第5話

そこで俺は、気づいた。

「…先輩、バレー部ですよね?朝練は?」

なんでこの時間にこの電車に乗っているんだろう。

「…っ。いや、ちょっと…」

俺の質問に、阿久津先輩が目を泳がせた。

(…寝坊か?)

「…」

そのうちに、降りる駅が近いことを知らせる車内アナウンスが流れて、電車のスピードが緩んでいく。俺はいつもの習慣で、それを合図に出口の前に立った。先輩がそれに続く。

(やっぱ、でっかいな…)

並んで立つ俺の頭は、先輩の肩にも届かない。ドアが開く直前、

「…わり」

と、頭を掻き、

「俺、急いでっから先に行くな。…その、大丈夫か?」

「?」

さっきの痴漢のことを言っているのだと気付いて、俺は笑った。

「大丈夫ですよ?」

阿久津先輩が、少し困ったように笑って、俺の頭をポンポンとする。

(またぁ…)

ドアが開き、

「じゃな、朔太郎。気を付けて来いよ」

先輩は足早に降りていった。その後ろ頭の髪がちょっと跳ねている。

(やっぱ、寝坊か…)

思わず、くすっとなる。背後でドアが閉まり、ゆっくりと電車が動き出した。

「気を付けて来いよ」

先輩のその言葉を反芻し、そう声をかけてきたのは二人目だな、と思う。

(兄さんと同じこと言ってる…)

「俺、高校生だけど…」

泰良とも阿久津先輩とも、二歳しか違わない。

阿久津先輩の「ポンポン」も、泰良の「くしゃくしゃ」も、どっちも、小さい子にするやつだ。自分の頭に触れ、その感触を思い出し、

(おっきい人は、手もおっきいな…たしかに大人と子どもみたいだけど)

などと考えながら、改札を出る。

そうやって考え事をしていたせいで気付かなかった。動き出した電車から、粘着質な視線を向けられていたことに。


◇◇◇◇


学校に着いて、いつも通り一限目の予習をしながら、ふと時計を見る。

そろそろ、バレー部の朝練が終わる時間だ。

そう思った時、

「朔」

名前を呼ばれた。声の方を見ると、泰良が教室の前の入り口に立ち、こちらを見ている。

「兄さん?」

教室には、まだクラスメイトの半分位しか登校してなかったけれど、色めき立ったのが分かった。少し気恥ずかしさを感じつつ、俺は席を立って泰良のそばに歩み寄る。涼しい顔をしていた泰良だが、肩が上下している。

(走ってきたのかな?)

「何?どうしたの?」

泰良が屈んで、俺の顔を覗き込んできた。

「な、何?」

「…どこもなんともないか?」

そう聞かれ、

「?…なんともないよ?」

とりあえず痛いところも痒いところもないのでそう答えると、泰良が大きく息を吐いて、俺の肩に手を置いた。

「…今朝、痴漢に遭ったんだって?」

「え、なんで知って…」

「あ、いた!おい、泰良!」

俺と泰良が一斉に声の方を見ると、そこにいたのは、阿久津先輩。

女子達がまたざわついた。無理もない。泰良と阿久津先輩、「D高バレー部の両翼」が揃った絵面は強い。

(一年にはモテるんだな…)

その先輩は、泰良を追いかけてきたらしく、ぐいっと泰良の肩を掴んで自分の方を向かせると、バッグを押し付けた。

「荷物!」

「ああ、悪い…」

泰良は先輩からバッグを受け取ると、お礼もそこそこにすぐに俺に向き直る。先輩はムッとして、声を荒げた。

「って、それだけかよ!もっと…あ、朔太郎」

阿久津先輩は、泰良の陰にいた俺に気付いて、泰良の体を押し退ける。

「っわ…っ」

その不意打ちに泰良がよろけ、小さく声を上げた。

阿久津先輩は、俺に笑いかけ、

「大丈夫だったか~?」

と尋ねてくる。

(ああ、先輩から聞いたのか)

おれは合点が言った。

泰良が阿久津先輩の肩を掴む。

「おい、祐介」

「あんだよ、邪魔すんな」

泰良に構わず、先輩が俺の頭をポンポンとした。

「気安く触るな」

泰良が俺と先輩の間に割り込み、その背中で視界が遮られる。

「てめ…っ」

(ホントに仲悪いな…)

前に直哉と博己が言っていたが、二人の話とは違って、阿久津先輩が一方的にライバル視している、という感じでもないようだ。

俺は、阿久津先輩にちゃんとお礼を言っていなかったと思い出す。

「!」

俺は泰良の腰にすがって、ひょいっと横から顔を出した。

「…先輩、今朝はありがとうございました」

睨み合っていた二人が一斉に俺を見る。

先輩は、俺の言葉に満足した様子で俺を見下ろし、

「ん」

と、少し屈んで顔を近づけ、また俺の頭を「ぽんぽん」とした。

「だから、触るな」

泰良が阿久津先輩の手を掴む。

「うるせぇ」

一瞬睨み合って、阿久津先輩は泰良の手を振りほどき、そのまま泰良を無視して、

「じゃ、俺、教室戻るわ。またな!朔太郎」

と、背中を向け、廊下を足早に去っていった。それを見送り、

「賑やかな人だなぁ…」

と苦笑いと共に呟く。やっぱり、落ち着きがないと思う。泰良が、

「朔」

と、俺に顔を向けた。

「後で詳しく聞かせて。電車でのこと。…あと、なんで祐介とあんなに親しいのかも」

(親しい?)

「?うん?分かった…?」

泰良の言葉に疑問が浮かぶが、素直に頷く。泰良は、俺の頭をくしゃくしゃとした。

「…じゃ、俺も戻る」

「うん、またね、兄さん」

俺は大きな背中を見送った。


昼休み。

「それでかぁ…。練習の後、小埜先輩、キャプテンを押し退けて飛び出してってさぁ。キャプテンが、その小埜先輩追いかけて…」

「朔のこと巡って、小埜先輩と祐介先輩がバチバチ…とか。見たかったなぁ、すっごい萌えるシチュなんですけど」

朝の出来事を聞かせた二人の反応はまちまちだった。

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