Ⅸ 麻布台のパーティー

 スコットの口座には862ドル25セント振り込まれていた。それをその日午前の為替レートで換算すると、日本円できっちり10万円であった。

 どうやらギャリクソン&ガリクソンはスコットに、週給10万円支給するということのようだ。


 アメリカは月給制の日本と違って週給制なので、日本の感覚でいえば約40万円の給料である。高いか安いかは個人の感覚次第なので何ともいえないが、当時のアメリカは日本よりも給与水準が高く、何とも微妙な額であった。

 ただ、スコットはこれから六か月間、ベセスダという街にじっとしているだけなので、生活に困ることはない。


 しかしスコットは、ジョージィを探しにまた東京に行かなければならないので、そのための資金が必要であった。そこで六か月間贅沢をしないでコツコツ貯めて、日本への渡航費用を作ることにした。

 学校は来年の6月の卒業まで、ちょうど1年と少しとなった。アメリカの大学はアカデミックシーズンといって、9か月が1年なので実質的に休むのは2か月くらいなので、何とか頑張って卒業証書を手にすれば、もっと給料もアップするだろう。

 そうしたら、ジョージィと幸せに暮らせると、スコットは期待に胸を膨らませてベセスダに向かった。


 そのころジョージィは原島と向島のマンションで、同棲生活を送っていた。 

 だがジョージィはスコットと結婚していることを、原島に言えずに苦しんでいた。

 今が幸せであればあるほど、その事実はジョージィの上に重くのしかかり、今日言おうか、明日言おうかと、悩みながら日々は過ぎて行った。


 八月のある日、ボスロフ商会はある省の官僚を料亭に招き、隅田川の花火大会を観賞をすることになった。迎える側の席にはボスロフと、ボスロフの妻、イリーナと、菊池愛子(ジョージィ)がいた。

 ジョージィは日本に来てからは「菊池愛子」と名乗っていて、恋人の原島にも本名は明かしていなかった。


 この席の愛子(ジョージィ)役割はただ「本日はお越し下さいましてありがとうございます」と礼をいうだけでよかった。

 それだけで招かれた官僚は、知りうる情報の全てをボスロフに提供した。


 翌週には屋形船に政府の要人を招き、そしてある時は某大企業のCEOを招き、同じように「本日はお越し下さいましてありがとうございます」と言い、ボスロフは政財界の重要な情報を次々と手に入れた。


 全てはジョージィの美しい容姿の上に成り立っていて、ジョージィの代わりは存在しなかった。

 ボスロフ商会はこれらの情報を細切れにして、判読不能となった小さな断片をいくつか選び出し、再び小さく固めた情報を売るのもメインではないが、商売の一つであった。


 顧客は一般企業、研究機関、など様々で、ある団体はこれを「ボスロフミートボール」と呼んでいた。


 ミートボールの値段は一件につき、数十万円から数百万円で取り引きされていた。

 顧客のほとんどは国内の企業で、目的は政府や各省庁の方針を事前に知ることであった。

 だがボスロフ商会にしてみれば、ミートボールの存在を知っている者は、例え顧客であっても秘密漏洩防止のため、顧客の動きを監視し続けることとなった。


 だがボスロフ商会自体も日本の公安の他、CIA、KGB、KCIAなどの国家機関の監視から、逃げることができない宿命を背負っていた。

 それは同時に情報収集に手を染めたジョージィが背負った宿命であった。


 残暑が厳しいある日、港区 麻布台のロシア大使館で、ロシア大使主催のパーティーが行われていた。

 この日のパーティには、ボスロフと、妻のイリーナと、愛子(ジョージィ)も招待されていた。


「菊池愛子さんですね、僕は来月帰国することになりました。帰国前にあなたにお目にかかれて幸せです。もしドイツにお越しになる機会がありましたら是非、お寄りください」とドイツの駐在武官、ハインリッヒがジョージィに話しかけ、名刺を渡した。

 その後も沢山の出席者がジョージィのもとにやってきて、美しさを褒めたたえた。


 この様子をじっと見ている男がいた。男の名は「イヴァン・シコルスキー」といい、現在はプーチン政権の与党である「統一ロシア」に所属しているが、かってはロシア共産党の党員であった。

 またロシア陸軍の少佐で駐在武官を努めていた。だが実際はKGBに所属する諜報員で、西側諸国大使館の電話を盗聴するのが主な任務であった。


 ボスロフは国籍はロシアだが、元々はロシアに占領されているクリミアの出身であった。

 イヴァンはクリミア生まれのボスロフは、西側の国の諜報員であると睨んでいた。

 そして、ジョージィもボスロフと同じ組織の諜報員であると確信したイヴァンは先ず、ジョージィに狙いを定め、調査を開始した。


 










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