第5章

「これとこれと、あとこれもー」


 飛鳥が購買に並ぶパンを手あたり次第買おうとしている。


 弥紘は流石に止めに入る。

「飛鳥、買い過ぎだ」


 飛鳥はへらっと笑って、

「大丈夫、弥紘の分も入ってるから」


 何が大丈夫なのか。

「俺はそんなに食わねぇよ」


 弥紘がため息まじりに言う声は届かず、飛鳥は支払いを済ませてしまう。


 学園の購買部が開いているのは通常14時までだ。

 ただ、週に2日、オオカミたちが異能を使う授業を受ける日は購買部もカフェテリアも16時半まで開いている。

 エネルギーを消耗したオオカミたちが行き倒れないようにとの配慮である。


「じゃあ、中庭行こっかー」


 溢れんばかりのパンを両腕に抱えた飛鳥は、なぜかそんなことを言い出す。


「なんでわざわざ……その辺の教室でいいだろ」

「えー? たまには緑に囲まれながら食べたいじゃんー」

「あそこに生えてるの全部フェイクグリーンだぞ……」


 そうこう言っているうちに中庭に到着する。


 中等部の校舎と高等部の校舎で囲まれるようにして存在している中庭は、もうすぐ11月になるのに、やはり相も変わらず青々とした木々が生い茂り、緑で溢れるままだ。

 中心には大きな噴水があり、その他所々にガーデンベンチが置いてある。先客はおらず、今は無人のようだ。

 それはそうだろう。日が高い時間帯ならともかく、秋の、夕暮れが目前に迫り空気が冷え込むこの時間に、長居するような場所ではない。


 飛鳥は噴水近くのベンチを選び、その真ん中に抱えていたパンの山をおろして、片側に座る。


 渋々弥紘が反対側に腰を下ろすと、飛鳥はパンの山からサンドイッチの包みを掴んで、投げてよこしてくる。


「で? 何があったわけー?」

「あ?」

「今日の弥紘は朝から様子がおかしい。しかも午後の授業が始まる頃にはさらに酷くなった」


 ぐっと言葉に詰まり、弥紘は眉間に皺を寄せサンドイッチをかじる。


「えー、教えてくれないのー? なら俺も今朝頼まれた調査の報告なしにするけど」

「それは言え」

「ったく、もうー」


 飛鳥はハンバーガーを食べ終わり、2つ目に手を伸ばす。


「枦川理九。家族構成は父、母、4つ上の兄、1つ下の妹で5人家族。父親が警察庁のそこそこ偉い役職についてる。本人もその道を目指してるみたいだね。で、母親が絃那ちゃんのお母さんと仲良かったらしい。2人は小学校からのお付き合いです」


「……その『お付き合い』ってのはどういう意味で?」


 飛鳥は目を瞬いて、

「それは本人たちに聞かないと分からないよ。だって、ねえ? 誰にも内緒で密かに愛し合ってた可能性もあるしぃ?」


 グシャリ。サンドイッチを食べきった弥紘がゴミを丸める。


「あ、ゴミはこれに入れて」


 と、ビニール袋を差し出してくる飛鳥は、はやくも5つ目のハンバーガーを手に取る。


 見ているだけで弥紘はお腹いっぱいだ。だが、2人の間にはまだまだ山のようなパンがある。


「本当に食いきれるか、これ……」

「多かったかな? 絃那ちゃんも誘えばよかったねー」


 ぴくりと眉を動かし、弥紘は飛鳥を睨む。


「絃那はオオカミが苦手なんだ。必要以上に絡むな」


「ああ、知ってる知ってる。歩く時とかできるだけオオカミと目を合わせないようにしてるよね。でも、もう俺のことは平気っぽいよ?」


 にっこり笑って飛鳥は続ける。


「もっと大人しい子かと思ってたけど、意外と喋るよね。庇護欲そそるし反応が面白くてからかい甲斐があ――」


 弥紘は無言で飛鳥の口にコロッケパンを押し込んだ。

 飛鳥が激しくむせる。


「……ぅ、ごほっ……! ちょ、さすがに死ぬて……!!!」


 呼吸を乱し涙目になっている飛鳥に、弥紘は冷ややかな視線を送る。

 飛鳥は泣き真似をし始める。


「ううっ……もうなんだよぅ、落ち込んでるから元気づけてやろうと思ったのにぃー」

「別に落ち込んでない」


 そう、落ち込んではいない。ただ――

「……思ったより自分が馬鹿で、貪欲で、引いてるだけだ」


 どこまでも浅はかな自分を思い出し、笑えてくる。


「そのせいで今日は……危うく絃那を殺しかけた」



「はあ?」


 困惑気味な声を発し、飛鳥は恐る恐るといった様子で尋ねてくる。


「えっと……確認なんだけど、『殺しかけた』ってことは絃那ちゃんまだ生きてるんだよね? 死んでないよね?」

「当たり前だろ。縁起でもないこと言うな」


 弥紘に睨まれ、飛鳥はこめかみに手をあてる。


「んー、分かった、とりあえず最初から話してくれる? 前々からなんかあったんでしょ?」


 弥紘は仏頂面で口を開く。


「……少し前、隆成に言われたんだ。次の月夜会に絃那を参加させて婚約のお披露目しろって」

「隆成さんに? え、でも月夜会って……危なくない?」


 縄張り意識の強いオオカミの集いにヒトを連れ込むことに飛鳥は眉根を寄せるが、


「危ないわけないだろ。俺がいるんだから」


 決して驕りではない。弥紘はまだ17だが、力で絶対勝てない相手、よくて相打ちになるような相手は極少数に限られる。


 そしてその極少数は幻月島の政治に関わる名家のオオカミたちだ。


 彼らは『ヒトとの共存を目指す。その一環として島に一部の人間を受け入れる』という王が打ち出した方針を推し進める立場にあるのだから、大勢の目がある公の場で下手な行動はとれない。


 そんなことをすれば、王であるフェンリルの逆鱗に触れてしまう。


 あのヒト嫌いの隆成だって、月夜会の最中は同じ空間に絃那がいても敵意を向けないだろう。


 だから、参加するだけして終わったらとっとと会場を去ればいいのだ。

 弥紘がヒトと婚約しようが、門廻邸の自室にヒトを招き入れようが、他のオオカミはまず気にしない。自分の縄張りさえ侵されなければ、この島のオオカミがヒトに牙を剥くことはほぼないのだから。


 飛鳥は一瞬後方に視線をやり――すぐに何事もなかったように話を再開する。


「でも月夜会っていつも3時間くらいやるじゃん? まさかその間ずっと張り付いてるつもり……?」

「俺が席外してもお前がいるだろ。お前が責任もって俺の婚約者を守れ」


 さも当然のように言う弥紘に、飛鳥は「ええー……?」と呆れた声を返す。


「絡むなって言ったり、守れって言ったり……別にいいけどさあー。この婚約の件は俺も無関係じゃないし……」

 と、飛鳥はぶつぶつ呟いて、

「……ん? それで、なんでここから絃那ちゃんを殺しかけることになるわけ?」


 弥紘は少し言い淀み、再び話を進める。


「月夜会はオオカミ化して参加する決まりだろ。でも俺は……絃那にまだオオカミ化した姿見せたことなかったんだよ。意識して避けてたわけじゃなくて、単に機会がなかっただけなんだが」


 弥紘は深いため息を吐く。

「いざ見せるってなったら……なんか、怖くなった」


「怖い?」


 弥紘をよく知っているからこそ、飛鳥はそんな言葉を発した彼が信じられない様子だった。


 弥紘は苦笑する。


「いつだったか飛鳥にもさらっと話したよな。覚えてるか? 昔……俺が、自分の親を殺しかけたって話」


 飛鳥はきょとんとして、

「あー……」


 思い当たったように「言ってたね、そんなこと」と頷く。


 弥紘は遠い空を見上げる。

 そういえばあの日の夕焼けも綺麗だった。

 あの時の自分にとっては待ちわびる夜までの繋ぎでしかない景色だったけれど、意外と覚えているものだ。

 目の前の空が記憶の中のそれと重なって。弥紘の口が動き出す。


「……俺、赤ん坊の頃からすごく、すごく大事に育てられたんだ。父親も母親も優しくて。ちょっとしたことで俺を褒めるし、俺が何か失敗しても感情任せに怒ったりしないで何が悪かったのか一緒に考えてくれる。誰かに俺を紹介するときは『自慢の息子です』ってこっちが恥ずかしいくらいに胸張って言う。俺のことを何よりも大切に思ってくれてるのが伝わってきた。いい親だったと思う。でも、6歳の時に」


 呆気なく、平和だった日常が崩れ去る。


「住んでたところの近くで花火大会があったんだ。俺たち家族は、マンションのベランダからそれを見ようとしてた。俺は始まるのが待ちきれなくて、『危ないからダメ』って言う母親の目を盗んで1人でベランダに出た。

 本当に、一瞬だった。夜空を見上げた瞬間、心臓がドクッて動いて。なんだ今の? って戸惑ってるうちに母親の悲鳴を聞いた。……そっからはもう地獄。部屋の中で両親が怒鳴り合い、殴り合いの喧嘩を始めて。2人とも鬼みたいな顔して、怒って、泣いて、暴れまわってた。俺は怖かったけど、何とかしなきゃと思ったんだ。2人がちょっと喧嘩した時でも、俺が間に割って入れば、いつもすぐ仲直りしてたから。俺たちはそういう家族だったから。いつもみたいに、止めようとした」


 ははっ、と弥紘の口から笑いが洩れる。


「殺気ってマジで感じるんだよな。両親と目が合った瞬間、まずいって思ったよ。ほんの数分前まで、俺を大事な宝物みたいに抱いて、撫でていた優しい優しい手が、俺の命を本気で奪おうとしてきた。で、苦しくて、無我夢中で抵抗しているうちに俺の異能が暴走だ」


 こんなのは自分の父親じゃ、母親じゃない――強く否定した。無意識だった。普通ならそれで終わりのはずだったのに、無駄に才能があったせいで、その思いが異能になった。現実を捻じ曲げ、2人を『偽者』にして。幼い弥紘は、彼らをやっつけてしまった。


「気づいたら両親は血を流して倒れてた。まあでもあの時俺はまだ6歳で力は今ほどじゃなかったし、騒ぎを聞きつけた隣の部屋の人が警察と救急車呼んでくれたおかげで、大事には至らなかったみたいだけど。

 気絶した俺はそのままこの島に送られた。事情聴取みたいなのも、全部ここでやったんだ。両親とはあれ以来会ってない。今どうしてるのかも知らないし興味もない。生きてんのかな。多分、離婚してんだろうな……

 あとから知ったんだけどさ。どうやら俺には5歳上の兄が――オオカミの、兄がいたらしいんだ。そんなこと一度も聞いたことなかったから流石に驚いた。でも、やっと、腑に落ちたというか。

 あの人たちは、耐えられなかったんだと思う。遺伝しないはずなのに。オオカミを生んでしまったショックからようやく立ち直って、やっと念願の、普通のヒトの子どもを授かったと思ったら、またオオカミで……『自分は悪くない、お前のせいだ』って責任をなすりつけあってたあの人たちのことが、俺を『化け物』と呼んでたあの人たちのことが、その時ようやく理解できた」


 自分たちは本当に家族だったのだろうか、と弥紘は時々思う。

 そもそも家族とは。血は確かに繋がっていた。愛情も注がれていた。好きだったし好かれていた。あの時までは、確かに。

 それでもふとしたことで全部駄目になってしまうのだから、持つだけ無駄なものだと思う。『家族』なんてさも特別そうに他のものと分ける意味があるのだろうか。


 ……あるのだろうな、ヒトには。そして――あの子にも。


「まあ、それはいいんだ。最初は何も分からなかったけど。オオカミとして生きていく中で、俺の親みたいな価値観のヒトが多くいるって知ったし、その頃には誰に何を思われようとどうでもよくなってたから。なのに」


 なのに、絃那が――


 弥紘は途方に暮れ、苦笑する。


「オオカミ化を見た絃那に気味悪がられたら……なんか、嫌だなって、ふと思ってしまって。1度考え出したら、どんどん不安になってくるし。気味悪がられて、拒絶されて、俺はショックを受けて。そして、両親にそうしたみたいに、気づいたら絃那を血まみれのぐちゃぐちゃにしてしまう――そんな想像ばかりするようになった。

 かといって、いつまでも見せないわけにもいかないだろ。だから腹括って見せることにしたんだ。策は……あったから。最悪の事態を絶対回避できる安全策があったから」


 それは、すごく簡単なことだった――


「ただ、説明すればよかったんだ。先に説明しておけば。俺がこんな男だって前もって分かってれば、絃那は心の準備ができる。あいつは優しいから、きっと、俺を傷つけない言葉をたくさん用意してくれたと思う。

 でも……結局俺は欲に勝てなかった。

 俺のオオカミ化を見た絃那の、素の反応が知りたくて。情けの言葉じゃなくて、本心を知りたくて。……マジで馬鹿だった。あいつオオカミが苦手なんだぞ? 確率は五分五分じゃない。俺の望まない反応される確率の方がずっと高かったのに」


 万が一に備えて、時間と場所は選んだ。

 昼休み。職員室と保健室どちらにも近いあの応接室なら、弥紘が暴走しても先生達がすぐに駆けつけて数人がかりで止めてくれるだろうし、絃那の手当ても早急にできる。


 それでもやっぱり、万が一を起こさないためには言うべきだったのだろう。

 弥紘も本当にギリギリまで悩んだ。

 絃那は不思議に思っているに違いない。『話がある』と呼び出されたのに、結局話らしい話をせずにオオカミ化だけ見せられて。


「なるほどね……」

 飛鳥は深いため息を吐いた。


「まあ……うん、馬鹿だねえ……」

「だろ」


 らしくない、と弥紘は思う。最近の自分は少しおかしい。


「はあ……とりあえず食べなよ」


 飛鳥はホイップドーナツを差し出してくる。


 受け取った弥紘は封を開け、黙々と食べ始める。甘い。すげえ甘い。


「? 食べないのか」


 もう1つあるホイップドーナツを手にとったままの飛鳥に声をかけると、


「あー……、うん。ま、仕方ない。俺が頂くかあ……」

「?」


 なんでもない、と言って、飛鳥は2口でそのホイップドーナツを食べきる。

 そして口元についた粉砂糖を拭いながら尋ねてくる。


「今の話さ、絃那ちゃんに言う予定ある?」


 弥紘はしばし考え込んで、

「……ん。まあ、そのうち……機会があれば……」


 そんな後ろ向きの返事になってしまう。


 飛鳥は「そ、」と短く応える。


 それから、焼きそばパンに手を伸ばして、


「ところでさあ。さっきの話の中で触れてないってことは、オオカミ化見た絃那ちゃんの反応、弥紘的には悪くなかったんでしょ? 絃那ちゃんなんて言ってた?」


 ドーナツをかじろうとしていた弥紘は、一瞬動きを止める。


「……秘密」

「ええー。なんだよそれー」

「うるさい」

「はあー、いいや。あとで絃那ちゃんに直接聞こーっと」

「絶対やめろ」


 弥紘は睨むが、飛鳥にしれっと躱される。


 こんなやりとりが、全てのパンを食べきるまで延々と続くのだろう。


 弥紘は空を見上げる。――夜はもう、すぐそこだった。

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