第4話 先

 周囲を見回す。

 どこまでも続く薄暗い世界に戸惑いと底知れない恐怖を感じ、その場から逃げ出そうと地面に手を突く。


『あの間抜けなザマは何だ』


 背後から聞こえた低い声に、俺はビビりながら振り返る。

 すると遠くに山のような影が見え、薄暗いせいで細部は分からないが巨大な蛇のように見える。


『我らの血を継いでいながら何という失態! 恥を覚えよ!』


 最初の声とはまた違う声が轟く。

 これは何なんだ――そう焦るのと、直前の記憶が蘇った事で俺はその場に崩れ落ちる。


『安心しなさい。お前はまだ死んではいない』


 今度は優しい声が聞こえた。

 顔を上げるといつの間にやらすぐ傍に八人ほどの人影が見え、ぐちゃぐちゃに乱れる思考を一度放棄して問いかける。


「誰なんだ?」


 俺の問いに、一人が前へ踏み出す。


『我らはキサマの遠い先祖……故に、死なれると困る』


 そう言いながら何か平たいものを差し出してきた。

 それを受け取ってみると、暗闇ながら盃である事が分かり、何かの液体が表面張力の限界まで注がれている。


『飲め』


 拒否権は無いらしい。

 しかし、記憶の通りなら現実世界では潰されて死にかけている。助かる可能性に賭けるほかないという話だ。

 そう決めた俺は一気に盃を仰ぎ、継がれていた液体をゴクゴクと飲み干した。


「……ん?」


 夢の世界だからなのだろうか、ただの水でも飲んだのかと思うほど味が無かった。

 強いて言えば少しだけ川の水っぽい臭いはしたような気はするが、その程度で全く分からない。

 と、勢いで飲み干した俺に八人の男たちは楽しげに笑う。


『行って来い』


『我らの血を絶やすな』


『繁栄せよ』


『我らの怒りを見せつけよ!』


 口々に激励と何者かに向けた憎悪の言葉を浴びせる彼らに、俺は困惑しながらも「任せろ」と答え。

 次の瞬間、鋭利な牙の並ぶ巨大な口が目前に現れ、状況を理解した俺は激痛の走る体を無理矢理動かして回避した。


「ガァッ?」


 俺を死体だと思っていたのだろう、困惑を隠せない声を上げて細長い目を見開く巨大なトカゲ。

 奴の正式名称はテール・ドラゴン。先端には鋭く尖った鱗をいくつも生やした岩石のように硬い球体がついていて、その威力は乗用車を軽々とスクラップにしてしまうほどだ。日本では尾ドラ、尻尾などと略されて呼称されている。


「やってくれたなあ、おい」


 どうやら俺が攻撃を受けた場所は背中だったらしく、変形した鎧が体に突き刺さっているのが分かる。

 最早邪魔なためそれを脱ぎ捨てると、あれほど激痛のあった背中が治癒していくのを感じ取り、さっきのアレは夢では無かったのかもしれないと、そんな希望が湧き上がる。


「敵討ちだ。覚悟しろ」


 言いながら剣を抜き放った俺は、威嚇の姿勢を取るテール・ドラゴンに向かって駆け出す。

 刺突する……ように見せかけバックステップを入れれば尻尾の一撃が床を粉砕し、その大きな隙を狙って突っ込む。


「ガァァッ!」


 鱗に守られていない眼球を狙っての一撃は僅かに逸れて眉間に命中したが、あっさりと貫いてしまった。

 明らかに強くなっている自分に少し興奮してしまいながら死骸から剣を引き抜く。


「すっげえな……」


 こいつらの固い鱗は重機関銃の徹甲弾すら跳弾を引き起こせる程度に固いため、剣で貫くにはかなりの技量と力が要求される。

 いくら訓練とトレーニングを重ねたと言えど、こんなことが出来たとは思えない。


「何飲んだんだ?」


 そんな事を考えながらドラゴンの左手を切り落として袋に入れた俺は、広い場所へ引き摺り出した。

 他のモンスターが寄ってくる前にと、その場を離れた俺は荷物を置いたままだった民家へ戻ろうとする。


「ん?」


 ちょっと先の民家から一人の女が現れた。

 顔はフードで隠れていてよく見えないが、真っ白で高級感のあるローブを見に纏い、一人でダンジョンを歩く女なんて彼女しかいない。

 試しに手を振ってみると彼女はこちらに気付き、少し迷った様子ながらもこちらに向かって歩み寄って来た。

 

「久しぶり。三毛屋さんだよね?」


「は、はい……」


 小さい声で返事をした彼女はフードを取り、同じ日本人なのか疑ってしまうほど美しく、そして可愛らしい顔が露となった。

 ドキッとしながら平静を装うべく俺は笑って見せて。


「立ち話もなんだし、良かったらちょっとあそこで話さない? 休憩しようと思ってたところだからさ」


「う、うん」


 断られるのではないかと不安に思っていたが、あっさりと頷いてくれてホッとした。

 もしや気があるのでは無いかと期待してしまいながら民家へ戻ると、戦闘の跡が残る室内を見た三毛谷は心配した顔で。


「怪我は大丈夫ですか?」


「直ったから平気」


 言いながら念のため背中に触れてみるが、痛みや傷跡らしいものは感じられない。

 チラと脱ぎ捨てた鎧の方を見れば、ベッコリと凹んで棘による小さな穴がいくつか空いていた。


「……ホントに治ったんですか?」


「多分……」


 改めてシャツの中に手を突っ込んで触れてみるが、血で濡れた感触しか無く、折れていたはずの背骨も既に再生している。

 今までも怪我は早く治る体質で、骨折も三日くらいで自然に治癒する事も珍しくなかった。

 しかし、致命傷となりうる怪我を僅か数分で治してしまうなんて、今までの俺とは段違いだ。

 と、不安気な表情を浮かべる三毛谷に気付いた俺は、イケるのではと期待を込めて。


「三毛谷さん、知ってると思うけど俺は探索隊を追い出されたんだよ」


「うん、知ってる」


 さっきのナンパでもそんなことを言われていたし、知らないはずが無いか。


「それで今は探索隊を結成して一人でやってるんだけど……力不足でさっき死にかけた」


 誰なのかは分からないが、彼らの助けがなければ今頃トカゲの腹の中だ。

 真剣な眼差しを向ける三毛谷の美しい顔立ちに気圧され無いよう踏ん張りながら続ける。


「こんなんじゃ本当にやりたかった事も出来ないで死にそうなんだよ。三毛谷さんの力、貸してくれない?」


 俺の問いに、三毛谷は間髪入れずにコクコクと頷いた。

 可愛い。


「い、良いのか? 誘っといてアレだけど、三毛谷さんもやりたい事あるんじゃ……」


「あるけど同じ」


「……ダンジョンの謎を解き明かしたい?」


「うん」

 

「一緒に頑張ろう。俺が三毛谷さんの盾になる」


 差し出した手を三毛谷は顔を伏せながら握ってくれた。

 髪の毛で顔は隠れているが、耳は真っ赤に染まっていて、初心なその姿に萌えが止まらない。


 めっちゃ守りたい……。

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