尾崎紅葉

様子がおかしいとは思っていた。

 久しぶりに会うた娘は、何か切羽詰まった様子だった。何かと問うても、歯切れ悪く、答えぬ。

 ただ、共に居る空間を楽しんでいる様であった。それはそれで善い。だが、そこで引き留めなかった私は、母親失格じゃ。

 娘は、光に焦がされ、焼け落ちたのではない。闇の底へ堕ちてしまった。光と見間違うたのだ。あの男が見せたのは光ではない。底無しの闇。あやつに比べたら、この組織こそ光であろう。此処に居れば、永らえたやもしれぬ。

 娘の寄越した贈呈品か? 無論、保管してあるぞ。娘の代わりとは成らぬが、あやつの最期の贈り物。手放す訳が無かろう。

 卯羅や、卯羅や。私はあの時、お主を引き留めればこうは成らなかったのかえ?

 化粧を施されたお主は美しかった。憎らしいほどにのう。二人して満足な顔をしおって……あれでは、母は、どうすれば善いのか解らぬであろう。誰を憎むでもない。否、憎むことなど出来ぬ。

 ただ、今、娘が幸せなのなら善いのやも知れぬ。愛した男と共にあるのが、お主の幸せならば、母はそれを受け入れるぞ。娘の幸せを願うのが母の務め。相手がどんな男であろうとな。

 初めて太宰と会い、役目を仰せつかったと報告した、あの愛らしい笑顔を、希望に満ちた顔を忘れられぬ。共にこの世界で生きられると信じておった。それがどうだ? 甘言に唆され、凡てを手放し、自ら茨へと進んだ。あの時、連れ戻せば善かったのか?

 組合との抗争時、私の監視に就いた卯羅。どのような心持ちであったろう。私は嬉しかった。一時とは云え、また共に過ごせた。足掻き、眼を焼かれまいと奮闘する姿。

「治さんが休める場所に成らなきゃ。お嫁さんって、そういうものでしょ?」

 そう笑う姿が健気で、痛々しく、あまりにも可憐であった。

 もう善いか? そろそろ娘に花を渡さねばならぬ時間でのう。

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