第3話 ドライブ

 付き合っている彼女のアカリが突然、

「ドライブに行きたい」

と呟いた。


 深夜ドラマの主演二人がドライブに行き、夜景を見ながら薄寒いラブシーンを演じているのを観ながら、先程まで主演俳優の甘い言葉にきゃあきゃあ高い声で何か言っていた筈なのに。


 アカリがドラマや映画に影響されやすいタチなのはとっくに知っていたが、何もこんな年の暮れの極寒の中、夜景が見たいとは正気を疑う。

 俺は「絶対に行きたくない」という強い意志を込めて返答した。


「絶対イヤだ」

「なんで? マサヤ、免許持ってるでしょ?」


 きょとん、とした顔でこちらを見ている姿から、何故拒否されているのか、微塵もわからないようだ。

 俺は無意識に片手を上げて、壁を作るようにアカリに掌を向けた。


「免許とってからほとんど乗ってない。車もないし、物理的に無理」

「カーシェアがあるじゃん。ネットで予約するやつ。角のセブンのところ」


 話しながらスイスイ、とスマホを操作している。その淀みない動きと口ぶりからして、俺が車を出す事は彼女の中で決定事項のようだ。

 俺は頭の中を必死に漁り、どうにか拒否しようと口を開いた。


「レンタルの車って気ぃ使うしヤダよ。もう結構運転してないし、もし運転ミスって傷付けたら金かかるだろ」

「保険とか厚くついてるプランにすればいいよ。お金なら私出すし」

「そういう問題じゃ……」

「お願い!」

「ぜっったい、ヤダ」


 プランがどうとか、金がどうとかの問題ではない。やり込めたい訳ではないが、既に意地の張り合いのようになっていた。

 

 俺の語気が強かったからか、自分の意見が通らないからか、アカリは子どものように露骨に不機嫌になった。


「……じゃあもう、明日からマサヤのお弁当作んない。私仕事も家事もずっとやってるんだよ。たまには私も気分転換したい」


 小さな声でそう言って、アカリは今にも泣きそうな顔をして唇を噛んだ。

 途端に罪悪感に襲われ、俺はぐっと喉を詰まらせた。


「……わかったよ、行こう。いつも家事任せて悪い。気分転換しよう」


 彼女には家事全般をやって貰っており、日頃負担をかけている自覚があった俺は、これを言われると強く出られない。アカリもそれを分かっていて、ここぞという時にしかこの言葉で俺を責めない。


 渋々そう言った俺に、アカリはパッと表情を明るくさせて無邪気に喜んで見せた。


「やった! 予約するね。三十分後にするから準備しよう!」


 その顔にもう悲しみの要素は見えない。それに安堵して、俺は無意識に緊張していた体の力を抜いた。


 俺にはよくわからないけれど、それほど、どうしてもドライブに行きたいのだろう。明日は休みだから、本当は自宅の暖かい部屋でゆっくり休みたかったが、仕方ない。


「どこ行きたいんだ?」

「県境の海の方まで行きたい! その近くの公園でイルミネーションやってるみたいだから」

「こんな時間まで点灯してんの?」


 思わず時計を見ると既に二十三時を回っている。出発する頃には零時近いだろう。県境まで行くとしたら、高速に乗っても三十分はかかる。


 やっぱり辞めようと言われるのを期待したが、「二時くらいまで点いてる」とスマホの画面を見せられて閉口した。もう逃げ道はない。


 自分のスマホでナビを出し、公園の名前で検索してみる。片道四十五分くらいなので、ドライブには丁度いい距離だろう。俺が五年以上運転していないという事実に目を瞑れば。


 こんな事になるなら、晩酌でもしておけばよかった。普段からアルコールを摂取する習慣がない事を半ば恨むような気持ちで後悔してしまう。


「コンビニでコーヒー買って行こうね」


 嬉しそうに絡めた腕を軽く引っ張られ、部屋着から着替えを求められる。もう一つ溜息を吐く。

 こうなれば、もう腹を括るしかない。

 



 

 車は比較的新しい車種で、きちんと更新されたカーナビも搭載されていた。特筆すべき事もないシルバーの軽車両だ。アプリを操作しエンジンをかけ、暖房を強めに設定する。

 コンビニにカーシェア用の駐車場がある事は知っていたが、利用するのは初めてだった。便利なものだな、と感心する。


 アカリが助手席から腕を伸ばしてカーナビを操作し、スマホを見ながら目的地までの住所を入力しているのを横目で見ながら、俺はブレーキに足をかけたり、ウィンカーのレバーを確認したり、出発まで各々準備を進めた。


「コーヒーも買ったし、出発!」

「……おう」


 アカリの陽気な声に反比例するように、俺のテンションは低い。吐きそうになりつつも、恐々発車した。

 久しぶりの運転、初めて乗る車。しかも助手席に人を乗せている。怖い事だらけだ。

 冬の大通りは車通りもまだ多く、煽られようがスピードを上げ過ぎないように進んだ。


 二十分程ナビ通りに走ると、流石に勘を取り戻してきたのか運転に安定感も出てきた。

 アカリも楽しそうに最近の職場の出来事を話しており、相槌を打つだけの余裕も出てきた。話はあまり頭に入って来ない為、変なタイミングで相槌を打っている気がするが、アカリは特に気にした様子もない。


『三〇〇メートル先、斜め右方向です』


 ナビの指示通りに斜め右へ入っていく。

 大通りから外れると辺りは一気に暗くなった。街灯の数が激減し、周りは民家ばかりだ。


 何故急に大通りを外れたんだろう。

 俺は不審に思い、チラリとナビに視線を向けた。


「高速優先の設定にした?」

「え? 高速乗るの?」

「高速乗らないと結構かかるよ」

「えっごめん、特に何も設定してない」

「あーじゃあ下道で行く感じかな」


 特に不満はなかったが、アカリは責任を感じたのか、慌てた様子からすぐに落ち込みを見せた。


「ごめん」

「いや、まあ何とかなるだろ。帰りは高速で帰ろう」

「うん……」


 あからさまにテンションが下がったアカリを気にして、「どんまい」と意識して軽い調子で声をかける。


「まあドライブがしたかったんだろ。二時までには絶対着くだろうし、ゆっくりいけばいいよ。明日休みだしな」

「ん、ありがとうね。……それにしても、何かこの辺凄く暗くない?」


 先程とはまた違う意味で声を強張らせて、アカリが窓から外を見て不審そうに言った。


 その言葉通り、民家も街灯も減り、道もどんどん狭くなっている。大通りから外れてからも途中で何度か曲がったが、今は公道なのかすら怪しい道を走っていた。


 俺はナビを再び一瞬見るが、特にルートを再検索した様子はない。


「スマホで見た時は高速使ってたからな……でも下道でもこんな所走って県境に出るか? ある程度国道一本で行けそうだけど」


『三〇〇メートル先、右方向です』


「……右?」


 ナビの音声を聞いて、思わず顔を顰めて呟いた。


 前方を見ると、先へ行く程また道が狭くなっており、車が走れるギリギリの幅しかない。というか、通れるかすら怪しい。いくら軽とはいえ、狭過ぎないか。


「右に曲がる道なんて無いだろ……」

「ねえ、引き返せないの? 何か変だよ。怖いよ……」


 声を震わせたアカリの言葉に、躊躇いながらも取り敢えず車を停車させる。


「Uターンできる道じゃない。このままバックしていくしか」

『一〇〇メートル先、右方向です』

「だから右の曲がる道なんて無いって……ナビ再検索するか」

『間も無く、右方向です』


 直ぐに曲がる時の指示だった。ナビの指示がおかしい事は明らかだった。

 車は動いていないのだから。


『目的地周辺です』

「……え」

『目的地に到着しました。お疲れ様でした』

「……」


 チロン。


 電子音が鳴ってナビが完全に沈黙した。


 俺とアカリは呼吸も忘れたように沈黙した。周囲は畑のような、公園のような、だだっ広い土地が広がっている。道幅は狭く、何度確認しても右に曲がる道など存在しない。


「スマホのナビつけるか。故障してるのかも」

「マサヤ……あれ、なに」


 アカリが俺の肩の向こう、窓の外を震える指で指す。咄嗟に指の先を見た。


 窓の向こう、何もない土地を少し挟んで、離れた所に真っ黒な土地が見える。目を凝らしてよく見ると、土ではなく水場のようだ。暗過ぎてよく見えないが、それなりに広い場所のようだった。


「……池か?」

「誰かいる」

「え?」


 茫然としたかのような震えた声でアカリが言って、悲鳴を抑えるような仕草で口元を掌で覆った。


 アカリの言葉通り、池のそばに殊更黒い何かがある。しかし、少しも動かない為、人影というよりは木のように俺には見えた。


「……木だろ。とにかくこのカーナビ壊れてるみたいだからスマホのナビで」


「おぉい」


 ヒュ、と勢いよく息を吸い込んだ音がした。アカリのものか、自分のものかわからなかった。

 二人とも、黙ったまま静止した。耳に意識が集中して、全身に鳥肌が立ったのがわかった。


 その間にも、もう一度、おぉい、と声が聞こえた。


「おぉい」

「マサヤ、くるま」

「……」

「バックして‼︎」

「‼︎ーーあ」

「早く‼︎」


 聞いた事のないアカリの大声に、体に電気が通ったように急にびくりと動いた。そのまま、ほとんど無意識に車をバックで急発車させる。


「おぉい」

「ヒッ」


 もう一度声が聞こえたが、それはまるで車内にいるように近かった。アカリが必死に手を伸ばして、俺の袖を掴んだ。


 俺はパニックになり、意味もわからずに大きな声でアカリに「大丈夫だから」と繰り返していた。


 必死に車をバックさせ、Uターン出来そうな広い道に出るとサイドミラーの確認も疎かにほとんど無理矢理車をUターンさせた。


 何とか大きな道に出て、自分以外の車を見た時、情けないけれど涙が出そうだった。もうドライブをする気力なんてなかった。


 無言で自宅近くのコンビニに向かったが、アカリも文句は言わなかった。


 最後の男の声が耳から離れない。あの時確かに、言われたのだ。車内にいるかのような近さで。



 

 ーー右に曲がれって言っただろ、と。

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