Ⅻ ダンサー レインと皇太子殿下

 九月の一か月間に、漁船の沈没事故が連続して三件起きていた。

 いずれも場所は北方四島周辺で、日本の漁船が沈没したとの知らせはロシアからの情報であった。それによれば、「領海を侵犯して漁をしている日本の漁船を発見したロシアの沿岸警備艇が、危険防止のため注意を促したところ、漁船は網を捨てて逃走し、岩礁に乗り上げて沈没した。漁船の乗組員はロシアの沿岸警備艇が救助して、現在は怪我の治療を行っている」と、いうものであった。


 ロシアの発表が嘘であるのはいつものことなので、日本政府は信用しなかった。

 だが漁船が三隻帰港していないのは事実であった。


 では事故はなぜ起きて、乗組員は今どこにいるのか。

 海難事故の調査は本来は海上保安庁の管轄であるが、北方四島という問題の場所であったので、外務省がロシアに問い合わせたところ、返ってきたのが先の返事であった。だが、この一連の沈没事故には共通していることがあった。


 それは沈没した三隻の漁船の船籍はそれぞれ違う会社であったが、いずれも廃船を予定している老朽船であった。

 また乗組員は三隻とも船長一人であった。


 三社の中の一社の社長の話では「船長は引退前に最後の仕事をすると言って出港した」と語った。

 これらから考えられるのは、漁船にはロシアに輸出を規制している物が積まれていて、秘密裏に運ぶために行った偽装事故ではないか、ということであった。船長が帰還すれば全て判明することであるが、ロシアが言う通リ怪我の治療中であれば、帰還要求も出せず。全てはロシアに任されることとなった。


 ◇◇◇◇


 まぁー来てくれたのね、嬉しいわ、お礼よ」と言って、レインは原島の顔に、真っ赤な紅を塗った唇を押し付けた。


「やめて下さいよ、レインさん]

「うふふ、原島さんたら照れちゃってる」と、奈津美にもからかわれた。


「奈津美、そうじゃないんだ。俺はこういうのは苦手なんだ」

「あんた原島さんっていうの?」


「そうです、原島です」

「そっちにいるのは奈津美っていったわね。あんた原島ちゃんの彼女なの?」


「いいえ違います」

「そうよね、原島ちゃんはそんなに趣味が悪くはないわよね」


「レインさん、奈津美はこれでもうちのマドンナなんですよ」

「ヘェー、この顔でマドンナなの、レベルが低い会社なのね」


「まあ、ひどいことを言うのね」

「あら、怒ったの?。あんた本物の女でしょ、だったらアレは持ってるわよね。じゃあ大丈夫よ。私なんか造り物でもちゃんとできるんだから」


 ニューハーフとかその手の店に入った女性客が、彼女(?)たちから厳しい言葉を浴びせられるのは、客になるための洗礼のようなもので、奈津美はめでたく、ギャルソンクラブの客として認められたのであった。


 洗礼の儀式が終わった後、「お近ずきの印にこれを使ってくれませんか」と例の下着セットを取り出すと、

「うわー素敵、殿下が喜びそうだわ、原島ちゃんありがとう」と言ってまた真っ赤な紅の唇を押し付けた。


「レインさん、殿下って誰なんですか」と聞くと「殿下は私の国の皇太子殿下のことよ」

「私の国ってどこにある国ですか」


「私はね。性別不明、年齢不明、住所不明、本名不明、経歴不明、国籍不明、の謎だらけなのよ。分かったでしょ」

「はぁー、よく分かりませんけど分かりました」


「原島ちゃんと奈津美ちゃんに、下着のお礼にいいことを教えてあげるわ、青山墓地の入り口に、かおたんラーメンという店があるのを知ってる?」

「はい知ってます。あの汚い店でしょ、入ったことはないけど」


「店は汚いけど美味しいわよ。ハッサムだってお代わりしたくらいだからね」

「ハッサム皇太子がラーメンをお代わりですか」


「そうよ、ハッサムはあれを食べると、元気がモリモリと出るのよ。

 もうたまらないわ」


「はぁ、そうですか。それでいい話とは何ですか」

「それはショータイムが終わったら話すわね」と言って、レインは着替えるため席を離れた。


 店内が一度真っ暗になり、スポットライトがダンサーの足から徐々に上を照らすと、20人のダンサーがタンブリング(組体操)のピラミット型になっていて、一番上に半裸のレインが立っていた。割れた着衣の腰から太ももに、原島がプレゼントしたした下着のヒモが垂れていた。


 奈津美も男の客と同じようにダンサーの胸と腰を、食い入るように見ていた。

「奈津美、よだれが出てるぞ」

「それは原島さんでしょ、ネクタイがビショビショよ」


「あ、ほんとだ、やべぇな」


「パチパチ」と拍手と「ピィー」という口笛と歓声に包まれて、ステージが終わり、レインが席に戻ってきた。


「すばらしかったわ、こんなに素敵なショーは初めてよ」と奈津美が言うほど、ギャルソンクラブのショーは艶やかで、怪しい匂いをプンプンと放っていた。


「じゃあいい話をするわね、かおたんラーメンの前はタクシー待機調整場といって、タクシーがいっぱい止まってるのよ。その中にロシア人の運転手の車がいるから、探して乗るのよ、そうしたら『新宿のツインタワーに行って下さい』と言って、走りだしたら、この番号に電話を掛けるのよ」と言って、メモを原島に渡した。


「それは私の携帯の番号だけど、私が出ても出なくても、こう言うのよ。よく覚えておいてね。

『港南中央物産の原島です。例の件ですがバッチリです。局長には私から話しておきます。殿下には社長から伝えて下さい』と言うのよ。

 そしたら運転手はこっそり話を聞いていて、何か言うと思うわ。

 そしたら『役人はいいよな、ちょっとしゃべれば、100万円貰えるんだからな。

 俺がしゃべったことをそのまましゃべっただけなのに』と言うのよ。

 その後に何が起きるか分からないけど、きっと役にたつと思うわ」と言った後、

「私の国を助けて下さい」と言い、原島の手を取って自分の膝の上に置いた。

 その手に涙が一滴落ちた。


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