第31話 藤本要のバカンス計画⑤
「おっちゃーん、師匠が食事の準備できたってー」
先ほど洋一のところに呼び出されたヨルダが、小さな子グマにまたがって走ってきた。
「キュウン!」
つぶらな瞳、愛くるしい顔立ち。しかし毛色は赤く、見たことのない個体である。ミンドレイ王国であるなら高値で取引されそうな、そんな値打ち物の予感を感じさせた。希少種なのだろう。しかし人には慣れてるようで、人を乗せて走っても嫌がる様子はなかった。生憎と一人乗りのようだが。
「おや、時間のようです。楽しい時間というのはあっという間ですな。皆様、ご足労願えますでしょうか?」
少し歩くので、お手間を取らせますと明言した後移動する。
「そこのクマちゃんは随分人懐っこいのねぇ?」
「ベア吉? 師匠が森で拾ってきた個体だよ。人には慣れてるけど、害意には害をぶつけてくるから武器とか剥けると普通に襲ってくるから扱いには気をつけてな?」
「ほう、飼い慣らされていても所詮は獣ということですか」
「飼ってるというより、家族だからね。最近は荷物持ちとか、荷車を引く仕事を覚えたってだけだよ。こう見えて馬なんかより早く走るよ?」
ノコノサートの質問に「ベア吉は家族だから、獣と同一に捉えるのは失礼だぞ?」と釘を指すヨルダ。
「早く走ればいいってことでもないのですわよ?」
ヨーダは、優雅且つ可憐に馬車とは人を乗せて走るために特化した乗り物だと指摘した。
確かにベア吉は馬とは比べ物にならない速度で走るが「それを一般人が乗るのに適しているか?」と聞かれたら即座にNOと答える自信があった。誰でも乗せるわけではない、家族だから乗せるのだ。
「まぁ、コツがあるのは確かだね。だからこうして徒歩での移動を促してるんじゃないか」
「キュウン!」
そこへ、ベア吉の愛らしさに惚れ込んだ少女が一人。
「少し撫でさせていただいてもよろしいですか?」
「目的地に着いたらな?」
「是非に!」
マールは一切ブレずにベア吉をモフる決意を固める。
この女、貴族らしからぬアグレッシブさだ。
ヨルダは内心でそう思っていた。
「すみませんね、うちの姪っ子は好奇心旺盛なもので」
「おっちゃんの家族だから特別に許すんだぞ?」
「では他の方々は?」
「そっちのメガネとのほほん顔は、こっちを警戒してるからダメ」
オメガとノコノサートのことである。
「これは手厳しい。しかし我々は保護者兼護衛。警戒するのが仕事でありますが故」
「それでも相手を選ばずところ構わずによくない気配を醸し出すのは二流だよ。ベア吉の闘争本能を刺激しすぎないようにね?」
「キュウン?」
「精進いたします」
ノコノサートがヨルダに対して敬語で話す。
敬意を示したというよりは、ここで噛みついて敵対するのは目的を潰しかねないという判断をしたためだ。
今回この話を引き受けるのにあたり、国王コークより王命を承っていた。それが件の料理人、本宝治洋一との連絡手段の確保であった。
方々を探すも見つからずじまい。
義娘の功績により、家宝の指輪の特殊機能で場所だけは判明してるが結構な頻度ですれ違う。
このチャンスを物にするためには、彼の直弟子を蔑ろにするわけにもいかなかった。
今回に限り、王族のロイドの護衛よりも優先順位が高いことでコークがどれほど待ち侘びているかの期待度が伺えよう。
それ以外は全ておまけだった。
「やぁみなさん、随分とお待たせしましたね。この街での食事は基本立食形式で行なっています。本来なら成果物を持ち寄って、それに合わせて料理を作るスタイルですが、本日は特別にお好みのものを調理いたします。ここ、アンドール流はミンドレイの人たちの舌には随分と硬く、塩辛い物に感じるでしょうから」
歩いた先では立食パーティが開かれていた。
大きな広場に、即席のテーブルが置かれている。
さっきのティルネ同様のことを誰かがしたのだろう。
てルネの魔法構築に比べて、少し荒さは目立つが、さっきまでなかったものがこの短時間で生まれると慣ればやはり魔法使いの仕業と見るのはおかしくない。
「先程までなかったものがこんなに!」
「オレとベア吉の合わせ技だからな。師匠がオレを頼るわけはそれ系ってこと」
「このクマちゃんはそんなにすごい特技があるんですか?」
早速モフりながら、尋ねるマール。
「ベア吉はジーパで玉藻様と契約した個体だから。ちょっと物理的には無理な不可解なこともできちまうんだぜ」
「聖獣玉藻様とまで!?」
これに驚いたのはやはりジーパの姫、紀伊である。
「あ、やっぱりジーパの人から見てもすごい人なんだ? ちなみに師匠とも仲良しだよ」
「何者なんです、そのお方」
「なんだろうね? オレもよくわかってない。でもさ、そこは別にどうでもよくない? みんなから慕われて、すごい料理を作る人だよ。一緒にいるけど、謎の安心感があるからね」
「人々が手放しで喜ぶ現象を生み出す御仁。一度深く話し合ってみたいものですわね」
「お姉様、涎、涎が垂れてますわ」
「あら、わたくしったら。オホホホ」
ヨーダのわざとらしい演技。すっかり胃袋を掴まれたものの顔であった。
その上で二人きりの時間を作れ、とヨルダにアイコンタクトをとってきたのである。
今は妹がいる都合上、身動きが取れないのだろう。
ヨルダにとっては、それが不思議な光景に映った。
あの自意識過剰の権化である妹が、こうまで丸くなるなんて思ってもみない。
久しぶりに見た妹は別人に成り果てていた。
誰だこいつ? 本当にあのヒルダか?
何をどうやったら悪魔つきみたいな妹をこうまで改心させられるんだ?
改めてヨーダに対する評価をあげていく。
「せっかくアンドレイに来たのだから、是非この国の味を堪能したいな。一品作ってもらっても?」
そのすぐ横では、ロイドが果敢に攻めていく。
せっかく凄腕の料理人がいるのだから、他国の料理をぜひに味わってみたいものである。
父親が絶賛していた『鍋』なるモノに対する興味も尽きなかった。
「では簡単なものから作っていきますね。この国は一年中こんな暑さなもんですから、人々は塩辛い料理を食べることで暑さに対抗した、なんて言われています故、最初は塩辛く感じることかと思います」
「構わない。何事にも横に倣えではないのだと知るためにも」
ロイドは今回の旅で肩書を一切使わずに、人々と接する縛りを設けていた。王族である彼が、こんな身勝手に振る舞えるのも、名うての護衛がいるからだ。
ノコノサートにオメガ。このメンチが揃い部むことなんて、滅多にない。ここにヨーダがいてくれたら完璧だったのに、所用で行けないと通達されて少しなりともショックを受けていたものだ。
最初の一品はシンプルな串焼き。なんの肉か聞いてもはぐらかされてしまう。
余計に気になったが、まずは熱々の肉を口の中で頬張ることから始めた。
毒味の心配はない。毒耐性の魔道具を身につけているから。
だからなんの憂いもなく、食べ進められた。
まず最初に来るのは塩辛さ。これは食べ慣れてないものだった。
ミンドレイ国民が親しんでこなかった痛烈な塩辛さを持つ。
しかしそれを包み込むほどの肉汁がロイドの口内を襲う。
「ん! もぐもぐ、ごくん」
目を見開くほどの旨みの洪水。あれほどの塩辛さが一瞬で隠し味に昇華した。
串にはいつの間にか全ての肉が口の中に放り込まれた後だった。
なんだろうか、このジャンクなフードでありながらも病みつきになるこの感覚は。
「お口に合わなかったでしょうか?」
「いや、美味であった。最初は独特のスパイスに面食らったが、これがどうして旨み抜群の肉と良く合う。そして肉を飲み込んだ後、肉と調味料の余韻でもう一度味わいたくなる、不思議な味だった」
「お褒めに預かり光栄です。次は少し食べやすくしたホットドッグとなります。パンの硬さはこちらで調整できますからね、硬すぎたらお申し付けください」
「まずはその硬いのから頂こう」
「ええ、少しお待ちください」
何事も挑戦だ。こういった機会を設けてくれた未来の家臣に感謝しながら、ロイドは硬めのパンのホットドッグをいただいた。
柔らかい料理に慣れていた歯が悲鳴をあげるほどの硬さ。
しかしそれは最初だけであった。
肉汁が、ドレッシングが、シャキシャキとした野菜が。
噛むたびに複雑な味を提供してくれる。
噛みついて肉汁が飛び出た後、硬さが抜けるだなんて現象はなかったはずなのに、次から次へとかぶりつきたくなる衝動が全身を駆け巡った。
気づけば両手を汚しながら夢中で食べていた。
「どうでしたでしょうか?」
「ああ、これは病みつきになるな。人々が笑顔の理由が伺えた。民たちが笑顔で暮らせる国を作りたい。まずはこの街に並べるよう、努力すべきか」
なんのことだろう?
ロイドが王子様だという事実を伏せられている洋一は、なんとも言えない顔で接している。
藤本要が国の中枢部に接しているのは聞いた。
そのクラスメイトがお偉いさんのお嬢様方であることも聞いた。
けど全員の役職や肩書は聞いてない洋一だった。
やんごとない身分のお方ぐらいの認識である。
「わたくしは、少し柔らかいものをいただきましょうか」
ヨーダは、おっとりとした振る舞いで久しぶりに再開した洋一をじっと見つめた。
誰だろう? なんかこの人やたら見てくるぞ。ぐらいの認識でしかない洋一は「今お作りしますね」としか言えずにいた。
まだ洋一に正体を明かしてないがゆえである。
ドッキリはいきなり正体をバラすものではない。
相手を勘違いさせる過程もまた大事なのだ。
「ああ、すごい刺激」
「お姉様、食べても大丈夫でしたか?」
「ヒルダには少し辛すぎるかもしれませんわね。ですが先にこうやってお肉の方を切りつけておけば」
「あ、なんとか食べられそうです。このお肉、ホワホワでとってもジューシーですわね。さしよの塩辛さが嘘みたいに調和してますわ!」
「よかったわ。これでわたくしも最後まで食べきれますわね」
ヒルダの割り込み。しかしヨーダはそれをシェすることで洋一に文句が飛ぶのを回避した。
病みつきになる味と評したロイドの気持ちがわかる。
これはアルコール飲料に合わせた味付けだ。
お酒飲みたいなーなんて気分が湧き上がるヨーダであった。
「おじ様、いつもこんなに美味しいものを食べててずるいです」
「ならば君も学園を辞めて一緒に来るかい?」
「流石にそれはお父様に悪いので。でも、学園を卒業した後は」
ついて行ってもいいですか?
そんな感情を込めた瞳で訴えかけるマール。
しかし当のティルネは実の兄がなんていうだろうかと頭を悩ませていた。
マールはハーゲン男爵家の跡取りだ。
それを連れてけばお小言では済まないことは明白であった。
「キュッ」
そんなやりとりの横で、洋一のフードの中から小狐がひょっこりと頭を覗かせた。
「あ、貴方様は」
反応したのはジーパの姫、紀伊である。
「キュッ」
紀伊の相棒のオリンが呼応した。
『よくぞ妾の探し他人を見つけてくれたの。何時には褒美を遣わす』
「キューン」
洋一の頭の上で、紀伊の肩の上で。小狐が合唱する。
それは料理に浮かれる人々への最高のパフォーマンスとなった。
しかし実際は、もっと別の能力の開花だった。
「え、転移ゲート? え、え?」
「どうやら俺のおたまと君の小狐の間で荷物の持ち運びが可能になったようだな。それと通信の類いもできるようになったっぽい」
「えぇ……」
同じ契約者同士の共鳴反応。
洋一にとっては見慣れた能力であったが、紀伊からしてみれば寝耳に水の能力開花であった。
「つまり、紀伊様を介して貴方様の料理がいつでも堪能できるということですわね?」
ヨーダが前に躍り出る。知っている能力が来た!
これは弄せずして洋一の料理が食べ放題になる。
一年半以上ぶりの邂逅を、距離を置いても味わえるのは朗報以外の何者でもない。
「本当かい? そんなに嬉しいことはない」
ノコノサートも感極まった声で感涙する。
全てにおいて、パーフェクトな回答を用意された気分だった。
「でも紀伊様、学園を卒業した後は祖国にお戻られになるのでしょう?」
そこへマールが冷水を被せる質問を投げかける。
「そう、聞いておりますわ」
「紀伊様、改めてミンドレイ王国と協定を結びませんか?」
「えーと?」
ここで男を見せたのはロイドである。
「婚約者として、国を起こしていきたい。その横に、貴方がいてほしい」
なんだ、こいつ。今まではろくすっぽ距離を縮めてこなかったのに急に興味を示してきて。
単にこの料理人の食事が欲しいだけじゃないか。
自分を見ろ! 紀伊はむしゃくしゃとした気持ちで断りの返しをする。
「みんなして急になんですの? 今はまだ先のことまでは考えられません。それに、妾にだって立場というものがありますのよ?」
ジーパの姫。国に変えればその待遇が待っている。
国に嫁いだらジーパはどうなるのか。
考えなくてもわかる、王国民によって占有されるのではないか?
そんなのは認められぬ、と唇を引き締める。
「ジーパはミンドレイの分譲地として統括しても良い。それも同等の地位を貴方に授ける。鬼人の身分も魔法使いと同等に引き上げよう。それでどうだろうか?」
「そこまでして、ミンドレイになんの旨みがあるというのでしょうか?」
「いつでもどこでも洋一殿の料理が食べられる。そして、それは貴方の故郷のジーパ菓子もだ。そうですよね、ティルネ殿?」
先ほど感銘を受けていたジーパ菓子。
異国の地であるにもかかわらず、ジーパの心を感じたあの菓子が食べられるとあるならば、心も動く。
「それが本当に可能なのですか?」
しかし、現実味がわかないのは紀伊本人である。
いきなりゲートが開いたといわれてもチンプンカンプンであるからだ。
「まぁ、一度送りつけてみよう。俺の料理にだけ反応するのか、ティルネさんのお菓子や、ヨルダの野菜にも反応するか。実験は必要だよな」
「そ、そうですわね。どのように届くかの実験もしてみませんことには婚約のお話は引き受けることはできませんわ」
「ああ、大丈夫だ。問題ない。必ずや君を落として見せる」
なんの根拠をもって大丈夫だといってるかもわからないが。
結局自分なんかよりゲートの能力が目当ての男に、気を許すなんてプライドが許さない紀伊であった。
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