第30話 おっさん、商人ランクを上げる③

 商人ギルドアンセル支部では、最近ランクアップ申請が途絶えぬうれしい悲鳴をあげていた。


 普通であれば、異常事態。

 しかし、ギルドとしてはランクアップはお金が入り込む一大イベント。

 是非もなく大歓迎。

 したのはいいが、すぐに終わると思っていた一大イベントが、一週間すぎても終わる気配を見せずに、疲労を溜め込んでいる形である。


「お疲れ様、タリア。この後休憩でしょ?一緒にランチでもどう?」


「そうね、ご一緒するわ。それより最近ランクアップ申請多くない?」


「いいじゃない、それだけやってればギルドが潤うんだもの。支部長もお給料アップの打診を受理してくれたそうよ」


「忙しすぎてお金を使う時間がないじゃないのよー」


 受付嬢、タリアが地獄の底から這い上がってきた幽鬼の如き呻めき声を上げる。


「まぁ、最近多すぎるけどね。ところで、例の目をかけてた人は今どのランクにいるの?」


 あの目の前で軽食を食べてこちらの空腹指数を爆上げさせた張本人の話か。タリアはすっかり忘れていたとことを述べる。

 忙しすぎてそれどころじゃなかったのもあるが、普通に話を振られるまで思い出せないくらい、顔を合わせてないのである。


「それなんですけど、Eに上げてから全く来てないんですよね」


「え、あれから全然?」


「はい。見た限りではお金には困ってない暮らしをしてると思うんです。多分、私たちと同様にギルドに顔を出す余裕がないんじゃないでしょうか?」


「いつ見ても行列ができてるみたいだものね。あれからん何度買いに行っても、金額を釣り上げて全部買い占める商人が出て買い逃すことが多いのよね。すっかり銀板15枚では買えなくなってしまったわ」


「やっぱり、あの値段、安すぎたのよね」


 銀板15枚。

 最初聞いた時は耳を疑ったものだ。

 たかが軽食にその値段。

 あまりにも吹っかけすぎている。


 アンドールの商人はそういう商いを行なっていたのは知っている。

 吹っかけているのは他ならぬ商人ギルドであるからだ。


 だが、その真の価値に気づいてから買い求めてももう遅い。

 その価値に最速で気づいた商人は新たな商売を広げるために味の再現に踏み出した。

 それが金板での買い占めである。


 相手が商人であるのなら、金を稼ぐのが最終目標。

 拒まなかった結果が、そういう一部の金持ちの横行を許した。


 許してきたのが他ならぬアンセルの商人ギルドなのだ。

 どこかの誰かが迷惑する分なら、目を瞑ってきたが。

 よもやそれが自分たちに降り掛かろうとは思いもしなかったと、今こうして嘆いている。

 

「今じゃ、類似品でお腹を満たすだけなのよね。それでも美味しいんだけど」


「美味しいけど、あの時ほどの感動はないのよね、営業努力は認めるけど」


 最近暖簾分けを掲げて、類似品があちこちで出回った。

 商人としてはライバルは頭の痛い存在だ。

 しかも売れるからと全く同じ商品を真似されてはたまったものではないだろう。

 

「案外、その対応に追われて今てんてこ舞いなのかも」


「あー、あり得そう。人が良すぎて騙されてるのかもね」


「所詮駆け出しは熟練にいいように使われるだけよ」


 そうかもね、なんて最近できたばかりのレストランに入る。


「二名で予約を入れてたレイシアよ」


「お待ちしておりました。おかけものをお預かりいたします。席はこちらです。ご案内いたしますね」


 エントランスで手荷物を預け、席に通される。

 しばらくして、料理が運ばれてくる。まだメニューを開いてもいないのにだ。


「あら? これは頼んでいないわよ?」


「アミューズとなります。こちらは席代に含まれていますので、こちらのワインと合わせてお楽しみください」


「ワインまで?」


 レイシアは理解が及ばないという顔をする。

 コース料理についての知識はあるが、そんな対応は前代未聞であったからだ。コースを頼めば、順番に料理が出てくる。

 

 しかしそれは頼んだ後だ。頼む前に来るのはもってのほかだった。


「ねぇ、ここってお高いの?」


 あまりにも奇想天外なメニューの出され方に、タリアが動揺する。


「銀板20枚からというお話よ」


「それは流石に安すぎない?」


 つい最近、たった一つの軽食に近い金額を出してきたタリアにとって、それなりに腹を含ませるために来た場所でのその値段は少し心配になった。


「席料で銀板、頼んだメニュー次第で金板まで行くかどうかみたいなの」


「ああ、そういう」


 だから席に通された時点で銀板を持って行かれるのか。お得なのか、作為的なのかはわからないが、それでも予約なしでは随分と並んでいた。

 それなりの味は期待できそうだとタリアは楽しみにする。


「メニューを見る限りでは普通ね」


「これがおすすめらしいわね」


 メニューにはデカデカと当店のおすすめと描かれている。その誇張のしかたは居酒屋のそれだ。

 この外観のレウとランで、それはあまりにも場違いすぎた。


「じゃあ、それで。あとは軽くつまめるオードブルを頼めましょうか」


「なら私はこのランチで」


 席の中央にはベルが置かれ、鳴らせばウェイターが一糸乱れぬ姿勢で歩いてきた。

 まるで浮いて滑ってきたような不自然さである。


「お待たせしました、ご注文は?」


「あら、あなた?」


「はい? 私でしょうか?」


 思わずウェイターを呼び止めたタリア。


「ううん、気にしないで。どこかで見たことあるような気がして」


「すいません、業務中なんでナンパは後ほど」


 ウェイターは苦笑しながらはにかむ。

 

「ちょっとタリア、綺麗な人だからって恥ずかしい真似しないでよ!」


 予約した私が恥ずかしいじゃない! トレイシアが避難してくる。


「すいません、後でこの子はとっちめておきますんで、先にメニューを」


「ええ」


 見た目はスラリとした華奢な男性。

 髪色はハニーブロンドで、瞳は吸い込まれそうなほどのエメラルドグリーン。

 確かに特徴的にはミンドレイの貴族に通ずるものがある。しかし、例の国の貴族は高慢で、目の前にいるウェイターとは比べるまでもない。

 ただ特徴が似てるだけか?

 にしては高貴なマナーが身に備わっている気がしてならない。


 この国に訪れる貴族のほとんどは、こういった態度を示さないので特に印象的に映った。


 注文を受け取ったあと、ウェイターは来た時と同じように、まるで床を滑ってるかのようにスーっと流れていった。


「本当に、見たことあるのよ?」


「もういいから」


 それより最初にアミューズをいただきましょうかということに。


 ワインを注ぎ、香りを楽しむ。


「わ、芳醇な香り。これで銀板は安くない?」


 アンセルではワインは一本空けたらそれなりの金額が飛ぶ。

 特にこういうレストランでは銀板10枚は持って行かれるものだ。席代の半分はこのワインだな? とあたりをつける。


「このアミューズも只事じゃないわよ? 下手すればこれ単品で銀板20枚は下らないかも」


 それは流石にないだろう。

 レイシアの評価に、タリアは失笑する。

 だって薄く焼いたビスケットに、チーズと蜂蜜をかけた程度のもの。


 そんなに価値はない、何なら買ってきて家でもできる代物だった。

 同僚の鈍った舌を正そうと、タリアはすぐに化けの皮を剥がしてやるつもりでそれを口に入れ、衝撃に目を見開く。


 その顔が見たかった、とレイシア。


「すごいでしょう? 私も一瞬、自分の舌が信じられなかったわ。表の行列も納得がいった。だからこそ、メニューが届くのが楽しみだわ」


「そうね」


 タリアは余韻に浸りながらワインを一口飲み、またさらに驚きをあげる。


「待って、これワインとも合うわ」


 食べた直後に飲んでみろ、とばかりに急かすタリア。

 そりゃ、ワインに合わせて作ったんだから合うに決まってるだろう。

 先ほどほどの驚きはもうないと信じて疑わないレイしあだったが……


「あ、これ…一生食べられる」


「なんならこれをお代わりしても良くない?」


「いいわね、持ち帰れるか聞いてみましょうか。これはみんなにもぜひお勧めしたい味だわ」


「賛成!」


 すっかりアミューズだけで満足してしまった二人は、料理が到着した時にもう一度驚くことになった。


「お待たせしました。こちら、ご注文のランチです。こちらのソースをかけてお楽しみください」


「あ!」


「え?」


 そこで料理を運んできた、シェフ姿の洋一と邂逅した。

 さっきの二の舞じゃないだろうな? とレイシアはタリアに厳しい視線を向ける。


 最近来ないと思ったら、レストランで下働きをしていたのか。

 それじゃあさっきのウェイターもやっぱり?

 あの時の注文を受けていた少年だろうとあたりをつけた。


「ねぇレイシア。ここ、明日も来ましょうか?」


 もう屋台では会えないけど、ここでならまたあの味が味わえる。そう思うとワクワクが止まらなかった。


「そうね、予約が取れたらね」


 ちなみに、レイシア曰く予約は一ヶ月待ちという話だった。

 その料理の価値を知った時にはもう遅い。


 嗅覚の鋭い商人は、もうすでに動き出しているのだと身を持って知ることになるのだった。


 気に入った料理は全て権力者や金持ちたちに奪われる。そんな姿勢を作った商人ギルド、そしてそれを良しとしてきたギルド職員たち。


 一体自分が何をしでかしてしまったのか、身をもって知ることになった。

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