第2話

夜。私はいつも通り、澪の定期配信を見ていた。相変わらず、チャットは流れるように現れては消えてゆく。

「今日の人、もしかして本人じゃないよね?」

私は注意深くトークを聞く。声はちょっと違うように聞こえる。相変わらず私はチャットは打てず、スタンプを打つくらいだ。チャットで聞いてしまえばいい。そう思うけど、やっぱりそれはあまりよくないという気持ちの方が勝った。


そして、結局最後までパンケーキの話題はでなかった。


「はぁ。」

私はベッドに横になり左手を天井に向かってかざし、手を開く。

「澪と澪さんは別人だったのかな。」

こういう時、配信で「実は本人だった」というような事実が明らかになるものではないかと、儚い夢を考える。それは漫画だけの話なのだろうか?


ピロン。


LIMEライムの通知音。私は枕元に置いたスマホを手に取る。


『こんばんは。今日は本当にごめんね。あれから体は大丈夫?』


澪さんからだった。

『こんばんは。平気です。こちらこそごめんなさい。』

この時、私はいつもの癖で澪のLIMEスタンプの「大丈夫です」も一緒に添付した。

『もし何か体調の変化があったら教えてね。それと、明日は何か予定ある?』

LIMEスタンプに反応はなかった。明日は日曜日。もちろん予定などない。

『予定はありません。』

改めて文字にするとちょっとメンタルにくる。

『都合がよければ明日11時に駅前広場で待ち合せない?』

『分かりました。大丈夫です。』

『ちょっとPCショップに用事があるんだけど、陽菜乃ひなのちゃんはPC詳しい?』

『多少は詳しいと思っています。何か買うんですか?』

『ちょっとゲーミングキーボードを買い足したくて。どれがいいか一緒に見てほしいな。』

『任せてください。』

『心強いね。お姉さんはとても助かるよ。』

『明日は私がご飯をごちそうしますね。』

『こらこら。大人に遠慮する子供は関心しないな。』

『どういう理屈ですか?』

『お姉さんはね、大人のプライドがあるのさ。』

文字だけど、きっとまた貴族風な口調なのだろう。顔まで思い浮かぶ。

『ゲーミングキーボード、結構高いですよ?』

『平気だって。お姉さんは30万円以内で予算を組んでるから。』

……。大人の財力ってすごいな。驚いてしまう。

『30万円もするキーボードは聞いたことがないですね。』

『ふふふ。それくらい、とても良いキーボードを探しているんだよ。』

『澪さん、結構お金持ちな人ですか?』

『お金持ちの基準は分からないけど、まぁ、人並みにはあると思うけど?』

キーボードに30万円の予算を組むのって人並みじゃないような。

『とりあえず、明日ね!おやすみなさい!』

澪さんから一方的に会話を終えられ、私も「おやすみなさい」と返しスマホを枕元に戻す。

「夢を与える仕事……か。」

夢を与える。そう聞くと、真っ先に配信が頭をよぎる。もしかして、視聴者からの収益で暮らしているのだろうか?

どうしても澪さんが澪であるかのような思い込みに陥ろうとしている自分に気付き、考えることを辞め、明日に備えることにした。




翌朝、10時25分。約束の時間まで35分もある。それなのにだ。

「澪さん!?」

「あ、おはよう陽菜乃ちゃん。」

ひらひらと手を軽く振る。

「え?何時に来てたんですか?」

「う~ん、じゅう……、コホン、今来たところだよ。」

……デートか。

「ちょっと陽菜乃ちゃん、そんな可哀想な人を見る目で私を見ないでくれたまえよ。」

「で、何時に来たんですか?」

ため息混じりにもう一度確認する。

「えっと、10時。」

「25分も待たせてごめんなさい。」

「謝らないでよ!私が勝手に早く来ただけだから!」

「澪さんっていつも約束の1時間前行動をしているんですか?」

「……陽菜乃ちゃんだからだよ。」

「え?」

「ううん、何でもない。約束よりも早く来るのは常識でしょ?それより、早速だけどショップに行こっか。」

「はい。ゲーミングキーボードですよね。どういうゲームで使うんですか?」

ゲーミングキーボードはその名の通り、ゲームに特化したキーボードだ。主にアクションゲームで多様される。

「陽菜乃ちゃんはFPSエフピーエスって知ってる?」

「はい。自分視点で敵を重火器で倒して優勝を目指すやつですよね?」

「そう。ちょっとはじめて見ようかなって思って。」

「澪さんはゲームやらなそうな勝手なイメージを持ってました。」

「その通り、あまりゲームはやらないんだ。でも、ちょっと新しい事を始めてみるのもいいかなって思ってね。」

「FPSと言ってもたくさんありますけど、なんというゲームですか?」

「アックスっていうゲーム。」

アックスは世界で一番プレイされているFPSゲームだ。恐らく誰に聞いてもPCゲームでFPSと言ったら最初にこのタイトルが出てくるくらい有名で、全世界で大会まで開かれている程だ。

「澪さん、できます?敷居が高いゲームですけど?」

「え?そうなの?」

「はい。有名でプレイ人工も多いので、上手い人がそれはもう小石ほどいますよ?」

「小石って。」

苦笑いする澪さん。

「陽菜乃ちゃんってもしかしてプレイしてたりするの?」

「いえ。私はやってないです。」

「これを機にお姉さんとはじめてみないかい?」

「そういう時期もあって色々調べてみたんですけど、生憎あいにく私のPCはゲームができるほどのスペックではなかったので。」

「せっかく付き合ってもらったから、ゲーミングPC買ってあげようか?」

「いやいやいや!いくらすると思ってるんですか!悪いですよ!」

ゲーミングPCは一番安いモデルでも20万円は軽く超える。

「澪さんの金銭感覚、すごいですね?」

「すごいって何よ?」

「昨日今日知り合った人に20万円以上のパソコンを買うって正直普通じゃないですよ。」

「陽菜乃ちゃん、”普通”ってなんだろうね?」

ふと澪さんの表情に陰りが見えた気がした。でも、すぐにいつもの表情に戻る。

「お姉さんは今日は何でも買える魔法のカードを持っているから平気だよ。」

「平気だよじゃありませんよ。お気持ちだけ受け取っておきます。」

「大人に甘えない子供だね、陽菜乃ちゃんは。」

「いや、これで甘えて買ってもらうほうがちょっとやばいですって!」

そんなやり取りの後、目的のPCショップに到着した。


「おお!」


澪さんの瞳が輝いている。

「あ~、このモニター、球面で60型っていうのが本当にいいんだよね!」

「見る人を囲むようにカーブを描いてますね。」

「これがね、結構見やすいんだよ。」

「もしかして普段使っているんですか?」

「うん。私のは40型だけどね。」

私は60型のモニターの値札を見る。

「……28万円くらいしますけど、40型っていくらしたんですか?」

「18万円くらいかな。」

「高級品ですね。」

「陽菜乃ちゃんも、大人になったらきっと即買いできる値段に見えてくるよ。」

「そういうものですか?」

「そういうものなんだよ。それが大人さ。」

無駄にドヤ顔をする澪さんは、本当に自慢げだ。

「それじゃ、キーボード売り場に行こうか。」

澪さんは満足したようで、そのまま売り場へと向かう。


「たくさんあるわね。」

このお店はラインナップが結構多い。今はネットショップで買うのが一般的になってきているけど、こう直接お店で選んで買う楽しさを味わうのも時には欲しくなる。

「陽菜乃ちゃん、良さそうなのある?」

「う~んと……。」

私がおすすめしたいゲーミングキーボードを探す。

「これです。」

アックスに一番最適と言われているゲーミングキーボード。これは去年の冬くらいに発売されたモデルだけど、実はこれが評判がすごくいい。新型よりも優秀な旧型と言われている。

「おお!それならこれにしよっと!」

嬉しそうに商品を手に取って会計に向かおうとする。

「澪さん!」

「ん?何?」

「値段、大丈夫ですか?」

「おっと。」

値段も見ないで買おうとしていた澪さん。ある意味すごい。

「う~んと、59800円。楽勝だね。」

ピースを返す澪さん。

「澪さん、大人ですね。」

ついそんな言葉が出る。

「大人の女って、こんな感じなのだよ。」

キザなポーズを取る。

「澪さんって面白い人ですね。」

「そうかい?そう言ってもらえて光栄だよ。ちょっと待ってて。買ってくる。」

「はい。」

そういうと、嬉しそうにレジへと向かっていった。





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