XXXVI ジャネットジャクソンのトランク

「原島君、君と美紀子君たちのおかげで寺田は辞任しました。しかしそれで終わったわけじゃないですよ。分かってますね」

「はい承知しています」


 後藤が原島に望んだのは、いつまで経っても業績が上がらない第三事業部を、どうやって立て直すかであった。

 しかし「はい、承知しました」と言ってはみたものの、それが簡単にできるなら

 寺田を辞任に追い込むこともなかった。


 そもそも旧港南中央物産第三事業部が利益を出してたのは、松野と原島が化学薬品など、売ってはならない品を、密輸出という法に反する方法でロシアに売っていたせいで、まともな商売をしていた他の事業部はほとんど、利益を上げていなかった。


 寺田が失敗したのは、まともな品を、まともなルートで売ろうとしたせいであって、そんなまともな商売をする会社は何処にでもある。

 新参者の保科研究社がノコノコと出て行っても、相手にされるわけがない。


 そんな保科研究社だが、アパレル業界では名の知られた優良企業である。

 だが、保科研究社だけでなく、日本のアパレル産業は素材開発や、デザイン、縫製技術は高いとされているが、最終完成品の洋服の輸出は他の先進国に比べて、圧倒的に少ない。


 一方輸入の方は、有名ブランドは先進国からの輸入品で占められ、普及価格の洋服や肌着などの日常着は東南アジア勢に占められ、日本は輸入するばっかりで、輸出はゼロに近い。そんな中で100パーセント国産品のhoshinaは、貴重な存在であった。

 日本で高い人気を誇るhoshina の洋服が何故、国内でしか売られていないのだろう。多分、保科研究社は直営店だけの販売で十分利益を上げていたので、輸出は必要なかったのだろう。


 しかし、更に売り上げを伸ばすには、海外に打って出る以外に方法はない。

 だが海外、特に最も需要の多いアメリカで、hoshinaの洋服が売れるのだろうか。

 原島はフアッション業界には素人なので、過去の出来事を丹念に調べてみた。


 すると保科研究社の社報の中に、面白いことが書かれていた。

マイケル ジャクソンの妹のジャネット ジャクソンは、来日する度にhoshinaの直営店に来て、洋服を5個のトランクにギュウギュウと詰め込んで、帰国したという。ジャネットジャクソンが買うのなら、一般のアメリカの女性も買うに違いない。


 原島は早速後藤に「アメリカに直営店を設けてはいかがでしょう」と、具申した。

 すると後藤に「直営店を一店作るのに、いくらかかると思ってるのですか。一店や二店作ったところで売り上げはたかが知れています。それにジャネットジャクソンみたいな人がアメリカ中にゴロゴロといるのですか」と、斬り返えされた。


 原島はまた考え直すこととなった。

 すると後藤は「アメリカに売るのは前から考えていたことです。直営店は無理ですが、代理店を通して沢山の店に置けば、利益は少なくなりますが数は売れると思います。君が代理店を探してくれるなら、考えてみます」と言って、原島が考えていた直営店は出来なかったが、輸出する道は開かれた。


 さて問題は、どうすればニューヨークに代理店を見つけることが出来るのか、に絞られた。そこで外務省北米局の伊地知を利用することにした。


「伊地知、お前には貸しがあったな、それを返してもらう時が来た、嫌とはいわせないぞ」

「お前に借りなんかないぞ」


「お前の家を爆破した犯人を捕まえたのはこの俺だぞ。忘れたのか」

「礼はしたはずだ」


「飯倉公館のランチは食ったけど、あれが礼とは呆れるな。本当の礼をしてもらうからな、よく聞け」

「なんだか知らんけど言ってみろ」


「駐米日本大使館の連中に言って、女物の洋服の代理店を探させろ」

「女物の洋服?お前一体何を考えてんだ。レインみたいなニューハーフになるつもりか」


「バカなことを言うな、俺は今ジャネットジャクソンが着てるhoshinaをアメリカに

 売る仕事をしてるんだ。日本のためにもなるだろ」

「hoshinaはうちの貴美子も着てるから知ってるけど、お前がhoshinaにいたとは

 知らなかったな。未だ土方をやってると思ってたぞ」


「おい、土方は差別用語だぞ。今は『汗を流して一所懸命に仕事をする人』ということになってる。気をつけろ」

「へえー知らなかったな。まぁいいだろ、今回だけは聞いてやるわ」


 ◇◇◇


 駐米日本大使館の暇な連中は伊地知の言うことを聞き、あるブティックを見つけてきた。

 それはブルックリンの「クロスマギー」という店で、代表はマーガレット・クロスといい、オートクチュールが専門であったが、オートクチュールは富裕層の人に限られ、一般の人には手が出ない高価なものであった。


 そこでマーガレットは一般の女性でも買える「ヤングクロスマギー」というブランドを立ち上げて、ニューヨークに20店の直販店を開設した。

 しかし、一般の女性向けの洋服は通販で買う人が多く、クロスマギー社は苦戦していた。また通販で売られている洋服は中国とベトナム製が多く、特に中国からの輸入品はデザインの盗用がしばしば問題となっていて、ヤングクロスマギーの製品も中国製と誤解される心配があった。


 それでデザインがよく、品質に優れ、信頼できる日本製のhoshinaはクロスマギー社にとっても、魅力のある商品であった。

 保科研究社とクロスマギー社は協議の結果、hoshina cross というコラボ商品を発売することとなった。

 hoshina cross は日本語では「星の十字架」とも読めるので、日米の直販店ではhoshina cross の発売記念として、スワロフスキーの十字架のペンダントを先着千名にプレゼントする企画を打ち出した。


 アメリカでは十文字は白鳥が翼を広げた形に似てることから、ノーザンクロス(白鳥座)とも呼ばれている。

 それで、hoshina crossのマークは夜空に輝く白鳥座をモチーフとしたものとなった。 一か月後、ニューヨークのクロスマギー社に、ノーザンクロスのマークが付いた洋服が到着した。

 妊娠してオートクチュールのモデルから、クロスマギー社の事務員となったジョージィは、インボイスの中に「S harashima」 のサインがあるのに気が付いた。








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