第6章
何度訪れても、門廻邸に入るのは緊張する。
送迎してくれた運転手にお礼を伝え車を降りた絃那は、目の前にそびえ立つ巨大な建物を見上げる。
(家というより、これはもうお城だよなあ……)
黒煉瓦の壁にたくさんの窓がずらりと並ぶ、4階建ての豪邸。
絃那はひとつ呼吸をして、玄関扉へと歩を進める。
(で、中はホテル……と)
扉の先、エントランスホールは4階まで吹き抜けだ。左側にはフロントが、右側はロビーで洒落たソファセットが置かれている。
絃那はフロントにいる初老の男性にぺこりと頭を下げる。
柔和な笑みを湛え、姿勢よく立っているこの執事服の男性、実はアンドロイドだったりする。
名家の邸には、当たり前のように異能で動くアンドロイドがいる。ちなみにここは
微笑んだセトさんからお辞儀が返ってくる。弥紘のおかげで絃那は顔パスされるのだ。
絃那は正面奥にある両階段へ向かう。深紅の絨毯が敷かれたこの階段を上り、3階まで行けば、弥紘の部屋が……
「――あ。悪い子みっけ」
2階から3階へ行こうとしていたところで、誰かがそんなことを言うのが聞こえた。
絃那は振り返る。語尾に音符マークでもつきそうな弾んだ喋り方と、この声は、
「飛鳥さん」
悪い子? と絃那が首を傾げると。
近寄ってきた飛鳥は笑って、
「3日前。先週木曜日の放課後。中庭で俺らの話盗み聞きしてたっしょ」
ぎくり。絃那は顔を引きつらせる。
「き、気づいてたんですか……⁉」
飛鳥はにんまり笑う。
「弥紘は気づいてないから安心して。ってわけで、ちょーっとお話しようか」
「え? ええっ? でも私、弥紘さんと約束してて――」
「大丈夫。さっき隆成さんに呼び出されて4階に行ったから。戻ってくるまで少し時間かかるよ。待ってる間の時間つぶしってことで」
「……あ、本当だ」
スマホを確認すると、弥紘からメッセージが届いていた。急用ができたから、戻るまで部屋で待っててほしいとのこと。
「よーし。じゃあ行こうかあー」
階段を上り始める飛鳥を、絃那は慌てて追いかける。
「さ、座って座って」
弥紘の部屋に入った飛鳥は、まるで自室のようにそう言って、絃那をソファに座らせる。
飛鳥が隣に腰を下ろすのを待って、絃那は頭を下げた。
「本当にすみません。盗み聞きするつもりはなかったんです……」
絃那は委縮したまま続ける。
「中庭にお2人がいるのが見えて、声をかけようと近づいて。そしたらそのぉ……私を殺しかけたという物騒なワードが耳に入ってしまい……」
「あー……なるほどねー」
苦笑した飛鳥は、ちらりと絃那を見る。
「ちなみにその前の会話は? 聞いてた?」
絃那は首を振る。
「いえ。なんか楽しそうに話してるのは分かりましたけど。主に飛鳥さんが」
くくっ、と飛鳥は肩を揺らして笑った。
「そっかそっか。で、話聞いて思い違いだと分かったから、見つかる前に慌てて帰ったと」
絃那は頷く。ちょうど偶然通りかかった体で、改めて2人に声をかけようかとも思ったのだが、結局やめたのだ。
「それで?」
飛鳥は長い足を組み、絃那を見る。
「ぶっちゃけ、話聞いてどう思った?」
「どう……?」
「弥紘の過去についてはおそらくあの通りだろうし。キミを危険な目に遭わせたのも事実でしょ? 話聞いて怖くなった? 勝手なことされてムカついた? それとも、あいつの悲惨な過去に同情してくれてたりする?」
絃那は考える。あの場で話を聞いてしまった時、自分はどう思ったのだったか。
内容が内容だけに、色々な感情が頭の中を駆け巡ったのは間違いない。でも、一番は――
「……いいなあ、と」
そう、思ったのだ。
飛鳥は首を傾げる。「いいなあ?」
絃那は頷いて、
「だって……私がどう頑張っても、弥紘さんはきっと話してくれなかったと思うんです。飛鳥さんだから聞き出せたんでしょ、アレ」
声をかけずに帰ったのも、邪魔したくなかったからだ。
この件において、弥紘が抱え込んでいたものを吐き出せる相手は、弥紘を楽にしてあげられる相手は、間違いなく飛鳥だった。
知り合って間もない絃那だが、弥紘が飛鳥をすごく信頼しているのは日々の接し方で分かる。きっと2人にしか分かり合えないことが、他にもたくさんあるのだろう。
そんな関係が微笑ましいし、羨ましい。
飛鳥はきょとんとして。すぐに、にまーっと笑った。
「いいっしょ」
はい、と絃那は素直に認める。
自分はどうあがいてもオオカミにはなれないし、同い年にもなれないし、おそらく親友にもなれない。
悔しい妬ましいというような負の感情は一切ないけれど、そんな飛鳥をどこか羨ましく思っている。
気づいて、少し驚く。弥紘がどうでもいい相手ならそんなことは思わないだろうから。
これは、曲がりなりにも婚約者としての自覚が芽生えてきたということなのだろうか……
首を傾げる絃那だが、飛鳥と話している最中だと思い出し、改めて彼に向き直る。
「あの……私が盗み聞きしたこと、このまま内緒にしておいてもらえませんか? 弥紘さん、私に聞かれたくなかったでしょうし。私もあそこで聞いたことは、弥紘さんが自分から話してくれるまで心の奥にしまっておきますので」
了解、と飛鳥は頷いて、
「あー、よかった。ふふ、絃那ちゃんはあれだね、いい子だね」
にこにこして飛鳥は言うけれど。
「飛鳥さんもいい人ですね。ヒトの私にも優しくしてくれるし」
「ん? まあねー。俺は2人の仲を応援したいから」
「それは……どうしてですか?」
普通に『ありがとうございます』で良かったのに。
掘り下げようとしたのは、あわよくば知りたいと思ったからかもしれない。
弥紘がなぜ絃那を婚約者に選んだのか。弥紘は教えてくれないけれど、飛鳥なら知っている気がして。
「どうして、かあ。んー、そうだなあー……」
飛鳥は束の間考え込んで。
それから言った。
「ねえ。絃那ちゃんは本音と建前、どっちが聞きたい?」
……急に謎の選択を迫られる。
「え? え???」
「どっち?」
「え、えっと……じゃあ、本音を……」
絃那がおずおずと言うと、
「本音、本音ね」
飛鳥は立ち上がり、ゆっくりと窓の方まで歩いていく。
アーチ窓から外を眺め、秋晴れの空の眩しさに目を細める。
「……うん。俺、本当にヒトは嫌いじゃないよ? ただ、好きでもないんだよねー。興味ないんだ、はっきり言ってしまうと。でも絃那ちゃんはさ、弥紘の婚約者だから。俺の中で特別なわけ」
飛鳥はくるりと振り向き、窓を背に、穏やかな顔で絃那を見つめる。
「俺さ、弥紘が好きなんだ。だから、あいつにはちゃんと幸せになってほしくて。……あ、この『好き』は友愛とかオオカミとしての尊敬を込めた意味での好きだから、変な誤解しないでもらえると非常に助かるんだけど」
「はあ……」
絃那がぽかんとしながら頷くと、飛鳥はニッと笑って、
「ってわけで、本音がお望みみたいだから、訂正した上で質問に答えるね。正しくは、『弥紘が好きであいつに幸せになってほしいから、弥紘が絃那ちゃんを必要とする限り俺は2人の仲を応援したい』だ。
だから、2人が婚約してる間は弥紘と同じくらい絃那ちゃんのことを心から大事にするよ。2人が喧嘩した時、弥紘に非があると分かれば、俺は全力で絃那ちゃんの肩を持つし」
いっそ清々しい期限付きの友情を宣言される。
絃那は呆気にとられた。
が、すぐに「ふふっ」と吹きだす。こんなことを堂々と言う飛鳥、そして、それを聞いても大して嫌な気がしていない自分が可笑しくて。
「なるほど。分かりました」
「怒った?」
絃那は首を振る。
「怒りませんよ。本音で、ってお願いしたの私ですもん」
「おお、よかったー。んじゃ、これからもよろしくねー」
そう言った飛鳥は、ふと何かを思いついた様子で、
「ね、せっかくだからオオカミモードの俺見とく? 見たことないよね?」
へ? と絃那が戸惑っている間に、飛鳥はガジェットを起動する。
途端に、彼の赤髪が明るいオレンジ色になった。代わりに赤みを帯びた瞳を輝かせ、飛鳥は絃那を見つめる。
「どう?」
絃那は笑みを返す。飛鳥のオレンジアッシュの髪は、窓の外から差し込む光を跳ね返し、輝いて見えて――「お日様みたいですね」
すると、飛鳥は目を瞬いて。また、にんまり笑った。
弾むような足取りで絃那の傍まで戻ってきた飛鳥は、その勢いのままソファに腰を下ろす。ソファが彼の重みで大きく揺れる。
「絃那ちゃん。弥紘はね、あいつはすごいオオカミだよ。いつか絶対フェンリルになると思う。だから俺はさ、スコルになりたいんだよね。あいつを支えるスコルに」
飛鳥は笑顔でそんなことを言う。
スコルとは、北欧神話に登場する太陽を追い、喰らう狼だ。この幻月島では、王フェンリルの側近に与えられる称号のひとつである。
飛鳥なら、きっとピッタリだろう。絃那は微笑んで頷き返す。
と、その時。ガチャッとドアが開く音がして。
「――あ、お帰り弥紘」
飛鳥は明るく声をかけるが。
部屋に入ってきた弥紘は、顔をしかめる。
「おい、なんで飛鳥がここにいるんだ」
「絃那ちゃんが暇を持て余して可哀想だなぁと思って。2人で楽しくお喋りしてたわけよ。ねー?」
同意を求められ、絃那は頷く。弥紘の眉間の皺が深くなる。
飛鳥はけらけら笑って立ち上がる。
「じゃ、俺は行くわ。またね、絃那ちゃん。あ、今度は俺の部屋に遊びにおいで。また色々話そー」
「飛鳥」
弥紘に睨まれても、飛鳥は涼しい顔のまま手を振って部屋を出て行く。
ドアが閉まる。
小さくため息を吐いた弥紘は、絃那の元までやってくる。
「変なことされなかった?」
絃那は「大丈夫ですよ」と笑って言う。
弥紘は隣に腰を下ろすと、絃那の腕を掴んで自分の方へ引っ張る。「こっち」
半強制的に、絃那は彼の膝の間に座らされる。
弥紘の腕が絃那を抱きしめる。
絃那がちらりと彼を見上げると。彼は絃那の頭を撫で、そこにこつんと顎を乗せてくる。
……いつも通りだ。
3日前、最後に話した時の面影はどこにもなく、すっかり元の調子に戻っていて、絃那はほっとする。
「で? なんであいつオオカミ化してたんだ?」
怪訝そうに尋ねられ、絃那は返答に困り、
「え、えっと……なんか、見せてくれるって言うので……」
すると弥紘は押し黙る。
心なしか、絃那の身体にまわされた腕に力がこもる。
「……どう、だった? 飛鳥のは……」
弥紘がぼそぼそと言う。
「へ? えと……お日様みたいな色だな、と」
絃那が答えると、弥紘は「ああ……なるほど」と頷く。
「喜んでただろ、あいつ」
笑ってそう言った弥紘は、はたと動きを止める。
「弥紘さん?」
絃那が後ろを見上げると、彼はなんとも言えない表情で固まっていて。
「……なあ」
「? はい」
「もしかして……あいつにも触った……? 俺にしたみたいに――」
「触ってないですよ……」
絃那は苦笑する。
「そんな誰彼構わず触りませんよ、私……」
そう、と小さな呟きが聞こえた。
身体の力を抜いた弥紘が、絃那にもたれかかってくる。
そのまま絃那の肩に顔を埋める。
「……俺だけ?」
はい、と絃那が肯定を示すと、
「ふうん」
どことなく機嫌が良さそうな声が返ってくる。
……ところで、いつまでこの体勢でいる気なのだろう。
髪が肌にあたってくすぐったいから、そろそろ離れてくれないだろうか。
考えた末、絃那は話題をずらすことにした。
「そういえば、その……飛鳥さんが言ってましたよ。弥紘さんは、フェンリルになれるって」
顔を上げた弥紘はきょとんとする。
そして、少し笑った。
「ああ……でもどうかな。フェンリルって、王として全オオカミをまとめて、進むべき道を示さないといけない立場だろ。どうするのがオオカミにとって1番か――それを決めるには、当然オオカミのことだけじゃなくヒトのことも理解してないと駄目だから」
「? 弥紘さんならできますよ」
そう思ったから、絃那は言ったのだが。
弥紘は口を噤む。困り顔で絃那を見る。
「お前、『人たらし』ってよく言われない?」
「言われたことありませんけど……」
困惑する絃那を、弥紘は可笑しそうに笑って抱きしめなおす。
「あー、でも俺、正直権力とか興味ないんだ。それよりのんびり暮らしたい。なあ絃那、今度またどこか行こう? 俺今は少し忙しいけど、そのうち時間つくれると思うから。3泊くらい……や、せっかくなら1週間とか」
「長期休みですか? 私、冬休みは実家に帰りますよ? 春休みなら……」
「春休み? 3月ってこと?」
今10月だぞ、と唖然とした声が返ってくる。
そう言われても、無理なものは無理だ。
「なんかすみません」
弥紘はムスッとして、
「……そもそもなんでお前はまだ寮に住んでるんだ」
「はい?」
「もう
「ちょっ、ちょっと待って!」
絃那は青ざめる。
「1回落ち着きましょう⁉ ね⁉」
どこまで本気なのか分からない弥紘を、絃那は必死に引き留める。
だって、まずいのだ。このまま中央区に移り住むことになったら、今みたいに気軽に外を出歩けなくなる。中央区はオオカミの縄張りなのだから。
絃那は隙を見てスマホで飛鳥を召喚した。
やってきた彼は、先の宣言どおり、状況を把握するや否や絃那に加勢してくれた。
そんなわけで絃那の平和な寮生活は、ひとまず無事守られることになったのだった――。
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