第19話 おっさん、蘊蓄を語る⑤
「それでは、こちらをお納めします」
「確かにいただきました」
ずしりと重い皮袋には成功報酬よりだいぶ多めの金貨が詰め込まれていた。アトハは中身を見ながら、その黄金に心を躍らせ懐に収める。
「これでワシも肩の荷がおりました」
「まさか廃業するとは思いませんでした」
そう、金を捻出するためにティルネは研究所の資材の一切合財を売り払ってしまったのだ。もう心残りはないと、片付ける際も大切なもののように扱って梱包していた。
まさかそこまでするとは思いもしなかったアトハ。
お貴族様は死ぬまで頑固でわがままだと思っていたからこそ、その変貌具合に目を剥いた。
「ワシには出過ぎた居場所でした。正直、センスがないことは随分と前から気づいていました。でも、自分はこんなもんじゃないと諦めきれず、ずっと意固地になっていたのですな」
我ながらバカだったと当時を振り返るティルネ。
「団長が聞いたらきっと驚かれます」
「貴族が廃業を選んだことをかね?」
平民から奪うことしか知らなかった貴族が、騎士のために廃業を選ぶ。
それは天地がひっくり返っても起きないことである。
「それもですが、あの御仁にそこまでの魅力があるのか、にです」
アトハのノベル人物とは洋一のことだ。
洋一と出会い、一緒に暮らしただけで堅物貴族が丸くなった。
長年、辛酸を舐めさせられ続けた相手だからこそわかる。
その性根の腐りっぷり。
それが変わったと言われても表面的なものだろう、と疑ってかかっている。
だが、廃業を選ぶというのは想定外だった。
色をつけるにしたって足しすぎだし、貴族が自分のものを売り払うというのはあり得ないことだった。
「ああ、恩師殿は見ただけでは分かりませんですからな」
石頭の貴族が、こうも変わる。
平民の、騎士であるアトハにも丁寧語を崩さない。
ネタキリーから聞かされていた学者貴族であるティルネと、今のティルネは別人ではないかと疑ってしまうのも仕方がない変貌ぶりである。
「さて、ワシはそろそろ恩師殿と合流いたします。騎士様は詰所に戻られるので?」
「はい。ヨウイチ殿にもよろしくお伝えください」
「それくらいならいくらでも」
ティルネは頭を下げ、アトハの前から立ち去った。
「人は変われば変わるものだ。この国もいづれは変わるのだろうか?」
遠くを見つめ、アトハは変わらない情勢に苛立ちを覚え、石畳の通りを歩いていく。
表通りでは相変わらず貴族が幅を利かせていて、裏通りに入れば騎士たちが平民に鬱憤をぶつけていた。
平民は貴族や騎士に怯えながら暮らしている。
自分の仕事は果たして正義か?
見つからない答えを探すたびに疲れながらも、もう引き返せない道の上にいるのだと己を律して歩むしかないのだ。
そこで、例の料理人が働いている酒場の前を通る。
「よう、空いてるかい?」
「まだ営業時間前だ、ばかやろー!」
強面の店主が客を追い払う。
夕方開店なのに昼には行列ができてる酒場。
それぐらい美味いつまみが出るのだろう。
そこでは貴族や騎士、平民すらも普段のやり取りは忘れて食事に舌鼓を打つ風景が構築されていた。
信じられないことだが、それがその人物の生み出す世界。
ティルネが変貌した理由の一端をなんとなく理解するアトハだった。
開店前だというのに、店にゾロゾロ客が入っていく。
「ゴールデンロード、昼の部開店でーす! お酒は出ませんがゆっくりご寛ぎくださーい! 持ち帰りもやってまーす」
噂の人物が店先にやってくる。
パッとしない男なのだが、その男の呼びかけで客の顔がパッと明るくなった。
「押さないでください! まだ在庫はあるので一列づつ並んで入店してくださーい」
「ありがとうございましたー」
酒場に入っていく客は、小さな袋につまみを入れて帰っていく。
酒は出していないという宣言通り、本当にちょっとしたつまみを売っているようだ。
信じられないことに貴族の少女が接客をしている。
「本当になんなのだ、あの御仁は」
アトハは真相を確かめるためにも、その店に吸い込まれるように入っていった。
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