第2話 玉の露

「あぁもう、降ってきちゃった」

 今日は降るという予報はなかったのに。

 真由は後悔していた、傘を持つことを選択しなかったことを。今朝の様子から、曇る空を見ても楽観的に考え、今日は曇ってもその後降らないか、あるいは晴れるだろうと思っての事だったのだが、結果的には服を濡らして、気分を憂鬱なものにするだけとなった。


駆けだし、雨粒から身を隠せるところを探してすぐに、ベンチと、そこに掛かる簡素な屋根のある休憩スペースを見つけ、すかさずそこに入り込んだ。


「はぁ、すぐ止んでくれるといいんだけど」

 手元の画面を見るともうすぐ15時、デジタルの光は次々に時を刻んでいる。ホームのウユニ塩湖が、今の状況とは正反対の景色を映していた。


 スマートフォンをしまおうとしたとき、視界の端に違和感を感じた。

「ん…?」

 顔を動かさず、目をまわして違和感の正体を探ってみる。どうやら水たまりに何かがあるようだったが、まだ原因には至っていない。

「んん~~…?」

 目を凝らしてみる。水たまりの向こう、地面には何も変化はなさそうだった。しかし、地面の反対、つまりは反射する景色になにやらチラチラと映るのが見えた。

「あっ!」

本来映るはずの曇天に、小さな生き物が映っている。違和感の正体はこれだった。

「なにこれ…わっ!」

 しゃがんでよく見ようと顔を近づけたとき、何かに押されたような感覚を最後に意識が途切れた。


 「うーん…なにぃ…?」

 意識がはっきりしてきて立ち上がると、服が濡れていないか確かめた。

「あれ?濡れてない」

 倒れて地面の水を受けている筈の水どころか、先ほどまで雨に打たれた水気すら、その服にはなかった。

「どういうこと…それに」

 意識を失う前にいたのは街中まちなかにあった小さな休憩所。ベンチがあって、外付けの屋根があって、バス停もあったはず。しかしそれが今は影も形もない。代わりにあったのは、スマートフォンに映っていたウユニ塩湖によく似た景色だった。


「君!どうやってここに来たの!?」

 声をかけたのは水たまりに映っていた小さな生き物。羽もないのに浮いている、すこしキレイめな緑で縁取られていて、お腹が白いリスのような姿。

「えと…わかんない」

「とりあえず、ちょうどいい…手伝って!」

 驚きで上手く言葉を返せずにいると、その小さな生き物は真由の手を取り、何かを渡してきた。

「これは?」

 返事を待たずに、その小さな生き物は、目をつむり、何事かを呟き始める。

「え?え?」

 すると、それに呼応するように、渡されてきたものが光り始める。形はただのおもちゃの宝石に見えるが、光に包まれ全容が見えなくなると形が変わるのを感じ、落とさぬように持ち替えた。

「よし、これで君に認証が渡せたね、これは君の意志を具現化したものだ、それであいつを倒してほしい」

 小さな生き物が振り返ると、先ほどまで何もなかったところに黒い穴が開き、そこから異形の人が現れた。


「え、ちょっと待ってよ、なにこれ」

「ごめんね、君を巻き込むつもりはなかったのに…でも君を守るにもこれが最善の方法なんだ。それの使い方を君はもうわかっているはず」

 その瞬間、異形の人は飛掛かる。

「いやー!!なになになに!!」

 慌て怯える真由は自然とその引き金のついた物を向け、撃った。


 不思議と衝撃も音もなく、気が付くと異形の人が消えていた。呆気に取られていると、小さな生き物はこちらに向き直り、喜びの舞いを舞う。

「やったねー!良かったよ……君の対応も、君が無事なことも」

 やけに大人びたような言い回しで、小さな生き物が言う。その言い回しに、真由は少し懐かしさを感じながら、そんなはずはないと首を振って、目の前の生き物を見た。

「大丈夫、君と僕は初対面さ。それに、君の手に持つのだって初めて扱う物だよ」

 真由の気持ちを知ってか知らずか、その生き物は見透かすように言う。


「こうなっちゃってから言うのはズルいと思うんだけれど、君の時間を少し、僕にくれないかな。もちろん、巻き込んじゃったのは僕だし、拒否権があるわけじゃないんだけど」

「えっと待ってね…頭の中、整理させて」

「今は安全だし、いつまでも待つよ」

 警戒を怠らないのは草食動物のそれなのか、辺りを見回す小さな生き物の前で、真由は今までの出来事を思い起こしていた――


 思い起こした後で、今自分が持っているのはライフルであることに気が付いた。

「え、なんで銃?」

 至極当然の疑問。一瞬真由が思ったのは、「魔法少女ものの展開なのでは?」だった。

「それはってことだね」

 小さな生き物が受け入れがたい事実を告げた。真由はショックだった。そんなに自分が女の子の欠片もないものを願っただなんて、と。


「けど仕方ないよ、あの状況では君の思考は正しい判断をした。それは誇ってほしい」

 誇りたくなかった。物騒過ぎて。


「神は言ったさ、『誇りはなによりも重要な生の力だ』って」

 小さな生き物は適当なことを言う。ツッコミ待ちでこちらをチラチラ見てくるのが、いなくなった兄を思い起こさせて、真由は思わず両手でわしづかみにした。

「絶対お兄ちゃんでしょ。何してんのこんなとこでさぁ!」

「いやぁ、話すと長くなるから後にしようよ。とりあえず、家に帰らない?そろそろ僕も我が家を見たくなっちゃったなぁ」

「ちょっとぉ!それ、今言うことぉ!?」

「今だから言っちゃおっかなってー」


 怒る真由と小さな生き物との出会いは、再開と始まりで、これから二人を導く光は、足元に落ちたライフルの弾丸のように、玉の露となって、映る水面の向こうまで続くのだった。

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