第30話

30.


 優は絶望と共に、まだテーブルに突っ伏していた。


「はい、ご注文の品お持ちしました~」

 ウェイトレスの声が聞こえ、優の周りにカシャンカシャンと皿が置かれる気配がした。

 優が突っ伏していても容赦なく、むしろ邪魔だと言わんばかりに、すぐ近くに置かれている気がする。


「ではどうぞごゆっくり~」

 声と共にウェイトレスが立ち去る気配がして、優はようやく顔を上げた。


「優君、大丈夫?」

 実知子が優の顔を下からのぞき込むように言った。

 

「どんな奴か聞いてますか? めぐちゃんの好きな人」

 優は地を這うような低い声で言った。

 若干目が据わっている。


「ん~、詳しくは聞いてないけど、中学の時同じ部活だった人らしいよ?」

 顎に人差し指をそえ、思い出すように実知子が言った。


「「「えっ‼」」」

 優、湊、ゴーゴンの声がハモッた。


「おい優、それってお前なんじゃね⁉」

 湊が声を上ずらせて言った。

 

「告白スルーって、なにか心辺りはないでござるか?」

 ゴーゴンの声も上ずっている。


「だよな、優、結構抜けてるし!」

 湊がゴーゴンを指さし言った。

「それにお前、よく話聞いてなかった時とか、たまに勘で返事すんだろっ!」


「優君、部活一緒だったんだ!」

 実知子も驚いたように言った。

「でも、告白に気付かないなんてこと、ある!?」


「ちょっと待って‼」

 優は周りを手で制し、目を瞑ると恵との記憶を思い起こしてみた。


(え、も、もしかして、あの時のこと⁉)



   *      *     *


 あれは中学二年生の秋のこと。

 夕日に染まる美術室、優と恵は部活でたまたま二人きりだった。


 優は普段は結衣ゆいの学童へのお迎えの関係で中々部活に顔を出せなかったが、その日は結衣の授業参観で母が会社を休んだので、部活に顔を出してみた。

 絵画コンクールの締め切りが近く、他の部員の絵や進展具合が気になったのもある。


 部室である美術室に来たのは優と恵の二人きりで、恵とあまり接点がない優は何をしゃべったらいいか分からず、少し緊張していた。


 優は窓際にイーゼルスタンドとキャンバスを置き、一人掛けの丸椅子に座っていた。

 キャンバスには水彩絵の具で、渡良瀬遊水地の水門の辺りの風景を描いていた。


 優はその辺りの、奥に山々が連なり、豊かな水をたたえた緑豊かな眺めが好きだった。

 広々とした静かな眺めが、胸をすっとさせてくれるようだった。

渡良瀬遊水地は館森市から車で三十分程の所にあり、優の母の実家に行くのにたまにそばを通りかかるのだ。


 恵は、廊下側に置かれた大きな作業机に向かい何枚かの写真を広げ、展覧会に出すように枠に貼ったり、額に入れたりしていた。


 しばらく二人は違う方向を向いたまま黙々と作業していたが、きりがいいのか、恵が作業台から離れ、優のいる窓際に来た。

 

「優君、絵、上手だね」

 

 優は急に話しかけられ、ビクリと肩を揺らした。絵を描くことに集中していて、恵がすぐそばに来ていることに気が付かなかったのだ。


 夕焼けの橙色の光の中、少しはにかみ微笑む恵。

 優の顔を、目を、じっと見つめる。


 優はその一瞬の光景に、胸を締め付けられるような気がした。


「私――好きだよ」

 思わずあふれ出してしまったかのように、恵はぽつりと呟いた。


(え、好きって!? いやまさか、俺のことじゃないよな。部活一緒でもあんましゃべったことないし。接点ないし。

 ってことは、この絵か‼)

 優は一瞬慌てたが、絵のことを褒めてくれたのだと受け取った。


「ありがとう。俺もこの場所好きで、結構上手く描けてると思う」


 一瞬恵は目を見張り、何か言いたげに口を動かしたが、結局何も言わなかった。


「俺、成島さんの写真も好きだよ。なんかほんわかするのが多くて、撮るもののことが好きなんだろうなーってのが伝わって来て」


「……ありがとう」

 そう呟くと、恵はふいに背を向けた。

「ちょっとごめんね」

 そう言うと、恵は小走りに美術室から出ていった。


(成島さんどうしたんだろう? トイレかな?)

 優はのん気に思った。


 再び絵に集中していると、しばらくして恵が戻って来た。

 手にはハンカチが握られている。

 

「急にごめんね」

 恵が不自然に明るい声で言った。


「この絵、見てると気持ちがすっとするね」

 恵は優の少し後ろに来ると、絵を見て言った。

「おおらかな広々とした絵に、優君の人柄がよくでてる気がする」


「そ、そうかな? ありがとう」

 優は照れて、頭を掻きながら言った。

「ここ、渡良瀬遊水地の近くの橋から見た眺めなんだ。渡良瀬遊水地行ったことある?」


 恵は一度瞬きし、緩く頭を振った。

「ないよ。でも今度写真撮りに行きたいな――」

 そう言うと、恵は一瞬目を見開いた。

「そうだ優君、この場所教えてくれない?」

 

「え……いいけど、母ちゃんに車で連れてってもらったことしかないんだよな……」

 そう言うと、優は近くに書ける紙がないか探した。

「こーいう時、スマホあると便利だよなー」

 優は独り言のように呟いた。


「優君、スマホ持ってないの?」

 恵はスマホを手にしていた。


「ないよ。欲しいけどまだダメって親から言われてんだよね」

 優はうろうろ周りを見たが、なかなかちょうどいい紙が見当たらなかった。


「そうなんだ……」

 恵は沈んだ声で言った。


「もーこれでいいや!」

 優は学生手帳の何も書いてないページを線引きを使って切り取ると、そこに大体の地図と説明文を書いた。


「はい、ちょっと分かり辛いかもだけど」

 優が地図を手渡すと、うつむいていた恵はぱっと顔を上げた。


「ありがとう、今度行ってみるね!」

 にっこり笑って恵が言った。

 潤んだ瞳に夕日が反射し、きらりと光った。


「う、うん」

 優はその恵の笑顔の可愛さに、一瞬たじろいだ。

「分かり辛かったら、ごめん」


  *     *     *


 優は待ち構えている三人に、思い当ることをかいつまんで話した。


「でもさ、やっぱり俺じゃないんじゃん?」

 優は自信なさげに言った。

「だってさ、俺、それまでめぐちゃんとろくに話したことないんだぜ。

 それに同じ部活だった男、他に何人もいるし」


「え~~、絶対それ、優君だよ!」

 実知子が両手を組み、はしゃいだ声で言った。

「一目ぼれとか、とにかく優君の見た目が好みってこともあるじゃない⁉」


「そうだよ、俺も優のことだと思うぜ! なんか優のことを見るめぐちゃん、いつも何か言いたげだったし」

 湊がチーズスフレを食べ、フォークで優を指して言った。


「ん~~、どうでござるかな」

 ゴーゴンが腕を組んで言った。

「拙者、うかつなことは言えないでござる」


「う~~ん」

 優も腕を組み考えた。


(もしかして、めぐちゃんは俺のことが好きかも!?

 だったら凄く嬉しい‼

 ……でも、好きって言われるような理由、ほっんと分かんないけど。


 それに……そしたら何で告白した時『ごめんなさい』だったんだ?

 アイドルになるって決まっちゃってたから?)


「あー分っかんねー‼」


 優はそう叫ぶと、来ていたフォンダンショコラにフォークを突き刺し、一口で半分、ガブリといった。

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