第10話

10.


 午前五時四十五分、優は湊の家に着いた。

 湊の家は、優の家から自転車で十分程の、畑や田んぼが多い広々としたところにある。


 湊の家の敷地内には、二階建ての広い母屋と、倉庫と農機具のガレージが合わさったような大きな建物があった。

 優は何度か湊の家に遊びに来たことがあるので、見知った光景だ。


 今日は優の人生初のアルバイトの日だ。

(初バイト、頑張んなきゃな! それに、湊の姉ちゃんに、めぐちゃんのこと訊けるかも知んないし。何でめぐちゃんがアイドルになろうと思ったのか、分かるかも!)


 優は前から不思議に思っていたことを訊けるのではないかと、張り切っていた。

 優の知る恵は、どちらかと言うと内向的な前に出ることを恥ずかしがる性格だったから、何故アイドルと言う目立ってなんぼの存在になろうと思ったのか、ずっと不思議に思っていた。


 空は晴れ渡り、絶好の収穫日和だった。


 優は湊に言われた通り、大きな麦わら帽子に薄地の長袖の服、長ズボン、スニーカーを履いて来ていた。首にはタオルを巻いている。

 

 他にも似たような格好の人達が何人か集まっていた。

 湊の家族も、祖父母に両親、それに三人の姉に湊と勢ぞろいしていた。


 湊は優を見つけると手を振り、近くにやって来た。

「おはよ、今日はよろしくな」

 湊はまだ少し眠そうだ。

 麦わら帽子をかぶり、灰色の長袖のつなぎを着ている。


「おはよ。よろしく!」 

 優は朝早いにも関わらず、やる気満々だった。

 初めてのバイトと言うこともあるが、湊の姉からメンメンガールズのことや恵の事を訊こうと意気込んでいた。

 湊姉はメンメンガールズの運営を行っているお習字や算盤を教えている教室に前通っており、もしかすると恵のことを知っているかも知れない。


「優には、始め田植えの手伝いをしてもらって、その後キャベツの収穫をしてもらおうかって話になってる」

 湊があくびをしながら言った。


「了解。麦の収穫は?」


「もう終わらせちゃったんで、今日は田植えと、キャベツとジャガイモの収穫が主だな」


「そうなんだ」

 優は、時計を見てまだ六時にはなっていないことを確認して言った。

「お姉さんと、みーちゃんと、今ちょっと話してもいいかな?」


 優は湊の家に遊びに来た時に会ったりしてみーちゃんと面識はあったが、そんなに話したことはなかった。


「あぁ、いんでない?」

 そう言うと湊は、姉達のいる方に歩いて行った。

「みーちゃん、ちょっとい? 優が訊きたいことあるって」


 優も慌てて湊に続いて行った。


「なぁに?」

 みーちゃん、実知子みちこが柔らかい笑顔で湊に答えた。

 実知子は湊と雰囲気が似ていて、柔らかい感じの整った容姿をしていた。長い黒髪は大きめのヘアークリップで一つにアップにまとめられ、首には可愛い柄のつばの長い帽子がかかっていた。


 湊は少し他の人から離れた所で止まると、実知子に向かって手招きした。


 実知子は不思議そうな顔をしながら、湊と優の所に来た。

「なぁに、話って?」


「あ、おはようございます」 

 律儀に優は挨拶をした。

 実知子も「おはよう」と柔らかく返した。


「実知子さんがメンメンガールのとこのお習字教室行ってたって聞いて、ちょっと訊きたくて。

 成島恵ってコ知ってますか? 今メンメンガールの緑野メグミをやってるんですけど」


「何年生?」


「うちらとタメです」


「……んーちょっと知らないなぁ。ごめんね」

 申し訳なさそうに実知子が言った。


(そうだよな……俺等と実知子さんとじゃ、ちょっと歳離れてるもんな、大学生だし……)

 そうは思いながらも、優はがっかりした表情を隠せないでいた。


「そのコがどうかしたの?」


 優は一瞬なんと言おうか言葉に詰まった。


「好きなコ?」

 首をかしげ微笑みながら、実知子が言った。


「そ、そうです……」

 蚊の鳴くような声で優は言った。

 顔が一気に熱くなり、赤くなっているのが自分でも分かった。


「その、恵ちゃんが、なんでメンメンガールズに入ったかなんて、分かんないですよね……」

 優は一縷の望みに賭けて訊いてみた。


「んー、もしかしたら分かるかも?」

 にっこり笑って実知子が言った。

「前メンメンガールズやってたコの連絡先知ってるから、訊いてみよっか?」


「本当ですか! ありがとうございます!」

 優は勢いよく言った。


「でも、あんまり期待しないでね? もしかしたら、だから」

 優の勢いに押されてか、念を押すように実知子は言った。


「大丈夫です!」

 そうは言いながらも、優は希望に満ちた目で実知子を見ていた。


「うん、じゃあまあ、後で訊いてみるね」

 (分かっているのかなーこのコ)と言いたげな表情を浮かべ、実知子が言った。


 ちょうどその時、湊の父が大きな声で話出した。

「はいー、じゃあ皆さん、そろそろ時間なんで、こっち集まってください」


 アルバイトの人達が湊父のあたりに集まると、湊父は今日やってもらうことや注意点などを説明した。


 優は湊が言っていた通り、田植えの手伝いと、キャベツの収穫を割り当てられた。

 湊はずっと田植え機に乗る父について田植えの手伝いをやるらしく、途中で別々になる予定だ。

 優は少し心細く思ったが、実知子とキャベツの収穫で一緒になり、色々メンメンガールズのことを訊けそうで良かったとも思った。


 湊父の説明が終わると、優は湊父のところへ急いだ。


「今日はバイトさせてもらい、ありがとうございます」

 優は猫背気味の背を、さらに曲げて言った。


「やあ、こちらこそ。今日はちょっと暑くなりそうだけど、熱中症に気を付けてな!」

 浅黒く日焼けした湊父は、はきはきと言った。

 

「はい!」

 優もつられて、しゃっきり答えた。


 湊がふらりとやって来て、何も言わずに父の横に立った。


(湊と父ちゃん似てるよなー。湊と実知子さんは父ちゃん似だな)

 優は二人の顔を見比べて、一人うんうんとうなずいた。


 その後優は湊と父と少し移動して、家の敷地の直ぐ隣の、稲の苗が育てられている所に歩いて行った。

 稲苗は田植え機に乗せられるよう、A4の紙サイズ位の四角い容器に分けられて育てられていた。

 優と湊は、その一つ一つを軽トラックに積まれた棚にどんどん乗せていく作業をした。

 湊父はそばの田植え機のメンテナンスをしていた。

 湊は普段と違ってあまりしゃべらないし、時折湊父がちらっと様子をうかがうので、優は黙々と働いた。

 一つ一つの稲苗はそこまで重くはないが、それを何十と移動させる作業は、まだそれ程暑くはなっていないのに汗の噴き出る作業だった。おまけに急にたくさん筋肉を使ったものだから、終わった後は腕がプルプルとしてきた。


(これもメグちゃんとチェキを撮るため! ファンクラブに入るため!)

 そう思えば、キツイ作業も頑張る事ができた。


 ようやく稲苗積みが終わると、キャベツの収穫を手伝うよう言われた。

 湊は父と軽トラックに乗り込み、近くの田んぼへ向かって行った。


 優は言われた通りキャベツ畑の方へ向かうと、すでに収穫作業は始まっていた。


「すみません、何したらいいですか?」

 優は湊の母か姉っぽい人がいたので訊いてみた。

 広いつばが顔をぐるっと囲み、口と襟足を覆うような日焼け防止の布が付いた農作業用帽子をかぶっているせいで顔はよく見えなかったが、その本格的な出で立ちと体格、作業の速さから何となくそう判断した。

 湊の母と上の姉二人は湊とは違って、背が高くがっしりした体格なのだ。


「あぁ、優君」 

 その人は口の布をマスクを外すようにとった。

 湊の一番上の姉、和実かずみだった。

「今日は手伝ってくれてありがとうね!」


 和実がすっくと立ち上がると、優の目線は自然と上を向いた。

 

(やっぱ背でかいよな!)

 和実は思っていたより大きく、背の高い方の優よりさらに大きかった。


「あ、いえ。こちらこそありがとうございます」

 優は驚きから、少し口ごもって言った。

「バイトしたかったんで、助かりました」


「まあまあ、優君ほんといいこね~」

 豪快に笑いながら和美が言った。

「湊に爪の垢でも飲ませてやりたいわ! あのこったら、隙あらば逃げようとするのよ~」


 和実の指示で、優はキャベツの収穫を始めた。

 中腰の姿勢でキャベツを包丁で収穫する作業は、優が想像していたよりずっと大変だった。小学校までスイミングに通っていたがそれ以降特に運動をしていない優にとって、中腰の姿勢だけでも辛かった。


(中腰キッツー。でも、これもメグちゃんへの道!)

 優は半ば修行僧のように、黙々とキャベツを刈り続けた。

 まあ煩悩に満ち溢れ、僧からかけ離れてはいたが。


「優君、頑張ってるね!」

 そんな声が聞こえて、見るといつのまにか実知子さんが隣でキャベツを刈っていた。

「メンメンガールズの話聞きたい?」

 口布をとってにっこり笑った。


「はい!」

 優は反射で答えていた。


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