XIV  マサンハマとハッサムを支援せよ

 午前0時頃、ベセスダの街で火災が起きた。スコットが住むエリアとは10マイル以上離れているのと、民家一戸の火事なのでスコットは気にもせず、例によって

 雑誌「ハスラー]のグラビアをニタニタと眺めていた。


 それから10分くらい経った時「ジジーッ、ジジーッ」と電話が鳴った。

 この電話はずーっと昔からこの家に設置されていて、音も昔ふうの機械式のブザーに似た音であった。


 出てみると「ミチコです。さっきベセスダで火事がありましたね、そこも危なくなりました。そこにあるものは全部、引っ越し業者が取りに行きますのであなたは明日、何も持たずにニューヨークへ帰って下さい。

 あなたは明日からヴォルター・ハルシュタインから、スコット・シンプソンに戻ります。何か質問はありますか」と例によって、簡潔に言った。


 スコットは大学の勉強に必要な物以外、何も持っていないので「分かりました12時半のバスに乗ります」と答えると「ハスラーは持っていってもいいですよ、大事なんでしょ」と言われた。


 ちょっとHなハスラーを愛読していることをミチコにはしっかりと、把握されていたようだ。

 ベセスダにいるスコットにも火事が気が付かなかったのに、ミチコは一体どこで見ていたのだろう。

 10時頃、アメリカ最大手の引っ越し会社 Allied Van Lins という会社のトラックがやって来て、テレビと冷蔵庫を積んで行った。


 11時頃、不動産屋がやって来て「FOR SALE」と書いた看板を立てて帰っていった。


 ベセスダとニューヨークは車で約4時間くらいの距離で、12時半のバスに乗ったスコットは、その日の夕方には学校の寮に帰ることができた。

 ともかく六か月の予定が半分の三か月で済んだので、大学を休まずに済み、スコットにとってはありがたい火事であった。


 だが小さな民家の火事にミチコは「そこも危なくなりました」と言った。

 火事で燃えた家は誰かに放火されて、命を狙われたのだろうか。自分がいたあの家もきっと狙わていたのだろうか。だからミチコは「すぐニューヨークへ帰りなさい」と言ったのだろう。


 翌日ベセスダの地方紙に火事の記事が載っていた。

「昨夜0時ころベセスダ市の郊外で、爆発物によるとみられる火災があり、男性の焼死体が発見されました。身元は不明ですが、この家に一人で住んでいたヴォルター・ハルシュタインさん(25歳)が行方不明となっており、亡くなったのはヴォルター・ハルシュタインさんとみられます」


 翌日ベセスダ市でまた爆発物によるとみられる火災があり、一軒の民家が全壊し、約50メートル離れた隣の家も爆風によって窓ガラスが割れる被害に合った。火元の家は売りに出されていた空き家であった。

 窓ガラスが割れた家には若い夫婦が住んでいたが、COCOSというファミレスに食事に行っていて、難を逃れた。


 メリーランド州警察は空き家の所有者が故意に爆発させた保険金詐欺とみて、調査した。すると所有者は「ジョン・リー・ウィリアム」という中国系の人物であった。

 二日連続で起きた民家爆発事故を重く見た州警察は、ひそかにジョン・リー・ウイリアムの身辺調査を開始した。


 ◇◇◇


 ジョージィが原島に結婚の事実を打ち明けてから、一週間経った。


「ねえ愛子、スコットという人は何をしてる人なの」

「スコットは今は未だ学生よ、来年六月に卒業すると思うわ」。


「じゃあ君を探しに東京に来るとしても、それ以後だね。それまで九か月あるから焦らずに考えようよ」

「そうね、実は私も一週間考えていたことがあるのよ。聞いてくれる?」

「うん、聞かせてよ」


「父の菊池章一郎が大洋三星商事のニューヨーク支店長だったころ、大洋三星商事はココムに違反して、ロシアに人口衛星の打ち上げロケットの燃料に使われる可能性のある化学薬品を大量に輸出して、取り調べを受けたことがあったのよ。でも顧問契約をしていたニューヨークの弁護士事務所が尽力してくれて、無罪になったのよ。

 そのとき担当弁護士だった人が未だいれば、きっと力を貸してくれると思うわ」


「それだよ!その人に相談してみようよ」

「でもニューヨークの弁護士費用はとても高いのよ」


「大丈夫だよ、お金の心配はしなくてもいいよ」

「でもきっと、億というお金を請求されると思うわ」


「実はここで初めて言うけど、先月起きた漁船を使ったロシアへの半導体の密輸事件は、俺が松野茂という部長代理に進言してやったことで、ロシアから受け取った金は偽装会社の口座に入れてあるから何億でも大丈夫だよ」

「でもそれは横領よ、そんなことはしちゃだめよ、別の方法を考えましょうよ」


「別の方法といったって、簡単にはみつからないよ」

「ボスロフに相談してみるわ、ボスロフはロシアとの取引があるからお金はあるし、弁護士はいっぱい知ってるわ」


「だけどボスロフの弁護士はCIA と、MI6の組織の人間だから、離婚の話など、洟もひっかけないと思うよ」


「CIA と、MI6って何のこと」


「ボスロフ商会はロシアに占領されているクリミア半島を取り戻すため、アメリカのCIAと、イギリスのMI6に協力して、アメリカ、イギリス、フランスなど、西側の国から武器を集めて、ウクライナに送ってたんだ」


「じゃあ、ボスロフ商会は、省三の港南中央物産とは反対に、西側のプラス

 になることをやってたのね」

「港南中央物産全部じゃないよ。第三事業部だけがやってたんだけど。第三事業部は

 CIAに付いたり、KGBに付いたり、イデオロギーに捕らわれず、どっちにも付くから自分でも、一番質が悪いと思ってるよ。本当はこんなことはもうしたくないけど、次の仕事で最後にするよ」


「次の仕事ってまだやるつもりなの、やめたらいいじゃない」

「ある国の皇太子と約束をしてしまったので、本当にこれが最後だよ」


 翌週、中東のある国で反政府武装集団と政府軍との間で小競り合いが起き、死者が10人出る事件が起きた。反政府軍にはロシアが武器を供与して、陰では中国が資金の援助を行っていた。アメリカは第七艦隊の航空母艦を中東に送る準備を始め、東西の緊張が高まった。

 日本も静観しているわけにはいかなくなった。


 ◇◇◇


 ある日、原島に外務省の伊地知と名乗る人物から電話があり、会いたいといってきた。

 伊地知と言われて少し考えたが、もしかしたらあいつかも、と思い、ツインタワー前のカフェで会うことにした。

 予想通り、その人はベルリッツ英会話教室で一緒に勉強した男であった。

 当時伊地知は大学院生であったが、今は外務省の官僚になっていた。


「久しぶりですね、何年くらいになりますかね」

「7~8年くらい経つでしょうか」


「原島さんの活躍ぶりは聞いてますよ」

「私のことが霞が関の伊地知さんの耳に入る訳がないでしょ」


「そうでもないんですよ、私たちはこれでも結付き合いが多い商売ですからね」

「で、今日はどんなお話ですか」


「今日は折り入って、原島さんにお願いにまいりました。聞いていただけませんか」

「お願いですか……さて、私にできることがあるんでしょうか」


「聞いて下さい。実は…………」

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