第60話 あるバイト門番の中毒症状

 馬車で夢と希望を掴んでから、三カ月が過ぎた頃だった。


 残り一月で、半年間の契約が終了する。

 勿論、俺は更新するつもりだ。


 もうすっかり、日が長くなり、夏季の真っ只中を迎えている俺は、賑やかだが、特に変わりない日々を淡々と過ごしていた。


 変わった事と言えば、魔力操作が向上して、両手に加え、足にも憑依出来る箇所を増やせる様になった結果、中級の魔物を危なげなく討伐出来る様になった事と、仕事に慣れて来た事で、昼勤の業務で暇を持て余す様になった事だ。


 始めは、一杯一杯だった受付業務も板につき、今では、考え事をしながら通行料を受け取れる様になっていた。

 だが、余裕を持て余す様になると、やってくるのが、暇と言うものだ。


 夜勤は、良くも悪くも俺達しか居ないので、魔物が出ない間は、寛いで、雑談も出来るが、通行人が絶え間なく訪れる昼勤の十二時間は、合間にゲホゲホを撫でているだけでは過ぎてくれない。


 今日も、セルドと共に受付に立っているが、未だに、昼飯にも辿り着けていない。

 もう限界だ。

 このままでは、可笑しくなってしまいそうだ。


 そうだ、一年先輩のセルドなら、この対処法を知っているかも知れない。

 俺は、通行人の列が途切れた合間を縫って、セルドに聞いて見る事にした。


「セルド、ちょっと良いか?」


「どうした? 何かあったか?」


「いや、最近、昼勤の仕事中が暇でしょうがなくてさー、セルドはこういう時、どうやって時間が過ぎるのを待ってるんだ?」


「そういう事か! なら良いのがあるぞ!」


「本当か!?」


「ああ、暇を持て余しているのは俺も同じだからな。そんな俺達に打ってつけな秘密兵器がある!」


「俺も使って良いのか?」


「勿論だ! じゃあ、飯休憩の時、取って来るから、楽しむにしてな」


 セルドは、そう言って昼休憩に入ると、俺が弁当を食べ終わる頃には、手に黒い布を持って事務所に帰って来た。


「これが秘密兵器か?」


「ああ、これは、こうやって、首に巻き付けて口元を隠す様に使うんだ」


 セルドは、持っていた布を俺に一つ手渡すと、もう一つを三角に折った後に、首の後ろで結び、口元を隠した。

 真っ黒の布で顔の下半分を隠した姿は、まるで野盗団の一員にでもなったかの様な出で立ちだった。

 俺も、セルドにならって布を括り付け、口元を隠す。


「これが、暇潰しになるのか?」


「そうだ! これを使ってやるゲームが、最高の暇つぶしになるんだ!」


「そうなのか! それじゃあ、早速、教えてくれ!」


「良いだろう。ルールは簡単だ。この布で口元を隠しながら、業務中、自分の目の前を女が通過する度に、ペローンと声を出しながら、舌舐めずりをするだけだ」


「ちょっと待てよ変態! それのどこが楽しいんだよ?」


「おいおい、カーマ。分からないのか? この布を巻いてる意味が」


「分かんねぇよ! カッコつけてるだけじゃないのか?」


「違う! この布を巻いていれば、舌舐めずりが相手にバレない。声が聞こえなければ、ペローンはペローンじゃなくなるんだ!」


「……つまり、どういうことだ?」


 俺は、セルドのやりたい事は理解したが、言いたい事が分かりそうで分からない。


「つまり、目の前を通る可愛い女達に、聞こえるか聞こえないかのギリギリの声でペローンをかまし、スリルを楽しむ究極の遊びだ!」


「へぇー、そういう事か! 中々、楽しそうじゃねーか!」


 遊び方を教わった俺は、早速正門に戻って、始めようとすると、セルドに呼び止められた。


「ちなみに、一つ、注意事項がある」


「どうせ、バレたらって事だろ? そんなへまはしねぇよ」


「そうじゃない、この遊びは、危険な程の中毒性を秘めている。やり過ぎると、無意識にペローンを発動してしまう体になってしまうんだ!」


「大丈夫だって、そんな馬鹿みたいな事、起きる訳無いから」


「カーマ、お前に貸した布を、もう一度見てみろ?」


 セルドに促されるまま、もう一度しっかりと布を見返すと、真っ黒な布から微かに赤い斑点が浮かび上がる。


「こ、これは?」


「実は、一昨日、トーマスからお前と同じ相談を受けてな、昨日の朝から一緒にペローンをしていたんだ」


「それも変な話だけどな。それで?」


「そして、道行く女にペローンを続け、昼休憩を迎えた時だった。あいつは弁当を食う為に、布を首まで下げた状態で、メリサに無意識で渾身のペローンを何度も繰り出してしまったんだ!」


「馬鹿すぎるだろ。それで、トーマスはどうなったんだ?」


「あいつは、激怒したメリサにその場で舌を切り取られた。その布に付いているのは、トーマスの血痕だ」


 そう言えば、昨日のトーマスは、口内炎で飯が染みるって大騒ぎしていた気がする。

 メリサの事だから、最後には治してくれたとは思うが、そんな思いは、まっぴらごめんだ。


「ああ、忠告ありがとう。お互い、舌を無くさない様に気を付けようぜ!」


「じゃあ、行くか!」


 首元をより一層、きつく縛り付けた俺達は、正門の持場に戻る事にした。


「ゲータさん、戻りました」


「じゃあ、僕はご飯行ってくるね。後、上にはアーチが居るから宜しくね」


「了解です!」


 休憩から戻り、持場を変わると、すぐさま、次の通行客が押し寄せて来た。

 俺は、列の先頭に立っていた桃色の髪の女の子を見て、バレない様に舌を動かした。


「……ペローン。それでは、お次の方、お名前と年齢、ご来訪の理由をお聞かせ下さい」


「……は、はい。就職で王都に来ました。う、ウーカと申します」


「分かりました。通行料、千ロームになります」


「……は、はい」


 ウーカと名乗った女の子は、初っ端のペローンに気付いてはいないものの、何だか、不安そうな表情を浮かべながら、俺に通行料を手渡した。


「丁度、お預かりしました。就職頑張って下さいね……ペローン」


「は、はい。あ、ありがとうございます!」


 ウーカと名乗った女の子は、俯いていた顔を上げて、笑顔で街の中に入って行った。

 ここに勤めて半年も経っていないが、ああいう子を見ると、自分の時を思い出す。

 初めて俺が街に来たときは、確か、ゲータさんが受付してくれたんだっけな。


 思えば、マニュアル以外の言葉を足したのは、初めての事かも知れない。

 でも、どうして、あの子を見て、こんな事を思い出すんだろう。

 就職で王都にやって来る人は、俺を含めて、決して珍しく無いと言うのに。


 きっかけは分からないが、俺は流れ作業の中に忘れていた、大事な物を初心に戻って思い出せた気がする。


 でも、どうしてあの子だったんだろう……いや、違う。

 あの子だったから思い出せたんじゃ無い。

 あの子にペローンを仕掛ける為に、表情を細かく観察していたから、気づく事が出来たんじゃないか。


 いつものマニュアルからペローンが増えるだけで、こんなにも、世界は広がるのか。

 となれば、俺は、もっとペローンを極める必要がある。


 その後も、通行人の隙を見計らって、ペローンを仕掛け続け、気づけば、五十人切りを達成した頃だった。

 夕方に差し掛かった頃、珍しく、内側からの通行人に声を掛けられた。


「すいませーん」


 声から察するに、女性の声だ。

 俺は、振り向きざまに先制攻撃を仕掛ける。


「……ペローン。外出されま――」


「はぁ? 何言ってんだよ。殺すぞお前?」


 俺が、振り返り様にペローンをした先に現れたのは、苛立ちを微塵も隠すつもりの無い、アーリアの姿だった。


 不味い、振り向き様だったので、ペローンの声量が大きくなってしまった。

 多分、聞かれたよな。

 なら、ついでにもう一発ぐらい入れておこう。


「ペロ――ぐはっ!! てめぇ、何しやがる?」


 俺がもう一度舌を出そうとしていると、鎧の上から腹に拳が叩きこまれていた。


「……はぁ……あんた、この数カ月で落ちる所まで、落ちた様ね」


 アーリアは、大きな溜息を付いた後、呆れた様に冷たい声で言い放った。

 そう言えば、アーリアは、何故ここに現れたのだろう。


 いくら街の出入口とはいえ、元職場に顔を出すのは気まずい筈だ。

 そもそも、職業案内所に勤務するアーリアが、王都の外に用事があるとは思えない。


「そんな事よりさ、まず私に謝る事あったろ?」


「はて? 何の事でしょうか? さては人違いでは?」


 実際は心当たりがありまくるが、目的が分からない以上、下手に認める訳にはいかない。


「いーや、お前だよな? 私を馬車の保証人にしたの」


「…………なぁ、アーリア。これって時効とか適応されるのか?」


「お前が、十二年のローンを組んでる間は、そんな物存在しないぞ」


「じゃあ、人違いですね。はははっ! ……それでは、名前と年齢、来訪の理由は?」


「はぁ? あんた、人の名前を勝手に使っておいて、良くそんな口が利けるね」


「通行料、千ロームになります」


「お前、本当に殺されたいのか!!」


「すいませんでした!!」


 アーリアの両手に炎が灯ったのを見て、地面に膝を付いて頭を下げる。

 素手で、鎧の上からダメージを入れて来る女が、憑依した拳を当ててきたら、結果は考えるまでも無い。


「きゅう?」


「あっ! ゲホゲホだ!! よしよしよしー!」


 突然、飼い主が土下座した事に驚いたゲホゲホが声を上げると、アーリアはゲホゲホに抱き付いて、わしゃわしゃと体中を撫でまわした。

 心なしか、ゲホゲホも表情も喜んでいる様に見える。


「何でお前が、ゲホゲホを知ってるんだよ?」


「きゅうううー!!」


「だって、職業案内所に来た人がね、みんな口を揃えて可愛いって言う位、飼い主と違って評判なのよ。最近だと、頭を撫でると、ご利益が有るって噂もあるしねー」


 どうやら、ゲホゲホは、門の前に立っているだけで、通行人達の間で、有名になっていた様だ。


「俺、全然ご利益無いけどな……」


「しょうがないでしょ。良い肥料を上げても、根っこから腐ってると、どうにもならないって言うし」


「うるせぇ! で、お前、本当の所は何しに来たんだよ? 俺、仕事中なんだけど」


 俺は、アーリアの本当の要件を尋ねると、また、大きな溜息を付かれた。


「……はぁーあ。せっかく、カーマの為に来てやったのに」


「俺の為? どういう事だ?」


 アーリアは、どういう訳か、俺に用があったらしい。

 だが、俺の為になりそうな用事とは、何事だろう。

 こちらについては、全く思い当たる節が無い。


「ついに、来たんだよ!」


「何が?」


「だから、半年に一度の騎士団の求人募集が」


「本当かっ!?」


「うん。詳細は、案内所に来たら教えるから、仕事終わりに顔出しなさい。分かった?」


「ありがとうアーリア! お前って、意外と良い奴だったんだな!」


「私って何だと思われてんのよ!」


 アーリアから貰った、当然の朗報に喜びを隠せないでいると、俺の目の前に居たアーリアの足元が突然、地割れを起こした。


「アーリア、あぶねぇ!!」


「えっ!?」


 俺の叫び声を聞いたアーリアは、辛うじて後方に飛び込む事で回避するも、飛び込んだ先の地面も、不穏な動きを見せていた。


「具現出力、【岩石の巨腕ギガントロック】!!」


「嘘でしょ!? きゃあぁぁーーー!!」


 着地したばかりの不利な体勢を狙い澄ました様に、地面から、勢い良く伸びる巨大な岩石に、アーリアは、成す術無く、空に打ち上げられる。


「アーチ! お前、アーリアに何してんだ!!」


「あんたこそ、何、あの嘘つき女と喋ってんのよ?」


 今まで、外壁の上に待機していたアーチが、俺の元まで、飛び降りて来た。

 そう言えば、この二人も元同僚だったよな。


「何でいきなり、アーリアに攻撃したんだよ? お前ら年も近いだろうし、仲良かったんじゃねーのかよ?」


「良い訳無いでしょ! そもそも、あのほら吹きは、私が追い出したんだから!」


「はぁ? 追い出したってどういう事だよ?」


「あんたには関係ない。それに、あいつが辞めて無かったら、火属性の求人出て無かったんだから、あたしに感謝しなさいよ。――っと、戻って来たか!」


 アーチが上空を見上げると、全身に炎の魔力を纏ったアーリアがゆっくりと俺達の目の前に降り立った。


 二人が向き合い、睨み合いが始まる。

 咄嗟に、身の危険を感じた俺は、ゲホゲホを連れて遠ざかる。


「セルド、お前も気を付けろ! 誰か呼んだ方が……」


「もう、呼んでる! お前は、通行人を守れ!」


「分かった!」


 セルドと近くに居る通行人達を、出来るだけ遠ざけていると、睨み合う二人に動きがあった様だ。


「……久しぶりね、アーチ」


「……気安く名前を呼ぶなよ。あんた、よく、あたしの前に姿を見せれるよな。自分で何をしたか分かってんの?」


「分かんないよ。だって、嘘じゃないんだから!」


「嘘よ!! あんたはあたしの親友を馬鹿にした。そんな奴、許される訳ないでしょう? 【憑依】!」


 アーチも全身を魔力で纏って、臨戦態勢に入っていた。


「……アーチ、一応、聞いておくね。……私の事、嫌い?」


「……うん」


「そっかぁ……残念」


 二人は、今にも、拳を交えようと足を踏み込んだ、その時だった。


「「何やってんだよ!」」


 開かれた扉から二人の間に割って入る人影が二つ。


退いて、フェイ! こいつはあたしが叩きのめす!」


「駄目だ。他の人に迷惑が掛かる」


「でもっ!」


「口答えするな! ちょっと来い!」


「や、止めろ! バーカ!」


「お前が馬鹿だろ! バーカ!」


 フェイさんは止めに入るや否や、アーチの襟元を掴んで、強引に事務所に引き摺って行った。


「ルート、そっちは頼むぞ」


「はいはい」


 その様子を見ていたアーリアも、戦意を無くしたのか、既に、全身の憑依を元に戻していた。


「……ルートさん……」


「アーリア、久しぶりね。……私の言いたい事、貴方なら、分かってくれるよね?」


「……はい。騒ぎを起こしてすいません。私は、帰ります」


「そうして頂戴」


 先輩であるルートさんの登場で、戦意を無くしたアーリアも大人しく引き上げていった。

 ようやく、静寂が訪れた正門前で、業務に戻ろうとすると、ルートさんが、俺達の元にやって来た。


「二人共、色々あったけど、残り二時間、そのまま頼むよ」


「「ペローン……分かりました」」


 しまった。

 布の安心感で無意識にペローンを……。

 だが、身体をコントロール出来ていないのは、俺だけじゃない。


「おい、お前ら、一旦、その布を外しなさい」


「「ペローン……分かりました」」


 くそっ……またも、無意識にペローンが。

 俺達は、布を首まで下げて、口元を露にする。


「ちょっと口、開けてくれる?」


「はい。……ぎゃああああああーーー!!!」


 この日、俺達の首に巻かれた布は、さらに赤く染まる事となった。

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