男は逃げ出し、女は鬼と化す
まんじりともせず夜は明け、向き合った自己が出した結論は「
全てを飲み込み、結婚式だけでも無事にやり過ごすのが賢い大人の判断だろう。
ここでの破談は職場に対する面子が立たないし、つまり出世も望めない。サラリーマン人生の絶望である。
仮に親しい人だけに明かしても、動画は交際前のもので「婚前ノーカウント」とか「若気の至り」と許す方向に説得されるのが目に見えている。「男の度量を見せろ」と、我慢して忘れるのが度量って言うのだろうか?
だが、我慢はともかく、事実は必ず過去から追い付いてきて、いつか俺の「家族」はその過去からの牙に傷つけられるだろう。
そしてそのとき子供でも居たら、俺は正しい判断を勇気を持って下せる自信がない。
しかし、愛している。愛しくてたまらない女なんだ。
大切な人たちの前で愛を誓っていたのなら、なりふり構わず守ることを疑わなかった筈だ。だけど、次に顔を合わせたときにどうする? 動画の女と舞衣が完全に重なってしまったら自分はもうマトモでは居られないだろう……
くどくどと誤魔化しの無い生き方を考えているうちに、出口を見失い死にたくなっていた。
そう考えるのが自然なほど、俺は真剣で本当だった。
そして、俺はもう死んでいた。
中途半端に取り繕おうとしているから迷うのであって、もう死んでいるのなら関係ない。
いまここでおれはしんだのだ。
死んでいるならもう何もかもが関係ない。あとは野となれ山となれだ。なんの不安も心配もない。全てを放り出してしまえばいい。
そう考えると、死ぬことの意味も無くなっていた。そして明るくなり始めた部屋を眺めて思った。
「フリでいいんだ。 なにも本当に死ぬこたーねーだろ」(笑)
……よし、逃げよう。徹底的にだ。徹頭徹尾の大逃げをカマしてみせよう!!
一応、最小限の迷惑に留めようとも考えてみたが、結婚式の一週間前で抑えられる被害などなにもない。何しろ突然死なのだ、周囲に配慮する余裕なんて無い筈なのだ!!
でもでも、一応、式場にはキャンセルのメールだけしておく。キャンセル料は全額となるだろうが、支払いはポイント狙いで事前に確認してあったゴールドカードでなんとかなるし、式場から確認を受けたら舞衣も有能だし、あーもーどうだっていい!
俺は死んだんだ。死んじゃったのだ。死んじゃったんだよーーー。ヨーソロー。
……スマホは置いていく。
現代人は社会とのつながりをコイツで結んでいる。なら不要だ。ロクなことにならない。
手持ちの現金(3万くらい)はそのまま持っていこう。逃亡資金は大事だ。
家の鍵はオープン。そう、わが心のようにフリーたれ。全開のままでいいくらいだ。
エロ動画は……
一度戻って、隠しフォルダの動画をアレ以外全て削除する。賢者タイムによくやったことだが、今度こそ後悔などしない。
作業中にハイになってきたようで、デスクトップアイコンを一掃し、例の動画だけポツンと表示させておいた。
なんとも情けない。だが、突然死でないのなら「人の望む最後の一時」とは、秘密のデータ削除に当てられる筈だと想像して、笑いが込み上げてきた。
笑顔で出発する。なんとも良い旅立ちではないか? ヨーソロー。
ほんと「死ぬにはいい日だ」
◇
朝一番で式場から来たキャンセル確認の連絡に、わたしの頭は沸騰寸前であった。
あのボケは無断欠勤で、スマホにも出やしない。
上司に「急遽の有休」を申請し、あの散らかった部屋に行ってみた。
鍵がかかっておらず、スクーターでコンビニに出掛けているような雰囲気だが、テーブルのスマホはサイレントのままギッチリと通知を残している。
最初は事故を心配し、免許の本籍地から連絡が行くと思い、義実家へ連絡をするも「寝耳に水」の反応に、戸惑いと不安が増していく。
あわてて、外房の果てからアクアラインをかっ飛ばして都内へ駆けつけた優一の両親と共に警察へと向かい、スクーターと共に行方不明になっていることを伝えると、奥多摩のダムの前で乗り捨てられたスクーターが優一のものであることが判明した。
震え上がって、ダム各所の監視カメラの映像を確認して貰っていたが、あのマヌケ野郎は車道の脇をとぼとぼと歩いている姿を捕らえられていた。シェルジャケットとトレッキングブーツで山越えでもするつもりだったのだろうが、リュックも背負わぬ無計画な行動にあきれ返り、警察からも「男性側のマリッジブルーとかも最近はあるんですよ」などと諭されてしまった。
……その後の足取りはまだつかめていない。もちろん捜索願いを出してもらった。
「最悪、式はあきらめるしかないかぁ……」
ため息を吐き、そっと呟く。
少なくともヤツは結婚式にキャンセルの意思を表明し、逃げ出した。
理由を知りたい衝動は、なんとか抑え込んでいるが、次に顔を見たときにわたしはブチ切れる確信がある。
涙はずっと滲むように漏れていた。優一も泣いているだろうか?
新入社員研修の時、ちょっと厳しい若手の先輩社員に「オマエは壁に当たると脆い」と叱られ、涙ぐんでいた優一の姿を思い出す。
スクーターの回収を義両親に任せて、わたしだけで汚部屋へと戻る道すがら、使い慣れないもっさりスマホで、彼の関係各所にお詫びの連絡を回す。
彼の部屋について、新居への引っ越し準備もろくに行っていないだらしなさに、再び大きくため息を吐いて、奴のPCもついでにチェックすることにした。
これ見よがしの動画を再生して、最初に浮かんだ言葉は「何これ、わたし?」であった。
閃光が弾けたような目眩と耳鳴りに、脳髄を真空に引かれたような衝撃であったが、動画の女性が乳房を放り出したところで、意識は戻り激しい怒りが噴出してきた。
あのアホと「泣きボクロだねー」なんて言ってハシャいだ記憶もあるが、
動画の女性の乳房は右に「泣きボクロ」
だけどわたしの乳房は左に「泣きボクロ」
アイツは右と左の区別もつかないマヌケであって、愛する女の裸もろくに記憶に残ってない馬鹿であった。
すぐさま動画を停止させ、念のため側に転がっていたUSBメモリに動画を移して握り締めた。
許さない。絶対に許すわけがない。草の根分けて地の果てまで追い詰めて、ギチギチに絞め殺してやる。
結婚などしていられるものか、わたしは全てを捨て鬼に成ることを誓った。
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