第1話 06/08TURN

 ナコエーは壊れた斧を見ては、母が描き上げた絵画の手前に届くよう投げ捨てる。

「イチキュッパで買った鉄の斧だぞ。耐えられるわけがない」

「……申し訳ないことをした。だが、貴殿が退かねば戦いは終わらぬぞ」

 ワジュメゾンは同情深い顔をしながら、ナコエーに小さな革袋を渡した。

「三万ギルンだ。私は妻に搾取される側……これだけしか出せぬ」

 小さな革袋の中にある三枚の万札。確かに受け取ったことでナコエーは少しだけ微笑む。

「国賊に大盤振る舞いか。ワジュメゾン、お前はお人好しだな」

「返しは金以外なら受け取る」

「……約束する。だが、あたしは退かない」

「退かぬと思ってはいたが……私に空手で挑むのか」

 互いに退く選択肢はない。

 互いに命を奪うことは望んでいない。

 互いに戦うべき相手ではないことはわかっている。

 そうさせたのは誰なのだろうか。考えても答えは見つからない。

 ナコエーはこの争いに終止符を打つための賭けに出た。

「ワジュメゾン。あたしの父と母がもし生きているならお前と歳が近いかもしれない」

「……急にどうしたのだ」

「あたしの父と母は美術家で空手とは無縁なんだ」

「!……もしや、両親の作品がここに展示されているというのか?」

「そうだと思うが……何かおかしくてな……気になって仕方がない……」

 再戦を覚悟していたワジュメゾンにとって思いがけない展開である。

 名前を名乗らない、目的も言わない国賊が親のことを語りだしたのだ。

 戦わぬに越したことはない。意図は掴めないが、彼女を信じて耳を傾けよう。

 ナコエーはワジュメゾンが動かぬことを見て、父の作品である大壺に近づいた。

「失礼だが……ここにある美術品はどうもきな臭い。臭い繋がりで異臭もする」

「恐らくは父が作った大壺からだ、覚悟しろ」

 大壺の中からは薬物を合成したような刺激の強い化学臭が漂っている。

 薬物の原材料なのか、魔物の吐瀉物や腐敗した死肉が混ざり合っているようだ。

 息をするたびに胸を突き刺すこの臭いは、常人では耐えられないほどだろう。

 ナコエーは大壺を勢いよく倒し、中身が溢れるように外へと大きく流れ出た。

 流れ出たのは粘土のような色と質感を持つ混濁した液体だった。

 その不気味な液体は床を汚すかのように大量に広がり、騎士達は吐き気を催しながら鼻をつまんで後ろへと下がっていく。

「ワジュメゾン将軍、嗅覚が壊れそうです!この臭いは耐えられません!」

「いかん!避難しろ!臭いを吸うな!何かの薬だ、誰でもいい!薬学者を呼んで処理を頼め!」

「承知しました!国賊はどうするのでしょうか?」

「あの者は国賊ではない、国民だ」

「見逃すのですね。わかりました、我々は将軍についていきます」

 鉄靴の足音が回廊にけたたましく駆ける。

 ワジュメゾンの指示に従い、騎士達は猛然と走りだして回廊から遠くへと離れていく。

 静けさを取り戻す暮夜に、ナコエーは去りゆくワジュメゾンの背中を最後まで見つめた。

「……金以外か。あたしに何ができるのだろう……」

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