XXXIII 気が付けば通天閣
奈津美はロマンス詐欺の首謀者となってしまい、夜も眠れないほど悩む日が続いた。この日奈津は医師から処方された薬を飲んで、銀座行きの電車に乗った。だが電車は奈津美がいつも乗る電車とは違う方向に向かっていた。ホームに滑り込んで来た列車に乗り換えて、ぼんやりと車窓を流れる景色をみているうちに、列車はいつの間にか終着駅に着いていた。
初めて降りた駅なので、右も左も分からないまま、人の流れに逆らわずに歩いて行くと、地下鉄に乗っていた。
「姉ちゃん、どないしはったん。死にそうな顔をしとるで」と、串カツの店の前で、おばちゃんに声を掛けられた。
目の前には写真で見たことがある通天閣が立っていた。
どうやらここは大阪のようだ。
「お父ちゃん、この子な死にそうやさかい、二階に寝せとくな、触ったらあかんで」
と、おばちゃんが言ったような気がした。
何時間寝たのだろうか。目が覚めたら下の串カツ屋からいい匂いがしてきた。
そこでようやく一週間の出来事がよみがえってきた。
築地署で事情聴取を受けたあと、弁護士を交えて山田華子さんと交渉した結果、山田さんは告訴を取り下げてくれた。おかげで事件にならずに済んだ。
だが責任の重さに耐えかねて、やや多めに薬を飲んだ。そして気が付けば列車に乗っていた。着いたところが通天閣が見える、大阪の新世界という街だった
そして親切なおばちゃんに助けられ、串カツ屋の二階で目が覚めた。
一階に下りてみると、おばちゃんとおじちゃんが、串カツを揚げていた。
「良かったな、あんたほんまに死んでまうかと思おたわ」
「ありがとうございます。いろいろとご迷惑をおかけしました」
「そんなことあれへんで。普通のことをしただけや、それよっかあんた、腹減っとるやろこれを食いなよ」と、揚げたての串カツを出してくれた。
熱々の串カツは涙が出るほど美味しかった。
「あんたどこから来はったんや、待ってる人がいてるんとちゃうか」
おばちゃんに言われて気が付いた。自分には待っている人もいないし、もう帰るところもない。
例え帰るところが残されていたとしても、自分の住むアパートも、あの店の後片づけも未だしていない。
「せめて最後はきれいに片づけて、綺麗にしてどこかへ行きたい」と、思った。
「あんたな、帰るところがあれへんのやったら、ここにおってもええんやで。うちはお父ちゃんと二人だけやさかい、部屋は余っとるで」
「ありがとうございます。東京に残してきたものがありますので、処理が済んだらお礼にまいります」
「礼なんていれへんけど、落ち着いたらまたおいでよ。待ってるな」
奈津美は東京に戻り身の回りを綺麗にして、住むとしたらこの親切なおばちゃんと、おじちゃんがいる大阪にしようと心に決めた。
◇◇◇
東京に戻ってみると、三田のアパートの管理人に「昨日、警察の人が来て、段ボールをいっぱい置いてったけど、置くところが無くて困ってたとこだ。早く何とかしてくれないかな」と言われた。
見るとアパーとの廊下の壁際に、築地署に押収されていたものが積まれていた。
気を取り直し段ボール開けて見ると、何も調べた様子もなく、持って行った時のまま全部入っていた。一体何を調べるために持って行ったのだろう。
トイレットペーパーが出てきたので管理人に「これ使いますか?」と聞いたら「使ってやるから置いとけよ」と素気なく言われた。
次の箱を開くとバー クロディーヌの時代からあった、高級ブランデーの瓶と、元ボンドガールのクロディーヌ・オージェの写真とサインが入っていた。
写真とサインはバークロディーヌの元ママの黒田さんに返すことにして、ブランデーを「これ要りますか?」と聞くと管理人は「段ボールは全部俺が処分するからこのまま置いといてくれ」と言い、廊下に置いてあった段ボールは全部、管理人の部屋に入れることとなった。
「次の段ボールを開くと帳簿類が出てきた。奈津美にとってこれが一番大事な物だった。ページを開いてみると、開店の日から築地署に連行されるまでの売り上げと、仕入れが記録されていた。仕入れ先は松野商事となっていて、全て現金で支払っていた。松野が仕入れたのはロシアのどこかだが、それは奈津美とは関係がない。だが密輸で逮捕された松野は今、これを調べられているのだろう。
あの金は本当にロシアの誰かに支払われたのだろうか。もし支払われていないとしたら、あの金は何処にあるのだろう。
だが松野のことよりも自分の方がもっと心配だ。次の段ボールには顧客名簿とローンの契約書が入っていた。
ローンの契約者は約50人いて、山田華子さんは契約を解除したが、残った約五十人の契約は成立していて、ローン会社からはすでに約一億円がクロディーヌの口座に入金されていた。
松野商事に支払った額を差し引いても残高は、五千万円以上あった。
だがこの金はもし、ローン契約をした人が「ロマンス詐欺に合いました」と訴え出れば、たちまち契約は無効となり、ローン会社から入金された金は返金しなければならない。もし五十人の契約が解約となったとすれば、ローン会社には振り込まれた一億円を全部返金することになって、約五千万円もの大金が不足となる。
そうなったらもう身の破滅である。
気を取り直し、クロディーヌに行ってみた。当然ながらシャッターは下りていた。
ガラガラとシャッターを持ち上げて、ガラスのドアーを開くと、蜘蛛の巣が張っていた。わずか一週間閉めただけで廃墟にいるように感じた
だがこれは現実なのだ。「しっかり見て心に焼き付けろ」と、言われているような気がした。
気持ちを落ち着かせ、店舗の賃貸解約の解約のため、丸源ビルの本社に行った。
すると営業担当者から「あの店舗は借りてが決まり、改装はせずそのままで、来月から営業が始まります」と言われた。
いつまでも借りてが決まらずに、空き家のままだったらどうしよう、と思っていたところだったので、ホッとした。
次に登記所に行き、会社の清算の手続きをした。
こうして株式会社クロディーヌは完全に消滅した。
しかし、会社法508条で「廃業した会社はその後10年間、帳簿を保存しなければならない」と、決められている。
奈津美はたった六か月で終わったクロディーヌの書類というツケを今後10年間、背負い続けることとなった。
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