追い払わないといけない。皮肉だよな。うちの親殺した凶器で、日本を守らなければいけないんだから」
突然、ミナスケの口から解き放たれたのは遠回しでもなんでもない、まっすぐな怒りだった。
「俺は、今日のサイレン、正直生きた心地がしなかった。もしかしたらまた墜落するかもって、今度こそ終わったかもって。マジやばかった。なあコータロー、お前の風刺画に世界を変える力は本当にあるのかよ」
「なんだよ」
「綺麗な絵を描いていたころのお前に戻れよ。今の絵は、なんだか、醜い」
「あ?」
怒りが生まれるその時だった。本日二度目のサイレンが日本に鳴り響いた。ウーンウーンウーンウーン。この音は人類が生み出し生物破壊兵器、ミサイル。人類の叡智の結晶が、日本を横断するか、墜落するかの合図だ。
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