#03 美味しそうなフォー

 二限の時間ということもあり、食堂に長蛇の列はできていなかった。しかし、その混雑を避けるために早めに食事をしようとした学生もそれなりにいるようで、早い時間から賑わいを見せていた。まだ朝食プレートの提供時間でもあるようで、食堂から煮魚と味噌汁の和風な香りが漂ってくる、美味しい匂いとは不思議なもので、嗅ぐと少しお腹も空いてくる。


 カウンターでフォーの入った器を受け取ると、香りは一気に日本からベトナムへと変わる。その湯気を浴びながらトレーを持って移動し、私たちは中庭の見える角席に座った。


 雨が打ち付けられる窓を横に、一先ず伸びる前にフォーを食べることにした。しばらくベトナムを感じていると万智が口を開いた。


「では聞かせてもらおうじゃあないか泉君」

「津久見ね。韻は踏めてるけどね」


 精一杯声を低くし、高橋一生の声真似をする万智の言葉を丁寧に訂正し、さてどこから話そうかと考えてみる。


「別に大きな何かがあったっていうわけではないんだよね。小さなものの積み重ねというか」


 初は特別顔が整っているわけではないが、清潔感もあるし優しそうと言われるような風貌である。実際、優しいのだと思う。車道側を歩いてくれたり、荷物を持ってくれたり、たまにスタバを奢ってくれたり。性格も真面目ではある。ただ、バカ真面目と言うには真面目さに欠ける。そこは豆じゃないんだな、という行動が時折ある。


 例えば、夕飯はほぼ毎日私が作るのだが、「美味しい」と言ってくれない。いや「美味い」とは言ってくれる。でもそれだけ。感謝してほしいとか、めちゃくちゃ褒めてほしいとかそういうわけではないけれど。何か違うなあ、というモヤモヤが心に残る。


 あと、食後の皿洗いをしてくれない。私が頼めばしてくれるのだろうが、頼みたくない。自分から言ってほしい。


 別に前髪を切ったとか、そういう些細な変化に気づいてほしいわけじゃない。共同生活をする者としての礼儀というか、敬意というか。そういうものが私には見えていないのに、周囲の友人からは真面目な彼氏と言われるのが腑に落ちないというか。


「それで、昨日の夜言っちゃったんだよ。『どうして洗い物するよって言ってくれないの』って」

「あちゃあ、言っちゃったんだ。で、初は何て?」

「『ごめん』って」

「『ごめん』か〜」

「『ごめん』なんだよ」

「違うよね、『ごめん』は」

「そう。だから『ごめん』じゃないでしょって言ったの。そしたら『え、とりあえず、それ俺洗うから』って。ねえ、万智はわかる? 私の言いたいこと」


 周りに響かないように声のボリュームを抑えようとするが、あまりに盛り上がってしまう。彼女も、わかるわかる、と勢いよく何度も頷くとドヤ顔で答えてみせた。


「相手にもう言わせちゃったら駄目なんだよね」

「そうなの! 私に『どうして洗い物するよって言ってくれないの』って言わせちゃった時点で駄目なのよ! いや、まあ私もどうして口にしちゃったかなあってのはあるんだけどね」

「積み重ねってそういうもんだよ。思わぬところでプツンと糸が切れちゃうもの」


 と、言い終えると万智はグラスの冷水を一気に飲み干した。すると笑いも落ち着いたようで、真面目な表情に戻る。


「で、どうするのこれから」

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