第4章ー2
「――あっ」
という声が聞こえ、絃那は思わず声のした方を見る。「あっ」
目が合った赤髪の男子は、にこにこ笑って近寄ってくる。
「やほー。この前はごめんね、俺のせいで、せっかく2人がイチャイチャ膝まく――」
「ぎゃあああっ」
赤面した絃那は手を伸ばし、彼の口を塞ごうとする。
が、ひらりひらりと躱されてしまう。彼は背が高い。弥紘より数センチ上だろう。
門廻飛鳥。門廻家のオオカミであり、弥紘の同級生だ。
肩まで伸ばした赤髪は後ろの低い位置でひとつに束ねていて、身体は大きいが、たれ目で穏やかそうな顔にはよく笑顔が浮かび、人懐っこい印象を受ける。
弥紘とはまた違ったタイプのイケメンである。
1週間前、門廻邸で会った時は、弥紘が早々に彼を部屋から追い出してしまったため、絃那は挨拶をする暇もなかった。
きちんと話すのはこれが初めてだ。
ゴホン、と咳払いが聞こえた。
「図書室ではお静かに」
カウンターの中にいる司書の先生が、にっこり笑い圧をかけてくる。
「すみません……」
絃那は恐縮し、貸出の手続きをしてもらった本を受け取った。
そのままスクールバッグに詰め込む。
「帰るのー? あ、もしかして今日も
「いえ、今日はお約束してませんが……」
飛鳥はさっき図書室に入ってきたばかりだ。
何か用事があってきたであろうに、なぜか絃那と一緒に図書室を出る。
そのことを尋ねると「図書室はいつでも来れるし」と彼に言われる。「キミはいつでも会えるわけじゃないから」と。
流れで、歩きながら2人は互いに軽い自己紹介を済ませた。
「俺、弥紘とは長い付き合いなんだ。だから、なんか困ったことあったら遠慮せず言ってね。相談のるから」
心強いお言葉だ。
絃那は折角なので聞いてみる。
「あの、実は少し気になってることがあって――」
なんとなく声を潜める。
「最近の弥紘さん、なんか変じゃないですか?」
飛鳥はきょとんとして。
すぐに、ずいと顔を近づけてくる。
「詳しく聞かせて」
爛々とした彼の目に、絃那は戸惑いつつ答える。
「え、えっと……うまく言えないんですけど、こう……どこか憂鬱そうというか。何かを気にしているような……」
自分と過ごす時間が楽しくないのでは、と絃那は真っ先に考えた。
でも、誘ってくるのはいつも弥紘の方なのだ。彼が何を考えているのか、よく分からない。
と、いうようなことを伝えると、
「ふうん……?」
飛鳥は顎に手を当て、記憶を辿るように斜め上を見て、
「弥紘が気に病むようなこと、かあ。そもそもあいつ、何かにうじうじ悩むタイプじゃないんだけどなあー……」
そして、彼は深く頷いた。
「……うん、分かった。俺も一度じっくり観察してみるわ」
「ありがとうございます」
ほっとして、絃那は頭を下げる。
すると飛鳥はにっこり笑って、
「それでなんだけど。明日さ――」
(なんでこうなった)
四方八方から突き刺さる視線に、絃那は身を縮こませる。
目の前にはデミグラスソースがかかったふわとろオムライス。見ただけで分かる、絶対美味しいやつだ。が、今食べても美味しく頂ける自信がない。なんだかもう、オムライスに申し訳ない。
「食べないのか? 冷めるぞ」
弥紘が言う。共に丸テーブルを囲む彼と飛鳥は、周囲の反応などまるで気にしていないようだ。
涼しい顔で弥紘は焼き魚定食を、飛鳥は大盛りのボロネーゼ×3皿(!)を食べている。
絃那は虚無顔でスプーンを持ち直し、震える手でオムライスを口に運ぶ。
(『一緒にご飯食べよう』って、こういうことだったの……)
てっきり購買で買って空き教室とかで食べるものだと思っていた。
まさかオオカミしか利用しないカフェテリアに連れていかれるとは思わなかった。
縄張りを侵されたオオカミたちが、ものすごく嫌そうな目で見てくるのがひしひしと伝わる。
カフェテリアはこんなに広いのに、テーブル席はたくさんあるのに、視線が集まりすぎている。
門廻家の2人といるせいか直接文句は言われないけれど。
絃那は心を無にしてオムライスを食べ続ける。
こんな思いをしているのだもの。せめて何かしら成果を得て帰りたい。
本来の目的を思い出し、絃那は弥紘に意識を移す。彼を注意深く観察する。
そういえば彼はよく和食を選んで食べている。好きなんだろうか。あと、食べ方が綺麗だ。
「……食欲はあるなあ」
ぼそっと呟いた飛鳥に、絃那は「ですね」と相槌を打つ。
「体調も悪くなさそうです」
「ねー」
「……さっきから何コソコソ話してんだ」
「「なにも」」
弥紘は怪訝そうに2人を見比べて、眉根を寄せたまま食事を再開する。
その途中で、ちらっと絃那の方を見た気がした。
なんだろう。
「絃那ちゃん、それとって」
「あ、はい」
絃那はテーブルの上、自身の近くにあったナプキンスタンドを掴んで飛鳥に差し出す。
ありがと、と言いながら、飛鳥は絃那に少し顔を寄せ、声を潜めて尋ねてくる。
「俺、やっぱ『いつから』が重要なヒントだと思うんだけど。そのへんどーなの?」
そして「痛っ」と彼は声を洩らした。
テーブルの下で、弥紘の足が飛鳥を蹴り飛ばしたのに、絃那は気づかない。
(いつから……?)
絃那は考える。
一番初めに違和感を覚えたのは、そう……あの日、門廻家に泊まりに行った日だ。
そこで月夜会への参加を求められて、飛鳥に恥ずかしいところを見られて……
(ソレじゃない?)
絃那の頭の中に、閃きが降りる。
月夜会の話の最後、弥紘は何かを言い淀んでいた。つまり――
(本当は婚約のお披露目をしたくないんだ!)
いつでも婚約破棄できる状態にしておきたい。
弥紘がそう思っていても不思議ではないだろう。だから、変に知れ渡って外堀を埋められたくないのではないか。デート場所がホテルや自宅ばかりなのも頷ける。
とはいえ早合点はよくない。確かめてみなくては。
絃那はさりげなく弥紘に声をかける。
「ところで弥紘さん、この前言ってた月夜会の件なんですけど」
「……なに?」
声に少し棘がある。絃那は冷や汗を滲ませる。
「実は、その日どうしても外せない用事が出来てしまって。えと……申し訳ないんですけど、今回は参加を見送りたいな、と……」
心臓がばくばく騒ぐ。
契約上、弥紘の言うことは絶対だ。絃那の考えがまったくの見当違いだった場合、とてもまずいことになる。
「どうしてもか?」
後に退けない絃那は腹を括る思いで「は、はいぃ」と頷いた。すると、
「……そう、か」
と、弥紘は呟いて。
「……いい、分かった。隆成には適当に理由つけて断っとく」
「っ、すみません……」
「いや。気にするな」
そう言う弥紘は、明らかにほっとしていて。つまり、
(ビンゴだ!!!)
絃那は確信した。
なんだかテンションが上がり、思わずスプーンを持つ手に力がこもる。口元がにやけるのを必死に堪える。難問を解きあてた時のように、頭がスッとした。
気分爽快。ああ、でも余韻に浸っている場合ではない。そうと決まれば、今やるべきことはひとつ――
残っているオムライスを綺麗に平らげ、オニオンスープを飲み干し、絃那は手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
素早く食器を片付け、呆気にとられる弥紘と飛鳥に笑顔で一礼してカフェテリアを後にする。
弥紘といるところを、1秒でも長く見られるわけにはいかない。
しかし、足早にカフェテリアを出る様子が、逆に人目を引いたのか。
「十六原さん?」
運悪く、廊下で松本奈央と鉢合わせる。奈央はプリントを手にしていた。職員室にでも行こうとしていたのだろう。
奈央は絃那と、絃那が歩いてきた方向を見比べる。
「え……? 今、カフェテリアから出てこなかった?」
「あ、うん……ち、ちょっと、用事があって……」
絃那は笑顔で返すが、内心冷や汗が止まらない。今日は嫌な汗ばかりかく日だ。
ぽかんとした奈央は、すぐに不満を露わにする。
「えーっ、ずるいーっ」
そう言って、痛いくらいの力で絃那の両肩を掴み、前後に揺らし始めて。
「あたしも行きたかったー! 行くなら誘ってよおー!」
「ちょっ、わ」
頭がぐらぐら揺れる。
奈央は「ずるい、ずるい」と繰り返しながら、絃那の身体を強く揺さぶり、頬を引っ張り、髪をぐしゃぐしゃにかき回し、また引っ張って……
痛っ! 痛いっ!!!
ブチブチと髪が抜ける感覚に、絃那はたまらず悲鳴をあげる。
「……っ、ま、松本さ――」
「次は絶対誘ってよね!!!」
抜けがけした絃那を咎め、反省を促すように怖い顔で言って。
それから奈央はにっこり笑って、制服のスカートを翻し歩き去って行く。
絃那はその後ろ姿を眺めながら、呆然と立ち尽くす。
ひどい目に遭った。
乱れた髪を直しつつ、重いため息を吐いて、絃那はとぼとぼと歩き出す。
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