第4話

ここ数日、一人で登校する日が続いている。

「気を付けて来いよ」

泰良は今日も俺が起きたのを見届けて、そして俺の頭を「くしゃくしゃ」として、出掛けて行った。

(もうすぐだもんな)

大会まで、あと少し。泰良にはそっちに集中してほしい。


昨日と同じ時間に電車に乗り、入口に近い席に座る。

次の駅で乗ってきた、痩せた中年のサラリーマンが俺の隣に座った。

(またか)

少しうんざりする。

ここ二日ほど、同じやつに同じことをされている。最初の時、

(なんか変なやつ…)

とは思った。が、その中年サラリーマンは何をするわけでもなく、俺が降りる駅の一つ手前で降りていった。だから、二度目同じことをされたときに、気になりつつも、

(どうせすぐ降りる)

そう思って放置した。

もしかして、それで、図に乗ってしまったのかもしれない。

(なんか、近いな)

中年サラリーマンは、体が当たるんじゃないかっていうくらい近くに座って、俺の足に膝を当ててきた。

(げ…)

顔を上げるとニヤリとされる。

(なんだこいつ…)

次の駅で電車が停まる。

席を移ろうと立ち上がりかけた時に、

「あ、朔太郎」

と声をかけてきたのは、阿久津先輩だった。

「あ…おはようございます」

先輩は、俺の隣に目をやり、サラリーマンの膝が俺に当たっているのを見て、

「…知り合い?」

と、尋ねてくる。

「いえ、知らない人です」

俺がそう答えると、中年サラリーマンが、

「え?」

と、驚いたような声を上げた。

(「え?」ってなんだよ)

俺が呆れていると、

「つーか、知り合いでも有り得ねーわ、その距離」

大きい先輩の低い声に、中年サラリーマンは「ひ…」と小さく声を上げて、鞄を抱き締め立ち上がると、別の車両へと移っていった。電車が動き出す。

「隣、いいか?」

「…どうぞ」

阿久津先輩がどかっと座り、サラリーマンが去った方をじろりと見る。

「なあ、今のって、もしかして…」

「あ~…『痴漢』ですかね?」

俺は、思ったことをそのまま伝える。

「は…?」

阿久津先輩が、こちらに向き直った。

「痴漢って…」

「二日前から、ああやって隣に座ってきて…。それだけだったんですけど、今日はくっついてきたんで、びっくりしました」

「はぁぁぁ?」

先輩が心底呆れたように、大きな声を上げた。まばらにいた乗客が一斉にこちらを見る。

「先輩、声が大きいです」

「あ…」

阿久津先輩は肩を竦め、小声で問いかけてくる。

「なんで、お前、そんな平気そうなの?」

「は?平気じゃないですけど?」

だから席を移ろうとした。そのタイミングで、たまたま先輩に声をかけられただけだ。

「…まあ、今回は、それほど…」

「『今回は』?」

「『隣に座ってた』ってだけじゃ、たぶんどうもできないし。前に別のヤツみたいに、お尻触られた、とかだったら…」

「はっ!?待て待て待て!」

「先輩」

騒がしい。俺は口許に指を当て、静かにするように促した。先輩は一息おいて

「…えと、前のヤツって…」

「前に、満員電車で痴漢に遭ったことあるんです、俺」

「はあっ?」

(うるさい…)

さっきよりは少し声を抑えていたけれど、周りには聞こえていたみたいだ。

先輩が「信じられない」といった顔をして

「ど、どうしたんだよ?そん時」

「?…次の駅で引きずり下ろして、駅員に突き出しました」

「は?」

またしても、先輩が声を上げた。先輩があまりモテないという理由が分かった気がする。

泰良と比べて、だいぶ落ち着きがない。

(顔は良いのにな。なんか、残念な感じ…)

などと、先輩に対し失礼なことを思っていた。

「す、すげーな…」

阿久津先輩が俯いて肩を震わせる。

「引きずり下ろして?…くっ、マジか…!くくっ!突き出したって…、自分で?くくっ…!」

何かがツボに入ったらしい。しばらくそうやって笑いを堪えた後、涙目で

「くく…すげーな、お前。可愛い顔して」

と言った。

「は?」

今度は俺が声を上げる番だった。

(「可愛い顔して」?)

「あ!『可愛いから、痴漢されても仕方ない』とか、そういうこと言ってる訳じゃないからな?」

そこじゃない。

「可愛い『顔』って言いました?」

俺の問いかけに、

「?…可愛いだろ?」

そう答えた先輩の表情は「何言ってんだ、お前?」とでも言いたげだったが、だとしたら、それは俺の台詞じゃないだろうか。

「朔は可愛い」とからかってくる直哉と博己の顔を思い浮かべる。

(「可愛い」って言われてもなあ…)

嬉しくない。俺は女の子でも小さい子どもでもないのだ。

「…見た目と違って『気が強い』ってことは分かったけど…」

先輩が俺の頭を二回軽く叩いた。

「気を付けろよ?ヤバイやつもいるから。体格の差とか、どうしようもないこともあるだろ?」

「はあ…」

(なんだ、この構図…)

距離が近い。

(この人さっき「知り合いでもあり得ねー」とか、言ってなかったっけ?)

「…だから、そういうの避けるために、空いてるこの時間の電車に乗ってるんです」

「そっか」

阿久津先輩は、俺の頭をまたポンポンとする。しすぎだと思う。

「…先輩、いつもこんな感じなんですか?」

「ん?『こんな感じ』って…」

「『可愛い』って言ったり、こうやって頭ポンポンしたり…。誰にでも?」

「え?!」

これは、完全に子どもに対する扱い方だ。節操がない。

途端に、先輩の表情が変わり、口ごもる。

「…いや、誰にでもって訳じゃ…。…そうだな…。気を付ける…」

自分の手を見て、先輩が真顔になっている。

(顔は良いのにな…)

さっきと同じことを思いながら、泰良とは違うタイプのイケメンを見つめた。

それに気付いた先輩がつい、っと、目をそらした。












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