第三章 27~38

第27話 プロローグ

Side:独立派獣人テロリスト


 満月の穏やかな明りが美しい夜るであっただが、次第に雲が流れぼんやりと水墨画のように滲んで、朧月夜になっていた。


 深い深い森の中を駆け抜ける幾つかの音が響いていた。


「くそっ! クソッ!! 糞ッ!!! ……やってくれたな【死霊術師ネクロマンサー】ッ!」


 息も絶え絶えに口汚く罵る男は、背後を気にしながら深い深い森の中を駆け抜ける。

 足元は落葉だらけでヒューマンであれば、足を取られるほどだが男には関係ない。


 何故なら男はヒューマンではなく――多くのヒト族国家では差別を受ける――『獣人種セリアンスロープ』だからだ。


 逃亡の最中、受けた傷がズキズキと疼く、襲撃者の攻撃には高度な呪いが込められており、獣人は高度な自己回復能力を備えているものの、返ってそれが裏目に出ている状態だ。

 額には油汗が滲んでおり、苦痛の程をありありと感じさせる。


 目端で捉えた黒い影を見にし、獣人の身体は勢いよく跳ね跳び加速した。


 素の身体能力で獣人種は他の追随を許さない。

 しかしそれは相手が人間の場合に限る。

 先ほどまで獣人が居た足元に


 穏やかな月明かりしかなか光源は存在しないのだから、影が落ちることなんて通常はあり得ない。

 通常ではあり得ないことが起こる時それは、不吉なことの前触れとなる。


 不自然な影から槍が伸びた。

 槍と言っても金属製のモノではない。

 影で出来た『枝』や『触手』とでも呼ぶべき不格好なものだ。


「貴様の行いは獣人に対する裏切りだぞッ!!」


 追尾する影の槍を回避しながら情に訴える。

 獣人は理解しているのだ。

 汚れ仕事に身をやつしているとは言え、獣人中でも有数の戦士である自分と襲撃者の力量の差を、彼が本気ならば自分など既に串刺しであると……。


 勇者達が族長や王族、学者に伝えたと言う『民族自決』、『民主主義』を夢みて、国でも有数の騎士であるキャリアを捨て卑劣なテロ行為に身をやつして今日まで生きて来た。

 

 数多くの同胞や同士を失い。

 【反逆者】である死霊術師ネクロマンサーにも裏切られた。

 計画に差し障る損害だ。

 ここで死ぬのは避けられないならば、本懐を遂げるのみ!!


「許さんぞ王の剣、コッロス公爵家め!! お前だけは道連れにしてやる!!」


 獣人は憎悪の篭った眼差しで大事に抱えた壺を見る。

 獣人は大陸北部の出身であり、ベネチアンの街には何のゆかりもない。

 しかし彼にはこの街を恨む理由があった。


 ベネチアンの街は東西貿易の要所にして、『王の剣』と呼ばれる近代のコッロス公爵の所領、また国の遠征によって獣人達は被害を受けていたからだ。


 獣人は木々の生えていない広場に出た。

 月明かりに照らされたそこは、闇雲に森の中を駆けていた獣人にとって天の采配だった。


「祖神よ! 感謝致します。あなた様の導きにより今宵我らは再び尊厳を取り戻します!!」


 文字に起こせない笑い声を上げて、獣人は笑う。

 獣人は自らの生命を諦めている。

 獣人国を形成する。


 明日みらいの平和ための生贄いしずえとなる。

 弱き同胞のために剣となり盾となり、儚く小さな命を散らす。

 それこそが自らに課せられた天命さだめであると……


 袖口が擦り切れたボロボロの外套を身に纏った人影が闇から現れた。

 まるで “死” その者が、闇から現れたと言われれば納得できる。


 常人ならば言葉させ発することなく、心臓が止まるような濃密な死の気配の中で獣人は言葉を発した。


「【死霊術師ネクロマンサー】か……」


「……」


 しかし死神が、獣人の問に答えることはない。

 フードから覗く眼窩がんくつは夜空よりも暗く、油絵具を幾重にも塗り重ねたような、濁った炎の揺らめきが瞳のように動くのみで、まるで鬼火ウィルオウィスプのようにも見える。


 死神が一歩、歩を進める度に骨と死蝋化した部位が外套から僅かに覗く、死神が踏みしめるだけで呪いは伝染し草花は枯れ、燃え、凍り付く。

 まるでその歩みでさえこの世に地獄の一部を呼び寄せているようだ。


 死神の如き死霊術師は影を伸ばす。

 獣人を拘束し壺を奪うために手加減をしているように見える。


「遅かったな、【死霊術師ネクロマンサー】ッ! これで終いだ!」


 壺は龍脈が地表に現れた源泉に設置されたことで周囲の魔力を奪い汚染していく……

 死神が呪いを振りまくよりも早く森は死に絶え、壺から程近い場所にいた獣人は即死した。


 【死霊術師ネクロマンサー】は要約口を開いた。

 とは言っても【不死者アンデッド】となった彼が声を出すのに喉を震わせ口を開く必要はない。

 それは彼に残させた生前の習慣だった。


「遅かったか……飼い犬に手を噛まれるとはまさにこのことだ。まあいいさこの程度でボクの計画に狂いは出ない――ッ!」


 【死霊術師ネクロマンサー】が独り言を呟き終える間際、背後から氷の弾丸が飛来しそれを回避する。


「この森の聖獣……否、獣人が崇める神獣か……」


「神獣フェンリルか懐かしいな……ド田舎から遠路はるばるご苦労な事だ」


 神獣フェンリルと【死霊術師ネクロマンサー】が動いたのは同時だった。

 

「訳もないな……こんなもので捕らえられるなんて神獣が訊いてあきれる」


 内心冷や汗をかきながらも、努めて平静を保ちながら【死霊術師ネクロマンサー】は呟いた。

 神獣フェンリルの五体その全てに影で出来た鎖が巻きつき、間一髪のところで神獣フェンリル口を拘束している。


 しかし神の化身エコーさえ噛み殺す。と龍の牙と並び称され謳われる一撃を真面に受けるほど、自身の不死性を【死霊術師ネクロマンサー】は信じていない。


「残念だがここでお別れだフェンリルよ」


 拘束されたフェンリルに止めを刺そうとした瞬間。

 剣閃が閃いた。

 この場には【死霊術師ネクロマンサー】と、拘束されたフェンリルしか存在しないと言うのに……


「まさか!」


 強烈な瘴気は生者を死者に、死者を不死者に変質させる。

 悪神の加護となる。

 そして悪神は英雄が悪に落ちる様を好む。


「邪魔をするか! 不死神ぃぃぃいいいいいいいいいいっ!!」


 【死霊術師ネクロマンサー】と言えど、自身の使う魔術の祖ともいえる不死神お手製の不死者アンデッドともなれば、その制御権を奪うのは骨が折れる。


 不死者アンデッドは名剣を振るい影の鎖を断ち、フェンリルを逃がすために動く。


 如何に不死神の力によって産まれた不死者アンデッドとはいえ、産まれたばかりでは通常【死霊術師ネクロマンサー】の足元にも及ばない。


 しかし、不死者アンデッドは不死神の神意と生前の意識が色濃く残っているのか、【死霊術師ネクロマンサー】にとっては酷く人間的で戦い憎い。


「貴様の目的は現世に強く干渉できるフェンリルに恩を売ることか!!」


 しかし不死者アンデッドも不死神も答えることはない。

 ならば【死霊術師ネクロマンサー】に出来ることはフェンリルを弱体化させることだけだ。


 【エナジードレイン】の魔術で強大な生命力を奪いフェンリルを弱体化させる。


「ボクは不完全な不死者アンデッドを越えた死を克服した王。【死剋王オーバーロード】となる!!」


 【死霊術師ネクロマンサー】あらため、【死剋王しこくおう】は自身の持ちうる限りに術を使い不死神を退けた。


「全く踏んだり蹴ったりだ。壺は失い挙句の果てにはフェンリルにも逃げられた……少し力を蓄えなければ……」


 これから起こる凶事を告げるように先ほどまで明るかった黄金色とは異なり、雲海の間からちらちらと除く紅月は辰砂のように紅く、蒼月も普段よりも不気味ほどに青かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る