セルフケア03

 自信満々に前を行く影山の背中に小豆は続く。

 お惣菜を片っ端から買って、プチ宴会でもするのかしらん? と思ったが、どうやらそれも違うらしい。影山は何度か駄菓子コーナーやポケモンパン売り場で立ち止まってはねだるような目つきで小豆を見たものの、小豆の白けた視線を感じ取ってからあっさりと諦めていく。――良い大人なんだからそれくらい自分で買えよ!

 「着いたよ」

 小豆が胸中で激しくツッコミを入れる中、影山は目的地への到着を告げる。

 「ら、ランニング……ステーション……?」

 聞き慣れない、そして見慣れない名前だ。

 外から見るに受付があり、その横にはカロリーメイトやスポーツドリンクが置かれてある。そして貸出用らしき、幾つものシューズが陳列されている。

 なるほど、どうやらここはランニングをする為の施設らしい。

 「……ってなんでランニング!?」

 小豆が声をあげると影山はふふんと得意げな顔。そして小豆の質問には答える様子はない。

 小豆自身は中学高校でバドミントン部だったから人並みに運動経験はある。しかし、多くの運動部生がそうであるように小豆は体力トレーニング、その中でも長距離走やダッシュの類が大嫌いだった。まさかその大嫌いなものが、この胡散臭い男が言うライフハックだというのか。

 「さあ、行こうか」

 「ええ……普通に嫌なんですけど……」

 「!?」

 小豆の返事を聞いた影山は目を見開く。

 「そんな! ここまできておいてそれかい!? 良いじゃん、ここまできてそれはないぜ!? 1分だけ! ……いや……先っちょだけ走ろう! 先っちょだけ! それより動いたりしないから……ね!」

 「ね! じゃないですよ!」

 ――紛らわしい言い方すんな! 走り終えた爽やかなランナー達からヒソヒソ話されてんじゃん!

 小豆が羞恥で顔を真っ赤にしながら反論するも、影山は聞く耳を持たない。

 「分かりましたよ! 一緒にやりますよ! ええ、やればいいんでしょ! 走ったりますよ!」

 「おお! わかってくれたか! さあ、一緒に気持ち良くなりにいこう!」

 クレーマーを落ち着かせるには一度相手の言い分をじっくり聞いてやることが大事だと研修で教わった気がするが、それが役に立つ時がくるとは。しかも仕事以外の場面で。最後に余計な一言を言ったので、頭を引っ叩いたことは許されるだろう。


 「はっはっは! そうか小豆君もようやくランニングの良さを分かってくれたか!」

 「いや、そもそもまだ走り出してすらいませんから」

 実にやかましいうえに上機嫌な影山に静かにツッコミを入れる小豆。

 なんで自分はこんな偶然出会った胡散臭さ100%の男とランニングをしなければならないのか。自分があんなデコキャラシール入れを拾わなければ全て丸く収まったというのに! ――嗚呼、私のバカバカ!!

 ぽこぽこと自分の頭を叩く小豆をよそに影山は慣れた様子で「2人で」と受付を済ませる。

 「もちろん僕の奢りだよ」

 「……」

 当たり前だ。こんな別に行きたくもない場所に強引に連れてこられたうえに「割り勘ね」と言われた日には無言で踵を返すところだ。とはいえこちらも良い大人だ。

 「ありがとうございます」

 何の感情も込めずに言うとそれでも影山は満足したらしい。大きく頷く。

 「ついでにこれも奢りだ」

 いつのまにか影山はスポーツドリンクと補給食を買っていたらしい。それも渡してくれる。

 「え、そんな長い距離走るんですか?」

 「なに、安心したまえ。僕はランニング歴2年の上級者だから長い距離も走れるが、今回はキミがいる。だから3kmコースだ。仮に1km10分で走ったとしても30分だ」

 歴2年が上級者なのかはよく分からないが、1km10分……つまり100mを1分かけて走るペースということだ。高校生の頃に5kmを25分切るくらいで走れていたからおそらくそれくらいのペースならいけるだろう。

 「分かりました」

 「それならばよし。あとはウェアやシューズを借りたまえ。ランニング歴2年の上級者である僕はマイウェアにマイシューズを常に持ち歩いていることが当たり前だが、キミはそうもいかないだろう。では、僕はひと足先に着替えてくる。……覗くなよ?」

 「覗きません!」

 良いからさっさと着替えて来いってーの!

 てへぺろと舌を出した影山はそそくさと男性用の更衣室へと姿を消していく。やれやれ普通逆だろうに。

 「あのう……」

 影山が姿を消すと控えめな女性の声が小豆の耳に届く。

 「はい?」

 「いえ……そのあの方が出したお金が何度数えても足りなくて……。でもあまりに自信満々に出してきたから言い出しにくくて……」

 「……」

 あの人、本当に上級者なの?



 「……遅いな」

 影山が払い損なった分の代金を支払い、その分も遅れて着替え始めた小豆より影山は遅い。もしかしたらあの身勝手な男のことだから先に行ってしまったのかもしれないと思って受付の人に聞いてみたが、そんなこともなさそう。

 「……倒れてたりして」

 まさかそんなことないとは思うが、流石に遅すぎる。それに粗忽そうなあの男のことだ。誰もいない更衣室ですっ転んで頭を打って気絶してそのままなんてこと全然ありうる。

 「仕方ない」

 様子を見に行くことにして事情を先ほどの受付の人に伝えると「あー、あの人ならやりそうですもんね」と受付の女性は初対面の人間に対してなかなか辛辣な評価。そして、「大丈夫ですよ。他の人も今ならいないですし、貴方ならきっと見慣れてるでしょうし……ね?」と意味深なウインク。

 なんだか屈辱的な勘違いをされている気がするが、いちいち否定するのも逆にそれっぽくて嫌なので曖昧な笑みを浮かべながら礼を伝える。

 「ちょっとー、いつまで待たせるんですか、影山さん?」

 「……!? きゃ、きゃああああああああああああああッ!」

 小豆が入ってすぐのところに影山はいた。上裸で何故かポージングした姿で。小豆に気がつくとちょっとエッチなラブコメ顔負けの悲鳴をあげたのである。何だか一発ぶん殴りたくなってきた。

 「何やってんですか、影山さん。さっさと行きますよ。なんで自分の身体抱いてるんですか? なんでシャツで身体隠してるんですか? いい加減にしないとぶっ飛ばしますよ?」

 「……す、すまない。取り乱した……」

 本当に取り乱していたようで影山はポリポリと頰をかく。こっちからすれば入って早々特段ムキムキでもない男がポージングしているのは軽くホラーだったというのに。悲鳴をあげなかった自分を褒めてあげたい。

 「……それにしてもよく似合ってるじゃないか」

 「……どうも」

 影山は小豆のランニングウェア姿を褒めてくれているらしい。ちんちくりんな自分の容姿にそこまで自信があるわけではないが、自分でもなんとなく似合っている……というかランニングウェアにこんなに可愛いものがあることに驚いた。

 アディダスのちょっとピチッとしたピンク色のパーカーに短パン、ランニング用のタイツは健康的な印象をもたらす。それに加えて何よりこのシューズだ。借り物なのにも関わらず普段履いてるパンプスはもちろん、スニーカーより明らかに軽く、動きやすいのが履いているだけで分かる。さっきまでは走ることに面倒臭さを感じていたのに今は早く試してみたいとすら思っている。

 「まあ小豆君もよく似合っているが……僕はどうだい?」

 「……」

 どうだい? と言われても……

 モデルのようなポーズをとった影山が身に着けているのは何故か中学だか高校だか知らないが、姉弟のジャージ。上下エメラルドグリーンで無駄に煌びやかだ。夜道を走る時の安全性を担保に格好良さを極限まですり減らした一品といえるだろう。

 「うんうん、どうやらこのジャージがナウいのはわかってもらえたようだね」

 「……そうですね。見ようによってはナウいように見えなくもないような気がしないでもありませんね。……知らんけど」

 言葉すらナウくない影山はどこまでもポジティブだ。さあ、行こうと彼は言うが正直隣を走りたくない。だが、やたらめったら話しかけてくるので他人のフリなどできやしないし、また紛らわしい言い回しで周囲から誤解を受ける方が面倒だ。自分が着ているこのウェアの可愛さに免じて今日は我慢しよう。

 「分かってくれて嬉しいよ」

 「私の言ってること本当に分かってます?」

 絶対分かってないだろこの人。

 「さあ、走りだそう!」

 小豆の胸中の疑惑などカケラも感じ取ってなさそうに影山は意気揚々と柔軟体操を始める。影山が身体をグッと伸ばす度にゴキゴキバキバキと鳴ってはいけない音が聞こえてくるけど、謎センスのジャージといい、この人本当に上級者なの? 数年ぶりに運動するレベルの音なんですけど。

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