全力失踪 ~ライオンと野良猫のメソッド~

@kurotorikurotori

発見してはいけない動画を見つけてしまった

「死ぬにはいい日だ」


 大都会とはいえ5月の早朝。冷んやりとした空気に身をさらし、郊外のダムへと骨董品のスクーターを走らせながら、ひとり繰り返すように呟く。


 愛車のスクーターはDIOとかいう奴で、山梨の農機具倉庫からイトコの兄ちゃんが回収サルベージしてきて、入社祝いとして貰ったものだ。

 暇だった新入社員の自分が、走れるようにコツコツと修理していたのだが、出来上がったのは時間を止めるどころか白バイしか止められないヘタレであった。


 そして入社して3年目。DIOは無事黄色ナンバーとなり、同期入社の舞衣と来週には結婚式という段階になって、俺はスクーターに乗って死の逃避行をしている。



 ◇



 油断したのか、付き合って1年という記念日にふらりと口を滑らせたプロポーズ……


 堰を切ったように始まった結婚への道は、ベルトコンベアのように自分を翻弄するがままに運ばれていった。


 日々のデートは結婚式の準備として、忙しくスケジューリングされ、仕事のように熱を帯びた打ち合わせを交わすうちに、「おっとり」とした印象が強かった彼女は、時に鋭く、時に粘り強く、人生のパートナーを任せるに足る信頼を重ねていった。


 もし俺のケツにフサフサの毛が生えていたとして、ブラジリアンワックスのごとく完膚なきまでに「ケツの毛をむしられて」も、スッキリしたと逆に感動に震えるような気持ちだったと思う。


 結婚式だけで干上がってしまった貯金を鑑み、新居については「両親にすがる」と言うアイデアを彼女は冷静に却下し「任せろ」と美乳な胸を叩いた。

 初対面で二度見するくらいの美女に、天が与えた二物とも言えるあの美乳には、泣きボクロのような可愛いチャームポイントがあったなと、ニヤけていた。


 彼女が婚前エステの10回コースに申し込んでいたことは知っていた。

 ある夜に首筋の産毛がツルツルになっていたことに気付き、指摘するといつものように俺をガブッと嚙んできたが、コースの成果が順調に表れていることに二人して喜んでいた。

 手指の先までツルツルにされたらしく、安っぽい婚約指輪が一段上等に見えた。

 ただ、光脱毛がブラジリアンより痛いことは初めて知った。


 いよいよ式まで残り1週間となった段階で、意外なことに俺と彼女は互いの家の行き来も、連絡を密に取ることも無かった。

 これから先の人生をずっと共に在ることが分かっていたので、最後の独身の時間を互いに尊重していたつもりであった。


 ところで、結婚を目前に控えたオトコというものに、社会はとってもお優しいことで、「オゴリで良い」という悪友の風俗の誘いは病気が怖くて断っていたし、「幸せのお裾分け」という飲み会に乱入してきた後輩社員の美人さんの「実はワタシも狙っていたんです」とかいう嘘告も余裕で見切ることが出来た。


 そんなふうに独身最後のオイタ甘い誘惑からは身をかわし、自宅の時間をマインドフルネスで過ごしていた所だったのだが、隠しフォルダに動画を溜め込みたいという本能には勝てず、ついにその動画へと辿り着いてしまっていた。



 ◇



 顔をウレタン系マスクで隠した「20才_女子大生」というタイトルで、髪の長い「舞衣」そっくりな女性が素人の盗撮投稿ビデオみたいな感じで、固定カメラには写っていた。

 普通のAVみたいな会話のやり取りもなく、いきなり着衣を脱がされるところからスタートした動画は、美乳の泣きボクロを晒した場面で全身の血が凍りつくような痺れが走っていた。


 言葉にならない感情が迸るも、それを上回る勢いで吐き気が襲い、便器にあらかたの晩飯をぶちまけ、さらに胃をひっくり返す勢いで胃液をぶちまけ、焼けた喉を洗うために口にしたペットボトルのお茶も、最後にはぶちまけた。

 吐くたびに溢れた涙が悲しみなのか、嘔吐の反応だったか、その区別もつかない。


 便器も実物の「クソ」をぶちまけられるだけでなく、悪態の「クソ!」までぶちまけられて、さぞ迷惑だった事だろう。

 吐瀉物を放るたび「おつり」を顔面へと見舞い、やがて便座と顔面を結ぶ長いヨダレ橋を掛けるに至り、便器とはようやく断絶できたように思う。


 PCへと戻ると、動画の女性は、性行為というか純然たる生殖行為を終えていて、無修正の股間をテッシュで拭かれていた。

 相手の若いオトコはブラブラとしたものを女性の顔に近づけて「ポンして、ポン」と言い、ウレタンマスクを少しずらした女性が口に含めてお掃除のままに「ポンッ」と音を立てた。

 そして、どこのスポンサーに配慮したのかわからないが、ラベルを剥がした緑茶らしきペットボトルを一本、冷蔵庫から取り出して二人で飲み交わしていた。


 動画はそこで終わっていた。



 ◇



 俺は先ほど胃洗浄に使いきったお茶のペットボトルに口を付けて、力の限り大きく「ポンッ」と音を立ててやった。

 何度か繰り返し、ほほ肉の内側に筋肉疲労を感じたところで馬鹿らしくなって床に叩きつけた。

 ペットボトルは天井でもバウンドし、硬いところを脳天にしたたかに打ち込んだ。

 天罰のように感じて思ったのが「なんでこのタイミングでこんな動画を見つけてしまったのか!」という憤りであった。


 空っぽの胃の底には負の感情だけが溜まり、向け先のない圧力が滾るのを感じた。



──────────

作者でございます。

今回もコメント欄はネタバレ全開で行きますので、ご愛顧のほどよろしくお願いします。

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