その一等星の遠さを私は知っている

柑月渚乃

彩音と凛

 彼女は、ダイヤの原石どころかダイヤそのもの。

 そう喩えられていた。


 美しい世界をなぞるような、クラリネットの透き通った音色が音楽室の端から端まで響き渡る。

 

 私の隣にはクラリネットを吹く凛の姿。

 言葉では表現できない神々しさに似た彼女の何かを、私は直接肌で感じた。


 曲は次第に終わりへと向かい、私たち二人のつくった世界は終幕を迎える。

 それと同時に同級生と後輩達から自然と湧き上がる大きな拍手。

 練習通り合わせて礼をしてから隣に目をやると、彼女は少し照れたように笑っていた。


 

 やはり、凛は“特別”だ。


 土砂降りのような拍手の音の中、そう強く強く感じた。




 

 

「彩音、完璧だった」


 音楽室から出て他のアンサンブルのグループが演奏する合間、二人しかいない廊下で凛はそう話を切り出す。


「もちろんでしょ」


 私がそういい加減に彼女の言葉を返すと、彼女はクスッとこっちを見て笑った。

 

 凛はいつもミステリアスな先輩を演じているから、こうして微笑むのが妙に上手い。

 こっちの目をじっと見つめてくるのはうざいけど。


 今日はアンサンブルコンテストという少人数のコンテストに出場するグループが、部活の皆んなの前で演奏を披露する日。

 私たちは一番最初に終わったし、私たちは他のグループのを今日は聞かないことになっているから、ここから暇だ。壁に背をつけて長い廊下の老朽化した天井を見上げる。


 ……果たして他のグループは私たちが作ったハードルを越えられるのだろうか。

 ボーっとしていると、そんな考えがふと脳裏をよぎった。全く、性格が悪い。


 私たちは絶対一番最後が良かった。くじとはいえ順番が明らかに事故っている、そう思ってしまう。

 自画自賛のように聞こえるだろうけどそうじゃない。私じゃない。凛が凄いんだ。

 もちろん、皆んな頑張っているのはよくわかっている。

 でも残酷なほどに圧倒的な、持ってる世界の格の差が彼女とそれ以外にはある。


 凛が皆んなの言うようにダイヤだとすれば、周りなんてただの石。

 きっと皆んなも、そう感じてはいるのだろう。

 比較される側からすればたまったもんじゃない。天才だからってだけじゃ納得できない理不尽さ。それが凛。

 

 私もああはなれない。

 彼女についていくため私は周りの誰よりも努力した。彼女の背中を見失わないように何度も追いかけた。でも、無理だ。


 彼女は本当に凄い。

 思えば、私も昔からずっと、彼女にあてられている。



 

 そんなことを考えていた時、突然、天使の歌声のような可憐な響きが私の耳を貫いた。音楽室の向かいにある教室から微かに聞こえるブレス。それすらも音楽。


 これは──気付けば隣から凛の姿が消えていた。




「ちょっと、凛!?」


「ふふっ、ちょっと吹きたくて」


 まだ青さの残る夕暮れの空。それを背景に彼女はそう言って微笑んだ。

 当たり前のように教室の机に腰掛けている。行儀悪い。でも、芸術的。


 こういうところだ。なんてズルい。

 彼女はステージ上だろうが学校の教室だろうが、どこでどういう風に吹いても様になる。


 自然体でアートなんだ、彼女は。彼女が吹けば世界が色づく。

 舞台の上で何度嫉妬の視線を浴びたか、彼女自身は知らないのだろう。嫉妬心なんて薄汚いものは全てあの輝きの前になすすべなく祓われる。

 どんな時であろうと関係ない。彼女が彼女である以上、ズルいほどに全てが美しい。


「音楽室でアンサンブルやってるから、静かに」


「ごめん」


 誤魔化すように笑う凛。本当にムカつく。

 彼女の背後の窓から差し込む夕日が今日は妙に眩しい。

 

 やっぱり、彼女は“特別”だ。

 


 ──誰もが彼女を欲しがっている。

 誰もが彼女に憧れている。凛はダイヤだもの、当然だ。


 ……でも、凛の価値を正しく見えているの?


 確かに、凛の音楽は完璧に聞こえる。

 誰もが宝石のような煌びやかさに魅了される。

 そして、彼女に対し“底が知れない”、そう思う。


 でも、それは本当に分かっていると言えるの?

 私はああいう彼女の一般人も感じ取ってしまうほど分かりやすい異質さが本当に嫌いだ。


 私はずっと一緒にいた。

 “等身大”の彼女をずっと横目に見てきたら知っている。

 

 彼女の中身は意外とシンプルで、ミステリアスに見えても彼女のどこにもミステリはない。彼女を複雑そうだと思って見ているからそう見えるだけなんだ。

 皆んな雰囲気しか見ていない。彼女の表面的な部分しか見ないから皆んな彼女を美化していく。このままではいつしか原型もなくなるだろう。


 彼女はダイヤなんかじゃない。

 ダイヤなんかなわけない。


 雰囲気だけ見て審査員気取りするなら、そのペンを動かす資格はないよ。




 私は彼女とずっと一緒にいた。

 だからこそ、彼女が私の隣にいつもいなかったことを知っている。


 でも、私は彼女とずっと一緒にいた。

 

 彼女は、皆んなの想像よりずっとシンプルで、普通で、ずっと“特別”なんだ。


 

 オーラが輝いている?

 周りのオーラ以上に輝いているものは見えてないの?

 

 ミステリアスな存在?彼女の秘めた何かを見ようとはしないの?

 勝手にミステリアスなんて名前をつけないで。


 ──ふざけないで。



 

 彼女はダイヤなんかじゃない。一等星だ。

 ダイヤなんてそんなに身近なもんじゃない。


 何もわかってないのに、わかったふりなんてしないで。


 暗い舞台の上では周りの何より輝いていて、明るい日常の雑音ばかりの景色の中でも圧倒的な存在感がある。誰もが一番最初に目を奪われる。それが凛。


 凛は“特別”なんだ。その本当の意味を誰も解っちゃいない。

 一番星の名前を誰も知ろうとしない。


「凛、今回の目標は?どこまでいきたい?」


「んー、そうだなあ……」



 ──言葉にせずとも彼女の目指すその景色を、私だけはちゃんとわかっている。

 彼女の遠さを、私だけはちゃんと理解している。



 ──私は、知っている。



 凛の輝きの奥底を。

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