幾重に

「君に着て欲しい、君が一番似合う装いを誂えたんだ」

 幾重にも淡い桃色を重ねた花弁。華々しくふわり、広がるそれは、八重の桜を落とし込んだ様。きっと、彼女の青い髪と合わされば、晴天に咲く花。

 二人だけの約束。

 二人しか知らない夫婦の約束。

「確か君は、これが好きと云ったから」何時だかの悪巧み。白の長外套の三つ揃い。

 この世に嫌気が差したわけでは訳ではない。

 何を悲観する訳でもない。

 ただ、二人の、二人だけの世界へ脚を踏み入れるだけ。

「どう? 初めて着る色だから……」

 花を纏う華の異能力者。

 美しい。

 その一言に尽きる。

「能力名『道化の華』」

 レヱスを載せた手を合わせ、異能を呼び出す。開いた手には青基調の花束。

 この世で最も尊く、美しい、とされる女性の姿。

「写真撮る」

 私の腕に収まり携帯で自撮りする。

「治さん素敵」

「卯羅こそ素敵だ」

 写真をうっとり。暫くそのまま抱き締めて、彼女の手を弄り、その手に口付け、甲を撫で。

「治さん」

「何?」

 呼びかける声に答えながら、胡座をかいて手招きをする。すると卯羅は、上手に裾を避けながら、私の脚の間に収まる。

「私、今凄く幸せなの」

「それは何より」

「愛してくれる人が居るって、とても幸せ。母様に愛され、治さんに愛され。二人の愛情は違うけれど、貴方みたいな人に愛されるって、最上の歓びだと思うの」

 語る彼女は、私たちを繋げる指輪を注視していた。

 マフィアを抜け、此方側へ来た二十歳。それから今日まで、二人の関係を明確に示し、公のものとしてきた。

 ただの、無意味な指飾りだと思っていたが、案外悪くない。陳腐かもしれないが、彼女が、愛しい彼女が、居てくれる。それを視覚的に感じ、認知し、事実として突き付けられる。

「ねえ、もっとお花を飾ろう? 綺麗なお花。いっぱい咲かせられるもの。それに、華々しい方が素敵でしょ? 折角の門出だもの」

 卯羅の手から、花が溢れ出す。桜の花弁。私の身体に触れるものは消えてしまう。それでも、止めどなく流れ、部屋を埋め尽くす。

「花言葉は?」

「そうね……八重桜だとしたら……」

 ふっと睫毛を伏せ、悪戯に笑う。

「私を……」

 言葉を詰まらせた。そこで足踏みし、先へ進めない。そのうち、頬を、何時だか見た流れ星。

「私を、捧げる……」

 それから笑って、私の頚に腕を回す。「そう、私は貴方にこの身を捧げたの。あの日から、これから先も」

 鼻が触れ合う。触れるだけのキス。

 暖かい。彼女の体温。求め続けた体温。愛しい体温。これがあれば善い、それだけで充分。

 触れ合う回数が増える。食むように触れる唇。

「……っん……ねえ、誰に誓うの?」

「互いに、だろ?」

 私達だけの空間。何人も邪魔をしない。

 愛し合う二人。

 それだけ。

「君には世話を掛けたね。この先も、そうなるかもしれないが、共に来てくれるかい?」

「私は貴方の世話人であり、妻。至らない部分しか無いかもしれないけど、貴方が御側に置いてくださるのなら」

 花嫁と花婿を結ぶ口付け。彼女を中心にひろがる桜の絨毯。

「花束、誰に投げようかしら」

「誰でも善いさ」

 肩を竦めて答えると、そうよね、と笑った。

「治さん」

「卯羅」

 なんて愛しい名前なんだろう。愛らしい君に、善く合う。君を形容するのに、これ以上の言葉は無いだろうね。

 花束を床に置き、私に抱き着く。

「昔と変わらない。この暖かさが愛しい。治さん、ありがとう」

「卯羅……」

 互いの存在を堪能する。背に周り、髪を撫でる手。私もそれに応えて。卯羅が居てくれる。初対面の時と変わらない手つき。私を猫みたいと、愛した少女。

 彼女はまだ居る。

「変わらず愛してる。太宰治の妻として、歩める事を、誇りに思う」

「永遠の愛を君に」

 答えたのは深紅の飛沫。


 治さん、愛してる。


 微かに聞こえた言葉が耳に残る。

 留まることを知らず流れ出るそれは、礼装を赤く染め上げる。色付く桜。春の訪れ。

 私に抱き着いて離れない、満足そうな笑みを浮かべる、最愛の女性。その髪を撫でながら、ゆっくり話し掛ける。

「私ね、君が居なかったら、どうしていたんだろうって考えるんだ。君が居なかったら、知れなかった事が山のように有るんだよ。特に愛情なんてね、縁も所縁も無かったかも知れない」

 桜は染まる。幹の蓄えを吸い尽くすように艶めく。

 彼女の身体をそっと横たえる。髪には椿の花を。手には錦百合の生花を。最期の飾りつけ。私からの贈り物。

「ねえ、卯羅。私、漸く君の華に触れられたよ。心の底から待ち望んでいたんだ。君の咲かせる可憐な華に触れることを」

 小さな背、その左背部に突き立てられた銀の果物刀。それを抜き取る。

「矢張、綺麗だ。君は何時でも美しい華を咲かせる。桜を彩るのは美人の血液だと相場が決まっているね」

 消え行く絨毯。彼女の作った花束に触れると、割れるように霧散した。

「君の愛に応えなくてはね」

 枕元には真っ赤な林檎。二人の間、行き先を示す。

 私は自らの左胸に果物刀を突き立てた。この感触は何度目だろうか。引き抜き、林檎に突き刺す。

 指先に着いた、生温いそれで、卯羅の紅とする。

 視界に映る、愛した青。横濱の、星空を、落とし込んだ、色。

 彼女が、泣いている時、よくしたように、私の顎下へ、頭を抱く。顔を、汚さぬ様、注意、して。

 背を、抱いて、最期に、口付けて。

 消え行くものと、その、先に、ある、二人だけの

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