凛と歩いて(出会い篇)

ゆーゆー

序章 始まりの朝。

「フッ、ハッ!」

 凛は飛びのくと、呼吸を一つ整えて刀の位置を戻した。相手の長剣の一太刀は凜が間合いに侵入すると同時に、額と脳に届こうとしていた。


 逃れ損ねた前髪が数本、首の代わりに地面に落ちた格好だ。


「よくぞ、躱した」

 男はそう言って長剣を構え直す。夕日のように、あるいは鮮血にも似た男の紅い髪が目に入る。そこから発せられる気は、獄炎の熱を内に秘めた氷の刃のようでもあった。


 凛は、男の言葉から感じる闘気に目を獰猛に輝かせ、犬歯を大きくむき出しにする。

「安心した。女だからと言って、手を抜くような不能野郎じゃないこと『だけ』はわかったよ」

 

 背中にチリチリとした痒みにも似た感覚が走る。それと同時に笑みがこぼれてくる。 

 ―――――本能が告げている証拠だ。

ここが貴重な貴重な「死線」である、ということを身体が喜んでいるのだ。


 ゆらっ、っと動き、刀を下段に構える。小麦にも似た金色の彼女の髪が風になびいた。

「魅せてくんなよ、もっとさ」


 嬉しくて、仕方ない。


 凛のその青い瞳が一層深くなるのを感じ取ったのか、赤髪の男は薄く、笑っていた。一緒であった。この男も「死線」を感じているのだろう。それを知っているモノの笑みであることが凜には分かった。


 次の瞬間、凛の気配は空気と溶け合った。

 動きの起こり、初動を察せない、縮地と呼ばれる身体の動かし方だ―――――。

 迷うことなく、もう一度男の間合いの中へ。


 男はその微笑をほんの少しだけ大きくして、先ほどと同じく長剣を閃かせる。

 その迅さは刃圏の到達と同時にやってくるのではない。踏み込んだ瞬間に刃が寸分狂いなく腹を裂く、相手の動きを読んだ先にある剣線だ。

 凜はそのギリギリ一重で腰を引く。初動を捉えさせなかった分、男の読みをわずかにだけ外させた。獄炎の刃が上着を裂きながら通り過ぎる。


 そのまま半歩、さらに死線の中へ。


 直ぐに返しの太刀が閃いてくる。戻りの速さも長剣とは思ない。いや小太刀とてこれ程の速度で扱える達人はおるまい。とんでも無い速さだ。

 内側に入った分、なんとか躱せるが、余力などはない。刃が四方から、時に予想外のところから、まるで生き物のように次々と自分を狙ってくる。躱すことが精いっぱいで、思ったように姿勢が制御できない。


 ひゅうっっという刃の音が肌のスレスレを振動させ、服や髪の端がその鋭利さを伝えてくる。

 その度に背中を小さな虫たちにかじられるような痛痒い感覚は強くなり、欲情にもにた歓喜に包まれる。


 その中でジリっと、わずかずつ、相手に近づいていく。

 ギリギリで避け続けた先にある、自分の刀の間合い。頬の皮を薄く裂きながら凜は刀を走らせた。


 ―――――届く。


 動作は最小にて、最速。静中に一瞬の揺らぎ。凛の切っ先が男の首に触れる。

 ‥‥‥が。


―――――避けた!


確実に首を撥ねられる間であったハズ。それをこの赤髪の男は外した。

驚きは歓喜に代わり、同時に自分の命が晒されていることへ肌が粟立つ。

 

まだ、姿勢が戻らない男へ次の太刀を閃かせるが、男はこれも外すと、負けじと再び刃をこちらに寄こす。

 

 恐らく、刹那の瞬間だろう。

 その間に無数の刃が飛び交い、死線を紙一枚で避け、交互に相手の命に迫っていく。


 さらけ出された命が生と死を求めて交互に絡み合う刻(とき)。

 その男女の本能的な契りを彷彿とさせる快楽に、凜は身をゆだねる。おそらく男もだろう。

 お互いをむさぼり合うように刃が閃き合う中、少しずつ踏み込んだ分だけ凜の刀が閃く数が増えてきた。それは、お互いの刀の特徴ともいえたし、そのまま死線ともいえる。

 

 男の刃を躱しざま、凜は刀を横に凪ぐ。男が距離をとり、間合いを外すには深かろう。

 刀から伝わる衣服を裂いていく感覚。次の瞬間には必ず彼の身体を引き裂き、臓物を地面にゆっくりとまき散らすだろう。


「————―ッ!!」


 しかし、予測が現実と一緒になる一瞬前。ジっと痺れが左手の小指を中心として凜の手のひらに走った。


 男の蹴りが凜の刀の束と小指を射抜いていた。この達人は凜の刃に間に合わないと知り、長剣を振り抜きながら、自ら手放していたのだ。その分、体(たい)の戻りが速くなり、凛の刃を弾く結果となった。

 

 男の手放した刀と、弾かれた凜の刀が、それぞれが反対方向に二間(おおよそ1.8m)程先に転がっていた。


 お互いにお互いの刀にすぐさま飛びつき、もう一度相対する。

 男の焔のような瞳と、凛の全てを氷つかせる瞳が交じり合う。


 昂ぶり、うずく心が求めている。命を。生き死にのやり取りを。

 それが、言葉となる。最高の賛辞として。このようなことを戦いの最中に口にしたのは初めてのことだった。

「…アンタ、最高だね。男ってのは自分だけが気持ちよくなってすぐ終わるもんだと思っていたよ」


 そう、ここまでこれたことは初めてだ。この男なら、この命に届かせることができるかもしれない。


「そりゃあ、いい男に会ってこなかった証拠だ」


 男が笑い、刀を軽く振る。心地のよい樋鳴り(刀を振った時の音)が耳をついた。


「死ぬのは初めてだろう?てめぇのようないい女の命を頂けるとは、今日はいい日だ」


 その言葉に、凜はもう一度犬歯がむき出しになるのを感じる。卑猥な言い回しも、決して間違いではない。剣戟の間に味わえる生死の絡み合いは、間違いなく情欲のソレよりも上なのだから。


「全く、男ってのは初めてが大好きな生き物だ。大歓迎さ、その長剣で奪っておくれよ」


 ――――まだまだまだまだ、味わえる――――


 そう思うと顔面に歓喜と呼べる痺れが走る。涎が垂れてきそうなほど。まるで犬畜生が餌を前にしたようにだ。


 お互いの目の前にいるのは、お互いの命を晒し合い、貪り合える最高の存在。

 獰猛な抑えがたい、たぎり。


 おそらく、この一瞬後にはどちらかが鴉の餌となり、なんの意味も無く屍を晒すのだろう。それも含めて、「最高」だった。


「忘れられないよう名を、聞こう。俺は――――――」

 男が口を開く。


―――――――男の名は――――――‥‥‥


 それと同時に世界が黒い大穴に吸い込まれていく。次の瞬間、凜はこれが何の現象か冷静に理解した。


 うっすらと朝日が瞼の上から入ってくる。小鳥のさえずりが耳に届き、朝露に濡れた草花の匂いが鼻腔をついた。それらの空気を感じる肌。それとなく見つめる手のひら。野宿の朝の感覚。それら全てが自分を「今」へと引き戻したのだった。

 

「凛、遅いじゃねぇか」

 旅の相棒である紅い髪の男が長剣を手に声を掛けてきた。

 最後に火の番を変わったのは一刻(おおよそ二時間)程前のことだった。


「アル、あんたも気が利かないね」


 相棒の名前を呼び、欠伸をする。アルは眉をしかめる。

「寝起きに紅茶でも用意しろっていうのか?執事になったつもりはないぜ」 

 アルが用意した、昨日燻したウサギの肉と野草のスープが目に入る。

 旅の中ではこれも中々上等だ。


「もう少しで、イケそうだったのよ」

 昨日まで元気に森の中を飛んでいたウサギのなれの果て見てからアルにそう言葉を投げた。


 最高の命のやり取り。その結末そっと思い浮かべて、凜は笑ったのだった――――――。


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凛と歩いて(出会い篇) ゆーゆー @miniyu-yu-

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