XXXII 救いを求める列車

「奈津美君、大丈夫か。無理はするなよ」

「大丈夫です。なんとかなります」


 松野が心配する通リ、奈津美はクロディーヌの開店以来、販売も経理もたった一人でこなしていた。

「だけどこんなに忙しいのだから、早く誰かを採用しないと君が倒れてしまうよ」

「求人広告はずっとやってるんですけどね。中々いい人がいないんです。求人誌以外の方法も考えてたところです」


 それから数日経って「求人誌を見てきました」と、一人の男性が訪ねてきた。

 その人は進藤真一といい、銀馬車というバーの支配人であった。


 銀馬車の支配人となる前は、銀座のエルシドというバーでバーテンダーとしてスタートした後、手腕を買われて銀馬車の支配人となった。


 銀馬車は並木通リではクロディーヌと並ぶ高級バーだったが、クロディーヌの閉店と相前後して閉店した。


 進藤は「銀座のバーで得た人脈を生かし、販売に当たりたいと思います」と抱負を語った。何よりも、銀座の高級バーのホステスと、バックにいるパトロンの存在を知り尽くした進藤は、高価な品を売るクロディーヌにとって、適任であるかのように思えた。


 奈津美が松野に相談すると「写真で見た限りだが、女に好かれそうな顔付きをしてるな。下手をすると、お前も店も一緒に取られそうだな」と言って、ニヤッと笑った。


「松野さんは私がこの人に騙されると思っているのですか」

「そお向きになるな。ただこの男を使うからには、女で問題を起こさないように注意すれよ」


「はい、分かりました」

「それとな、給料はどうする気だ」


「港南中央物産の給与システムを参考にしたいと思います」

「ということは、月給と年二回の賞与だな」


「はい、実績を見て賞与を決めたいと思います」

「じゃあ、あとは任すから、がんばれよ」


 クロディーヌの社員となった進藤は、奈津美が期待した以上の働きをした。

 進藤は銀座のホステスに接触し「これが欲しいわ」と言わせるだけで、後はホステスのバックにいるパトロンが何も言わず、ポンと金を出してくれた。

 買った品が使われようが、使われまいが一切関係ない。あとは女とパトロンの関係が決めることである。


 松野が言った「女に好まれそうな顔」を持った進藤は、何をやってもあと腐れを起こさない。女を手玉にとる先天的な才能を持っていた。


 進藤が入社した翌週、クロディーヌの上の階に、hoshinaの直営店がオープンした。hoshinaは一般の女性向きのブティックなので、客層は若い人が多かった。

 毎日次から次と、若い女性がクロディーヌの前を通リ、hoshinaに吸い込まれて行った。


 普通ならhosina で買い物をして、クロディーヌに立ち寄ることはない。

 だが、進藤はそんな女性たちを黙って帰したりはしない。

 彼女たちを巧みな話術で誘い込み、元は高級バーであったクロディーヌの豪華なソフアーに並んで座り、耳元で何かささやいて一時間も経てば、女性は毛皮のコートとか、ダイヤのリングなど、高価な品の長期ローンの契約書にサインをしていた。


 半年が過ぎ、冬のボーナスを支給することになった。この年東証一部上場企業の平均は前年を2.7パーセント上回る97万3千円であった。


 奈津美は自身は来年三月の決算を見てから貰うこととして、進藤には東証一部上場企業の平均の1.5倍支給することにした。

 進藤は満足して、年末の繫忙期には一段と売り上げはアップした。この売り上げが今後も続けば来年のボーナスは多分、夏が平均の1.5倍、冬は2倍以上が予想された。


 ところが年が明け、めでたいはずの正月七日、クロディーヌに刑事がゾロゾロと十人以上でやってきて、捜査令状を突き付けると、書類からトイレットペーパーまで段ボールに詰め込んだ。


「えっ? 一体のことですか」と驚く奈津美に刑事は「山田華子さんから、被害届が出ています。詳しくは署で聞かせてもらいます」と言って築地署に連行された。


「あなたはクロディーヌの代表ですね」

「はいそうです」


「進藤真一さんはあなたの会社の社員ですね」

「はいそうです」


「進藤さんは今どこにいますか」

「休暇を取ってますので、海外にいると思います」


「世間ではどこの会社でも三日から仕事をしてますよ。七日になっても未だ海外旅行とは豪勢ですね。一体何人騙したんですか」


「騙したって一体何のことですか」

「あなたは今どうしてここにいるのか、分かってないようですね。山田華子さんから

 ロマンス詐欺の被害届が出ています。進藤真一が実行犯で、篠原奈津美さん、あなたは詐欺教唆で取り調べられてるんですよ」


「詐欺ですか……」と、奈津美は声も出なかった。

「奈津美さん分かってないようなので、簡単に説明します。よく聞いて下さい」


 ロマンス詐欺とは相手に恋愛感情を抱かせて、嫌われたくないと思う気持ちを利用して、高額な商品を売り付けることをいう。昔はデート商法といったが基本的に同じもので、れっきとした犯罪である。ただ被害者は騙されている事に気づかないことが多いのと、あの人は悪い人ではないと思うことが多く、摘発されるのは氷山の一角である。今回は山田華子さんが被害届を出したことで、事件が明るみになった。


「私は送検されるのでしょうか」

「あなたは初犯ですので、有罪となっても執行は猶予されると思います。

 しかし前科は残ります。他に前科が付かない方法として、和解という方法もありますので考えて見て下さい」


 しかし、被害届を出さなかった人は50人以上いて、金額は軽く一億円を超えていた。奈津美はすんでの所で前科も付かず、一億円の負担を回避することが出来た。

 しかし、50人以上の人たちに大変な被害を与えることとなった。


 もう一つ、出資して取締り役になっている松野にも迷惑を掛けたと思っていたら、なんと、松野は密輸で逮捕され有罪となった。

松野は原島がやった密輸とは逆に、わざと北方四島で拿捕された漁船に毛皮のコートを積み込んで、税関の無い根室港に陸揚げしていた。


 これでうまくいったと思っていたら、漁船の船長が毛皮のコートを一着、抜き取って質屋に持って行った。質屋の親父は正直者で警察に届け出た。

 こうして松野は密輸で逮捕され、漁船の船長は置き引きと盗品売買の罪で逮捕され、裁判の結果、懲役一年、執行猶予三年の刑に処せられた。


 「クロディーヌの名前を汚すようなことは絶対に致しません」と誓った元ママの黒田さんにはひたすら謝るしかなかった。


 奈津美は重い足を引きずって、救いを求めて列車に乗った。

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