XLI 前社長の孫

 原島が後藤専務の部屋をノックすると、先月まで社長の秘書だった中川千里という女性がドアーを開けてくれた。原島が千里と顔を合わすのは入社以来、5~6回くらいしかなかった。というのは原島は社長室に入ったことがなく、社長と一対一で話したこともなかった。何かの訓示があった時、他の社員と一緒に聞いていただけで、雲の上の存在に感じていた。千里自身にも何となく人を寄せ付けない雰囲気を漂わせていて、千里にも社長と同じように、近づいてはいけないもののように思っていた。


 原島がソファーに腰を下ろすと「君も一緒に聞いて下さい」と後藤が言って、出て行こうとした千里を部屋に留めた。


 これは一体どういうことだろう。何となくだが後藤が次の社長に決まったのかな、と思った。それよりもドテ焼きの専門店チエーンの構想を聞いてもらわなくてはならない。

 千里の目が気になってちょっと言いにくかったが思い切って、

「昨日ドテ焼きを食べました。それがとても美味しくて、ドテ焼きの専門店チエーンを作ればきっと流行ると思います」と言ってみた。すると後藤は、


「君はどこでドテ焼きを食べたのですか」

「大坂の串カツの店です」


「つまり大衆居酒屋ですね」

「そうです」


「居酒屋はどこにでもありますよ。うちがドテ焼きの専門店を作っても、他の居酒屋がドテ焼きをメニューに加えたら、ドテ焼きはうちだけのものではなくなりますね」

「はい、そうですね」


「お客さんはドテ焼きしか食べないのですか、他にもいろいろな肴があって、酒が旨ければ、そっちへ行くと思いませんか」


「はあ、そうですね」

「どて焼きは酒の肴だから美味しいのですよ、僕は酒を飲まずにドテ焼きを食べたら、一皿で飽きますね」


「うちも酒を出せばいいと思いますが」

「それはうちが居酒屋チェーンをつくるということですか、今は日本中どこへ行っても、居酒屋のフランチャイズ店があって、過当競争の時代です。今さらそんな店を作っても、採算は合わないと思います」

「はあ、そうですね」


「それにねドテ焼きはカロリーが高いでしょ、カロリーは女性の敵ですよ。うちは女性のお客さんで持ってる会社ですからね、高カロリーのものはやめた方がいいと思います」


 という訳で、原島が考えたドテ焼きチエーン構想は、あっさりと却下された。

「君はまだ疲れが抜けてないようですね、今日は僕に付き合いなさい」

「疲れを抜いてくれるのですか」

「そうです、あそこへ行けばきっと疲れは抜けると思います」


 原島は「後藤専務も好きなんだな」と思ったが、役員車には秘書の千里も乗ってきた。後藤が言うあそことは一体どこだろうと、思っていたら千里は運転手に「並木通リ店にお願いします」といい、車は走りだした。大手町の保科研究社から並木通リ店まではものの5分もかからない。あっという間に車はhoshina 並木通リ店に到着した。 

 千里は運転手に「帰りはタクシーですので、会社に戻って下さい」と言い、車は帰っていった。


 後藤は「僕は暇が出来た時はこうして直営店を見て歩き、現場の空気を吸うと、疲れが吹っ飛んでしまうのです。君もそうでしょ」と言われたが、吹っ飛ぶどころか、

 一気に疲れが全身を駆け巡った。


 疲れの抜き方にもいろいろあるのだなと、思いなおし、一応店を見回していると店長の女性がやってきて、「この店には13号はないのですか?と聞かれることが増えました。どう答えたらいいでしょう」と言われ、後藤を見ると、後藤は「うちは7号と9号だけで勝負しています。11号でも大きいと思ってるくらいです。


 13号が欲しい人には『11号が着れるまで、ダイエットして下さい』と言って下さい」

 11号を欲しいと言った人には『9号が着れるまでダイエットして下さい』と言って下さい」と実に明快に答えた。まさか店長がお客さんにそんなことは言えないだろうが、後藤は続けて「うちは誰にでも着れる服を売っているのではありません。もし太った人がhoshinaの服を着ていたら、君はどう思いますか。もし僕が女ならhoshinaの服は絶対に買わないですね」と、気持ちいいほどきっぱりと言った。


 * 女性用の洋服のサイズは、7号は細身、9号は標準、11号はやや太め、13号は 

  太め、それ以上は極めて太め、となっている。


 つまり、保科研究社はターゲットを美意識の高い人に絞り込み、それ以外の人は相手にしないと明確に宣言しているのであった。


 こういう明確なポリシーを持った会社がドテ焼きの店など、天地がひっくり返ってもやる訳がない。原島は爽快な気分を味わった。


 hoshinaの店を出ると後藤は一階にある店の前で「ここには一年くらい前まで毛皮のコートを売る店があったんですよ。ところがうちが二階に店を出すのとほぼ同じころに閉店してしまってね、一度お邪魔して見せてもらおうと思ってたんですけどね。経営者の人は若い女性でした。今はどうしているのでしょうね」と懐かしそうに見ていた。その店には「クロディーヌ法律事務所」の看板が掛かっていた。


 三人は銀座並木通リを歩き、JR新橋駅の銀座口前にある「根室食堂」という居酒屋に入った。

 まだ明るい時間だったが根室食堂はほぼ満員であった。多分この店は北海道の根室から取れたての魚を直送してるのだろう。

 壁に貼られたメニューにはメンメセンとか、オヒョウとか北海シマエビなど、東京では聞いたことがない魚の名前が書かれていた。


 原島は港南中央物産時代、根室港からロシアに向けて、ミサイルの燃料の原料を漁船に積んで運んでいたころを思いだした。あの頃は漁船の船員と、ホッケを食いながら焼酎をよく飲んだものだ。そんな思い出にふけっていると、

 「原島さん、専務はもう帰ったわ、飲むのはこれからよ」と言われて気が付いた。いつの間にか回りは暗くなっていて、後藤もいなくなっていた。


 すると千里は「原島さんは結婚した事があるんですか」と聞いてきた「いいえ結婚はしたことがありません」と答えると「気を付けて下さいね。うちの会社には社員が500人以上いるのに、男子社員は5~60人しかいませんからね。あとは独身の女ばっかりです。専務も若い子に捕まってしまいました。だから歳の差が二十もあるんですよ」と、極秘中の極秘情報を教えてくれた。どうりで後藤はドテ焼きも食わないで、体形維持に頑張っているわけだ。


 だから女の子にも7号と、9号しか認めないのだろう。日本の会社は社長が一度決めたことは法則となって、例えそれが間違っていても、いつまでも変えられない国で、ニュートンだかピタゴラスだか忘れたが、世の中とは全て、一定の法則に従って動いていると言った説は、証明されたような気がした。


 原島はそこでどうして保科研究社という妙な名前になったのか聞いてみた。


「それはね、信濃の国の高井群保科村(現、長野県若穂保科)で薬草の研究をしていた中川という人が作った胃薬が明治政府に買い上げられて、頭痛薬の正露丸とともに出

 征兵士の携帯薬に指定された。その後、後のカネボウの創業家の一つの山本家と婚姻関係が生まれ、中川家はカネボウの一部となって、薬の研究をすることとなった。


 太平洋戦争後、綿糸業と製薬業はカネボウが引き継ぎ、中川家は発祥の地、保科の名と、薬草の研究をしていた創業者に敬意を表し、研究という名を合わせ、保科研究社という名で縫製業として戦後の混乱期を生き延びることとなった。やがて戦後の復興と共に会社は成長を続け、現在に至る」


「と言うことは千里さんは創業者の子孫なんですか」

「一応はそうですけど、株はほんの少ししか持っていませんので、一株主というだけです」

「社長は三田園さんですよね、中川家と関係があるのですか」


「三田園社長は山本家の流れをくむ人です。カネボウが倒産した時、カネボウ薬品の専務でしたが前社長の中川弥一に請われて保科研究社に入社しました。そのとき三田園と一緒に来たのが後藤専務です」


「じゃあ前社長の中川弥一さんと千里さんは関係あるのですね」

「弥一は私の祖父になります」


「弥一さんはお元気なんですか」

「昨年亡くなりました」


 千里は株はほんの少ししかもっていないと言ったが、保科研究社の株は上昇を続けている。それに亡くなった祖父は前社長だ。相当な株を持っているに違いない。

ひょっとしたらこれは、とんでもないことになるかも知れない………」

原島はドテ焼きなどはもう、どうでもよくなった。


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