世界で一番格好良い(3)

「真面目に聞いて。もし優夜くんを泣かせるようなことがあれば、私はあなたたちを許さない」


 幼馴染の私は知っている。

 四年前、親の離婚が成立するまでずっと、優夜くんたちは横暴な実の父親に苦しめられてきた。

 優夜くんが泣く姿を見るのはもうたくさんだ。

 優夜くんにはずっと笑っていて欲しい。そうでなければ嫌だ。


「へっ。許さないって、何するんだよ? 俺たちと殴り合いでもする気なのか?」

 田沼くんは鼻で笑い、身体の前で拳を握った。

 怯みそうになったけれど、私はぐっと堪え、逆に一歩足を踏み出した。


「ううん、喧嘩じゃ勝てないのはわかってるし、暴力は嫌い。だから、家族も学校も、場合によっては警察だって、巻き込めるものは全部巻き込んで味方につける」

 頼りになる味方は多ければ多いほど良い。

 これは成海家の離婚騒動のときに学んだことだ。


「家族もって、おい、親に告げ口する気かよ。それは反則だろ」

 三井くんが弱々しい声で言った。

 あれだけ威勢の良かった田沼くんも親に告げ口されては困るらしく、無言で拳を下ろした。


「何が反則なの。親に言われて困るようなことをしているのが悪いんでしょ? あなたたち、五年生にもなって、やっていいことと悪いことの区別もつかないの?」

 形勢逆転だ。私は強く二人を睨みつけた。


「これだけ言ってもまだ優夜くんに絡むつもりなら、覚悟してね。私は大切な人を傷つける人に容赦なんてしない。全力で戦う。あなたたちの心が折れるまで徹底的に、再起不能になるまで叩きのめしてやる」

 私の本気が伝わったのか、田沼くんたちは気圧されたように何も言わない。


 優夜くんにもう何もしないって約束して。

 そう言おうかと思ったけど、止めた。

 口では何とでも言えるから。


「これからの態度と行動には気をつけて。もし優夜くんを傷つけたら、本当に許さないから。それじゃ」

 言いたいことを言い切った私は、くるりとその場で半回転した。

 視線を上げて、階段を上ろうとして――そこで動きを止める。


 階段の上に立って私を見ているのは、菜摘ちゃんだけじゃなかった。

 何故か、千聖くんが菜摘ちゃんの傍に立っていた。


 千聖くんは私を見て、なんだかとても嬉しそうな、誇らしそうな、そんな顔をしていた。

 菜摘ちゃんは千聖くんの傍でニコニコしている。


「千聖くん? いつの間に?」

 驚きながら階段を上り、二人の前に立つ。


「最初から見てたよ。愛理の様子がおかしかったから、こっそり後をつけてたんだ。優夜に用事があるのかと思ったら、まさかいじめっ子にお説教とは。何? 優夜があいつらに泣かされる夢でも見たわけ?」

 ぎくっ。

 その表情が表に出てしまったらしく、千聖くんは「やっぱりな」と笑った。


「ありがとう。優夜のために怒ってくれて。さっきの愛理、超格好良かった。世界で一番格好良かったよ」

 千聖くんは口の端をつり上げて、ニッと笑った。

 それは、私の胸を強く打つような、そんな笑顔で。


「……そ、そうかな」


 胸に、じわじわと喜びが広がっていく。

 格好良かった――それは、私の行動を評価し、賞賛する言葉。


 嬉しくて、つい、頬が緩んでしまう。

 照れていると、菜摘ちゃんが悪戯っぽい笑顔を浮かべて千聖くんに聞いた。


「成海くん、愛理ちゃんに惚れ直したんじゃない?」

「ほ!?」

 顔を真っ赤にして狼狽えている千聖くんの横を、田沼くんたちが気まずそうな顔をして足早に通り過ぎていった。


「な、何言ってんだよ河本さん! おれと愛理はそんなじゃねーから! ただの幼馴染だから!!」

「そ、そうだよ菜摘ちゃん! 変なこと言わないで!!」

 二人して慌てていると、


「もー、じれったいなあ……」

 何故か菜摘ちゃんは呆れ顔になった。



 二日後の朝。今日の天気は雨。

「ふわあ……」

 パジャマ姿のまま、眠い目をこすってリビングに行くと。

 英語のロゴの入った水色のTシャツを着た優夜くんと、赤いシャツを着た千聖くんが揃ってご飯を食べていた。


 昨日は夜更かしして眠かったのに、優夜くんの服装を見た瞬間、寝ぼけていた私の脳は完全に覚醒した。


 もしも田沼くんたちが私の警告を聞かなかったら、優夜くんは今日、田沼くんたちにいじめられて泣いてしまう!


「ゆ、優夜くん、おはよう」

「おはよう。どうしたの?」

 動揺を隠せない私を見て、優夜くんは目をぱちくり。


「えっと、あの。優夜くん……」

「愛理」

 警告するべきかどうか迷っていると、千聖くんが落ち着いたトーンで私の名前を呼んだ。

 不安にさせるようなことは言わなくていい、と目が言っている。


 ――もし今日、田沼くんたちが話しかけてきたら聞かなくていいからね。何かされそうだったら全力で逃げてね。今日はなるべく一人にならないで――


 喉まで出かかっていた数々の言葉が、千聖くんの視線を受けて消えていく。


「……なんでもないの。今日は雨だね」

 リビングの大きな窓の外を見て、私は言った。

 窓の外では、まるで誰かが泣いているかのような雨が降っている。


「? うん。雨だね?」

 優夜くんは困惑顔。

 この雨のように、優夜くんが涙を流したりしませんように。私は心底祈った。



 果たして、その日の夕方。

 クラブ活動が終わり、急いで家に帰ると、優夜くんはリビングでジロさんと戯れていた。


「おかえりなさい、愛理ちゃん。今日はオムライスよ」

 キッチンでエプロン姿の麻弥さんが微笑んだ。


「そ、そうなんだ。やった、私、オムライス大好き……」

 重いランドセルを背負ったままの私は、息を弾ませながら笑顔を作った。


 オムライスは嬉しいけど、それより今日、優夜くんは無事だったのか。

 田沼くんたちに何もされなかったのか。そればかりが気になる。


「大丈夫。何もなかったらしい。優夜のキーホルダーも無事だった」

 私より先に帰っていた千聖くんが寄ってきて、私の耳元で囁いた。


 優夜くんが振り回すひも付きの玩具にジロさんがとびかかる。

 玩具を操りながら、優夜くんは楽しそうに笑っている。

 平和そのものの光景だ。


「……良かったあ……」

 私は胸に手を当てて大きく息を吐いた。

 優夜くんが無事で、本当に、本当に良かった。


「ありがとな。全部愛理のおかげだ」

 喜びをかみしめていると、千聖くんが手を上げた。

 手のひらは私に向いている。ハイタッチを待つ構えだ。


「どういたしまして!」

 私は笑顔で手を上げて、千聖くんとハイタッチした。

 パン、とリビングに軽い音が響く。


 ――ああ、最高に気持ち良い!


 笑い合う私たちを見て、優夜くんと麻弥さんは「何してるんだろう?」という顔をしていた。


 

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