一日前
「却説、乾杯をしよう」
「何に乾杯する?」
何度もしたやり取り。尋ねる人を変えて。『迷い犬に』旧い友人の言葉。部下へ掛けた言葉。
「私達、夫婦に」
今日だけは違う。私達に乾杯しよう。合わさる硝子杯の音が心地好い。
最後の晩餐は、互いの好物ばかり。全くもって一貫性の無い食卓だが、それで善い。それが善い。
「治さんはさ」炒飯を皿いっぱいに盛りながら卯羅が言葉を発する。「本当に特別で、不思議だよね」
「つまり?」
「儚い容姿なのに、何処か大胆で、凡てを圧倒する存在感。なかなか持ち得ないよ、そんなの。美人で頭脳明晰。神は治さんを作る時、どれだけ楽しかったのかしら」
「楽しかったのかなあ。それにしては随分と苦しめてくれた」
今でも忘れない。初めて卯羅と出会った時、私達は同一であり、正反対だった。周りの大人たちに、疎ましく映っただろう私。卯羅はそのままの通り、愛らしく。私達しか理解し得ない虚空を抱きしめながら。
「私、治さんと出会えて、本当に善かった。貴方に縋り付いて正解だった」
「ふふ、本当に変わらないね。この間も云ったけど、君は本当に変わらない。周りがどう変わろうと、君はいつもそうだ。私にしか動かされない。君自身の望みはないの?」蟹の甲羅に酒を注ぎながら尋ねる。
「全部叶ってるもの。これ以上望むものなんて、無いよ?」
そうやって笑う時。私から少し距離を取りつつ、若干、右下を見る様に、目を伏せて笑う時、君は嘘を吐く。「この際だから、洗いざらい話してよ」
「もし有ったとしても、墓場まで持って行かせて。女の子の秘密を暴こうとするんじゃありません」
そうやって有耶無耶にしようとして。もう何も叶えてはあげられないけれど、聞かせてよ。
「隠されると気になる性分でね」
「着衣も好きなくせに。それに秘密はね、女性を更に美しく見せるのよ」
結局、教えてはくれなかった。此処まで頑なに口を閉ざすのもなかなか無い。
その場では、もう何も、追求はしなかった。
共に風呂、少し茶を飲み、それから共に就寝。いつもの習慣。
腕枕をしてやろうと、場所を作ると、ちゃんとその通りに寝転ぶ。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
私の身体を撫で続ける卯羅。何か気になるのだろうか。それともただ〝私〟を確かめているだけなのか。
「治さん、来世でも、また一緒になってくれる?」
なんだ、そんな事。私からしたら小さいが、彼女からしたら、大きな事。流るる星のように、瞬く大好きな眼。それを確り見ながら、答えを導き出す。
「勿論だよ。私の伴侶は君以外、有り得ない」
その答えに安心したのか、ありがとう、と小さく頰に口付けて、大好き、と呟いて眼を閉じた。私はその額に口付け、就く事のない眠りの真似事をしてみた。
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