XXXIV ビリケンさんの足の裏 

 セレクトショップ クロディーヌは、わずか半年であっさりと消滅した。

 奈津美は店を失い、信用を失い、希望も失った

 失意のどん底にいた奈津美に唯一希望を与えてくれたのは、通天閣が見える大阪の新世界という街で出会った串カツ屋のおばちゃんと、おじちゃんの優しさだった。


 奈津美は頼れる人もいない東京に分れを告げて、大阪の新世界を目指して再び列車に乗った。

「おばちゃん、おじちゃん、奈津美です。また来てしまいました」

「あんたうちのこと忘れんと、よう来てくれはったな。おおきに」


「お礼を言うのは私の方です。この前は本当にお世話になりました」


「元気になってよかったな。あんときはほんまに死んでまうのかと思うたな、

そうや、あんたビリケンさんにはまだ会うとらんやろ。今から行かへんか。うちらも一緒に行くよって」

 ビリケンさんというのは通天閣の展望台にある石膏像で、前に突き出した足の裏を撫ぜると幸運が訪れる、といわれている。

 通天閣に昇る人はほぼ全員がビリケンさんの足の裏を撫ぜるので、足の裏には窪みが出来てしまい、その度に作り直されて、現在のビリケンさんは三代目である。


 おじちゃんとおばちゃんは「どうぞこの子に幸運を与えて下さい。よろしゅう頼んまっせ」と、奈津美のために何回も何回も指が痛くなるくらいリケンさんの足の裏を撫でてくれた。

 やっぱり二人は本当に人情味あふれる優しい人だった。二人のおかげで生きる希望が湧いてきた。おじちゃんとおばちゃんがいるこの街に住み、もう一度やり直そうと決意した。


 をして通天閣から少し南に下った帝塚山というところに部屋を借り、就職活動を開始した。何社かに履歴書を送り、面接を受けた。するとビリケンさんの足の裏が幸運をもたらしてくれた。

 絶対に無理だと思っていた「阪神大正輸送機工業」という会社から採用の知らせが届いたのだ。

 阪神大正輸送機工業という会社は梅田の御堂筋に本社があり、生駒工場では特殊自動車、摂津工場では鉄道車両、神戸工場ではボーイング社と、エアバス社に翼を納入する輸送機関連のメーカーで、1万人近い社員がいる大企業であった。


 奈津美は生駒にある特殊自動車工場に配属された。この工場では警察向けのタイプA、自衛隊向けのタイプB、海外向けのタイプCという三種類の装甲車が製造されていた。その中でも海外向けのタイプCは、鉄板の厚さが一センチ以上あって、キャタビラーをタイヤに置き換えただけの戦車といってもいいような代物であった。

 ただ武器輸出三原則に抵触しないように、機関銃は輸入した国が取り付けることになっていた。


 奈津美に与えられた仕事は完成したタイプCの検査係であった。

 完成した車両は検査合格後、検査責任者が運転席の前にVIN(ベーシカル アイデンティティフイッケーション ナンバー)が記入されたアルミのシールをリベット止めして完了となる。

 一般の人にはVINの意味は分からないと思うが、奈津美はこの車が中東のあの国

 向けであることが分かった。あの国とはギャルソンクラブのレインさんと、レインさんの彼氏のハッサム皇太子の国である。


 レインさんはクロディーヌのオープンの日に、真っ先に来てくれて、黒貂の毛皮のコートを二着買ってくれた、クロディーヌで一番のお得意様であった。

 あの国では反政府勢力にロシアが武器を無償で援助していて、政府軍は劣勢に立たされていた。「どうぞこの車がロシアのミサイルに撃たれないように」と祈った。


 一年後、奈津美は本社の調査管理課に配転となった。

 しかし、奈津美がする仕事は何もなかった。ただ窓際の席に座り、目の前にいる

 山岸という課長の顔を見ているだけであった。


 山岸は奈津美以上に仕事がなく、一日中ただ新聞を読んで過ごしていた。

 配転になった翌日、新聞を読んでいる時に話しかけるのは悪いと思い、目の前にいる山岸にメールを送った。

 するとすぐに返信が来て、「おかげで決心が付きました」と書かれていた。その後山岸は退職願いを提出し、調査管理課は奈津美一人となった。メールを送る相手もいなくなり、奈津美は本当にやることが無くなってしまった。


 すると山岸がいなくなった後、奈津美は専務の及川から「君なら山岸君を追い出してくれると思ったので調査管理課を作り、山岸君と君を配属しました。君は私が望んだ通リの仕事をしてくれました。明日から君は人事課に行ってもらいます。頑張って下さい」と言い、その場で総務部人事課主任に任命された。


 調査管理課とは山岸の首を上手に切るために作られた、たった二日だけ存在した課であった。奈津美と山岸のメールにはなんと書かれていたのか。


 *これより先は 第Ⅰ話と、第Ⅱ話に戻ることとする。

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